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現地視察(1) 現地視察(2) 現地視察(3) 現地視察(4) 現地視察(5) 現地視察(6) 現地視察(7) 現地視察(8) 現地視察(9) 現地視察(10) 現地視察(11) 現地視察(12) 現地視察(13) 現地視察(14) 現地視察(15) ②古河鉱業、足尾製錬所跡 出典:一般社団法人日光観光協会、足尾散策ガイドマップ をもとに青山が作製 一方、橋を渡らず県道250号をさらに北上すると渡良瀬川の対岸に、足尾鉱山製錬所の大きな煙突(高さ50m、直径5m)が見える。煙突の手前は松木川である。 現在の足尾銅山、古河鉱業 足尾製錬所(跡) 前を流れる川は松木川 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 以下はグーグルマップのストリートビューで見た古河鉱業 足尾製錬所(跡) である。2010年に大部分の工場設備を撤去した跡には写真にあるおおきな煙突など、ごく一部の施設のみが残されている。 出典:グーグルストリートビュー 下は往事の足尾銅山、古河鉱業 足尾製錬所の工場群の配置イメージである。 古河鉱業足尾製錬所の施設配置図イメージ 方位は上が西 下の3枚の写真は、往事の「本山地区」の足尾銅山の工場群である。これらの工場は2010年に大部分が解体されており残っているのは上の写真など一部となっている。 足尾銅山、古河鉱業 足尾製錬所 出典:足尾環境学習センター 1895年頃の古河鉱業、足尾製錬所 出典:Wikipedia 足尾銅山 古河鉱業、足尾製錬所 出典:足尾環境学習センター なお、足尾銅山、古河鉱業、足尾製錬所は2010年に大部分(おそらく90%以上)の施設、設備を解体、撤去した。したがって、現在見える施設はおおきな煙突などごく一部だけである。 2010年より前に、現地に入り写真を撮影してきたひとがいて、写真をホームページ上で公開している。非常に貴重な写真場であるので、ぜひご覧いただきたい!
2010年に大煙突など、ごく一部の施設、設備を残し、足尾銅山、古河製錬所は、解体、撤去されている。したがって誰も当時の足尾銅山、古河製錬所を誰もみることはできない。 本来、すべきは2010年前の足尾銅山、古河製錬所のすべてを世界遺産として登録し、誰でもが歴史の負の遺産を見られることであったはずである。 これではまさにナチス・ドイツがポーランドのアウシュビッツ、マイダネクなどの強制収容所を戦争終結時に破壊し、歴史上から隠ぺい工作したことと同じことを、古河側が行い、それを国や県がそれらを認めたことになりかねない。現地を視察し、つくづくそれを感じた。
下の写真は、足尾銅山製錬所と県道250線の位置関係を示したものである。 出典:グーグルマップ ストリートビュー さらに県道250号線を北上すると、道路に右側に龍蔵寺がある。 この龍蔵寺には、「本山地区」にあった墓石などが移設されているとともに、鉱毒で倒れていった渡抗夫と呼ばれる全国を渡り歩く抗夫たちの慰霊碑も設置されている。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8
下の写真は、、「本山地区」にあった無縁仏や墓石などを移設してつくられプラミッド型の石塔。よく見ると、一つ一つの墓石が見える。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 下の写真は、県道250号線と龍蔵寺との位置関係を示している。 出典:グーグルマップ ストリートビュー |
つづく |