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現地視察(1) 現地視察(2) 現地視察(3) 現地視察(4) 現地視察(5) 現地視察(6) 現地視察(7) 現地視察(8) 現地視察(9) 現地視察(10) 現地視察(11) 現地視察(12) 現地視察(13) 現地視察(14) 現地視察(15) 以下は、現地視察時に撮影した足尾銅山創業時の施設を現地調査及びWikipedia などの文献からその概要をとりまとめた。足尾銅山の最盛時には煙突が山の急斜面に10本以上もあり、かなり大規模の精錬が行われていたことが分かる。 1895年頃の足尾鉱山 出典:Wikipedia 足尾銅山、古河足尾精錬所 出典:足尾環境学習センター 足尾銅山、古河足尾精錬所 出典:足尾環境学習センター 足尾銅山の施設概要 主な出典:Wikipedia、現地調査時撮影 鉱山:備前楯山と呼ばれる銅山が1つある。その他の足尾近隣の山からは銅は産出しなかった。 坑口:本山坑(有木坑)、小滝坑、通洞坑の3つの坑口があった。本山坑から小滝坑はほぼ 一直線に繋がっており、通洞坑はこの太い坑道に横から接続する形になっている。 このため、3つの坑口を結ぶ坑道は、T字型になっている。小滝坑は1954年閉鎖。 最後まで使われていたのは本山坑と通洞坑であった。(より正確には、本山坑と有木 坑は微妙に場所が違い、これ以外に近くに本口坑があった。通常はこの3つの坑口を まとめて「本山坑」と呼ばれる。有木坑は当初梨木坑という名であったが、縁起担ぎで 有木に変更された。また、簀子橋という名の坑口もあった。規模は小さく、通洞坑と 同一視されることが多いが、名目上は独立していた。現簀子橋堆積場付近にあった) 小滝坑坑口 足尾銅山、通洞坑 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 足尾鉱山、古河足尾精錬所の本山概念図 出典:日光市 選坑場:通洞地区におかれた。最初期は女工が目で使える鉱石かどうか識別したという。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 製錬所:本山地区にあったものが最も大きかったが、小滝地区にも小規模なものがおかれ ていた時代がある。鉱石から銅が製錬された。1960年代以降は、製錬時に出る 亜硫酸ガスを回収して硫酸を製造し、これも出荷していた。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 出典:不明 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 <補遺> 今回の現地調査で判明したことは、足尾銅山、古河鉱業、足尾製錬所は2010年に大部分(おそらく90%以上)の施設、設備を解体、撤去した。したがって、現在見える施設はおおきな煙突などごく一部だけであることである。 2010年より前に、現地に入り写真を撮影してきたひとがいて、写真をホームページ上で公開している。非常に貴重な写真場であるので、ぜひご覧いただきたい!
浄水場:1897年、鉱毒防止策として政府は足尾の銅山施設すべてから出る水を一旦沈殿 させることを命じた。中才浄水場、間藤浄水場の2箇所が2005年当時も稼動していた。 閉山後も浄水設備の稼動は続けられる。小滝にも浄水場はあったが、規模が小さか ったため、中才に統合された。 堆積場:鉱石くずなどを貯めている場所。公表されているものは足尾町内に14箇所ある。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 社員住宅:坑口付近に多くつくられ、ほとんどの鉱夫は徒歩で通勤した。小学校や商店など も周辺につくられたが、閉山後はほとんどが無人化しており、現存しないものも多い。 足尾銅山労働者用の浴場跡)にて 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 神社:本山坑向かいの山頂付近に鉱山神社が存在する。本殿と拝殿の2棟があるが、 何れも放棄されている。このほか、通洞坑には別に神社があり、足尾銅山観光 出口付近に拝殿がある。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 廃墟となった鉱山神社への参道にて 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 鉄索:足尾ではケーブルカー(索道)のことを鉄索と呼んだ。1890年にまず、細尾峠を 越えて日光を結ぶ路線が作られた。最も大規模なものは、本山坑から銀山平を経て 小滝坑に向かい、そこからさらに利根村根利に向かう路線である。物資や鉱石を運 ぶため、足尾町内に大規模なものがいくつも作られたが、閉山後にすべて撤去され ている。登山家を乗せたという記述も残っており、鉱夫などの輸送にも使われたと みられる。 馬車鉄道、ガソリンカー:人や物資を運ぶために町内の道路に路線がつくられた。 初期には馬車鉄道であった路線が、後に鉄索や鉄道に切り替えられたところも多い。 つづく |