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日テレ取材班の
奥秩父遭難を検証する@
経過と事故の場所

青山貞一
東京都市大学環境情報学部
August 2010
追記 18 August 2011
独立系メディア「今日のコラム」


●特集:奥秩父、滝川上流の遭難事故を検証する
青山貞一:日テレ取材班の奥秩父遭難を検証する @経緯と事故の場所
青山貞一:日テレ取材班の奥秩父遭難を検証する A貴重な現場動画
青山貞一:日テレ取材班の奥秩父遭難を検証する B詳細分析
青山貞一:日テレ取材班の奥秩父遭難を検証する C遭難の原因リスト
青山貞一:日テレ取材班の奥秩父遭難を検証する D尾瀬での経験
青山貞一:日テレ取材班の奥秩父遭難を検証する E3次元シミュレーション

●特集:奥秩父遭難現場視察報告 2010.9.19
青山貞一:秩父再訪を敢行して 日テレ取材班遭難現場調査
青山貞一:奥秩父遭難現場視察報告 @現場周辺の状況
青山貞一:奥秩父遭難現場視察報告 A遭難事故の再検証
青山貞一:奥秩父遭難現場視察報告 B使えない携帯電話(通話・メール・GPS)
青山貞一:奥秩父遭難現場視察報告 C3次元想定ルート図
青山貞一:奥秩父遭難現場視察報告 DGPSデータによる検証 

 本論考は、当初2010年8月に執筆公表したものに、その後行った筆者ら(青山貞一、池田こみち、鷹取敦)による追跡調査などの内容を追記したものである。原則として追記した部分は青色で囲ってある。

 日本テレビ取材班による奥秩父での遭難事故がさまざまな憶測を呼んでいる。ひとつはこの取材が、ここ数年、番組づくりがいろいろな疑義、批判を呼び起こしている「バンキシャ」であることだ。

 ここでは多くを語らないが、亡くなった二人の現地取材者がガイドの指示に従っていったん引き返したものの、再度、いわば無謀な取材を敢行したのが、当人たちの自主的な意思ではなく、番組制作上層部の意向にあったのではないか、といった憶測もある。

 一方、私の東京都市大学青山研究室の教え子にもテレビ局や制作会社に勤務しているものが数名おり、彼らにも今回のような無謀と言える取材を強要され、事故に遭遇することがないとはいえない。 

 その意味でも、当初の遭難者、埼玉県関係者、日テレ社員、都合8名もの方々が亡くなった今回の遭難事故から、私たちは多くの教訓を得なければならないだろう。


 ところで、ここでは山岳取材のベテランを含む現地取材者が、なぜ埼玉県の奥秩父で遭難し、しかも最悪、すなわち亡くなったかについて、その直接的かつ物理的な原因という観点から見てみたいと思う。

■経過

 経過はこうである。

 当初、遭難発生の現場となったブドウ沢(標高1100m)の北部近くで沢登を行っていた東京都勤労者山岳連盟「沢ネットワーク」の8人のパーティーのうちの1人の女性(55歳)が滝つぼに転落した。そして他のメンバーが尾根筋から携帯で救助を求めた。

青山貞一追記 2011.8.18
 尾根筋という意味は、実際私たちが現地調査を行ったとき、通常の携帯電話では沢からの通話は電波が届かず不可能であり、一旦沢から尾根まで上がらないと救助の通話も出来ないということである。これについては、私たちが現地調査を行った後執筆した以下の論考をご覧頂きたい。
青山貞一:奥秩父遭難現場視察報告 B使えない携帯電話

 その後、遭難した女性の救援に向かった埼玉県の防災ヘリ「あらかわ1」が狭小な渓谷での救援に失敗し、渓谷の底に墜落し、結果として何と救助隊員の5人が亡くなった。


ブドウ沢の北で発見された埼玉県の防災ヘリ「あらかわ1」
出典:NHKニュース

 当初、滑落した「沢ネットワーク」の女性メンバーは、川崎市多摩区の小野千枝子(おの・ちえこ)さん(55)である。そのうち小野さんはヘリ墜落後、別の救助隊により病院搬送されたが死亡した。

 一方、「沢ネットワーク」パーティーの残りの男女7人は山小屋で1泊し、翌日の7月26日に無事下山を果たした。

■7人搭乗の県防災ヘリ墜落=5人死亡、2人は生存
−山岳救助中に、埼玉・秩父


 7月25日午前11時ごろ、埼玉県秩父市大滝で、山岳事故の救助作業中に県防災ヘリコプター 「あらかわ1号」(ユーロコプター式AS365N3型)が墜落した。ヘリには7人が乗っており、 県警によると5人の死亡が確認された。2人は生存しているという。国土交通省運輸安全委員会は、 航空事故調査官3人を派遣した。

 埼玉県警によると、運航委託先の「本田航空」(埼玉県川島町)所属の副機長西川真一さん(32)、 県防災航空隊員の中込良昌さん(42)と戸張憲一さん(32)、秩父市消防本部隊員の大沢敦さん (33)の死亡が確認されたほか、機長の松本章さん(54)も搬送先の病院で死亡した。

 一方、墜落直前にヘリから降下していたとみられる航空隊員の太田栄さん(36)と消防隊員の 木村準さん(36)の2人の生存が確認された。

 現場は谷底にある沢で、回転翼などが周囲に散乱しているが、ヘリの機体はほぼ原形をとどめているという。国交省や県などによると、防災ヘリは午前10時48分、秩父市内の場外離着陸場を離陸。 同市大滝ぶどう沢で墜落したという。

 大滝の滝つぼに女性(55)が転落したとの救助要請に基づき出動していた。現場は秩父山地の山梨県境にある沢で、国道140号「雁坂トンネル」の南側数キロに位置する。周囲の山は険しく、 ベテランの登山客や釣り客が訪れる程度で、遭難事故は年に数十回あるという。墜落したヘリとともに出動していた県警ヘリからの報告によると、事故当時、現場付近は雷雨が降っており、積乱雲が出ていた。

 「隊員2人を降ろした」という通信があった後、谷底から煙が上がり、墜落しているのが分かったという。 気象庁によると25日午前、埼玉県に大雨、雷、洪水の注意報が発令されていた。

(2010/07/25-18:15)時事通信

 問題の日テレ取材班の事故はこの後に起こった。

 脱落ヘリの現場取材を敢行した日テレ社員の記者北優路さん(30)とカメラマン川上順さん(43)は、8月1日、ヘリ墜落現場の滝川下流の2〜3キロ付近で遺体となって発見された。死亡原因は水死とされている。


滝川支流の沢で発見された日テレの2社員の遺体
出典:テレビ朝日

 ヘリ墜落現場は奥秩父の尾根が互い違いに絡み合いジグザグに曲がりくねった渓谷にであった。現場は国道140号の「出会いの丘」(以下の写真参照)から南へ約3キロ入った奥深い山中でブドウ沢と水晶谷の合流地点である。


写真 国道140号線沿いにある「出会いの丘」で写真を撮影する青山貞一
撮影:鷹取敦  2010.9.19

 埼玉県警秩父署によれば、現場は埼玉・山梨県境の奥秩父山系にある標高約1100メートルの沢沿い、最も近い登山口からでも山岳隊員が4時間かかる難所であるという。

■日テレ遭難死:2人は水死 「川に転落」見方強める
     毎日新聞 2010.8.3

 埼玉県秩父市の滝川で日本テレビ報道局記者、北優路(ゆうじ)さん(30)と、同局カメラマン、川上順さん(43)が死亡した事故で、県警は2日、司法解剖の結果、2人の死因はいずれも水死と発表した。2人の体に大きな傷がないことから、県警は何らかの原因で川に落ち、上流から流されたとの見方を強めている。

 県警によると、北さんには、頭や額などに軽度の擦過傷や打撲が複数個所あり、川上さんは肩などに軽い打撲跡が確認された。死亡推定時刻は判明していないという。2人が見つかったのは滝川にある直径7、8メートルのすり鉢形の滝つぼの縁。上流に高さ3メートルの滝があり、あおむけに並んで倒れていた。

 県警幹部は「流された時の傷と考えても矛盾はない。(別々に流れても)水の流れで遺体が自然に並ぶことは考え得る」と話す。2人が入山していた31日午後は2時間で43ミリの雨が降っており、川が増水した可能性もある。同幹部は「滝つぼに落ちた可能性も否定できない」としている。県警は3日、現場を訪れて遭難するまでのルートを調べ、遺留品を捜す予定。

 一方、2人のガイドをした水野隆信さん(33)によると、2人は当初、1日夜の日本テレビのニュース番組名を挙げて「土曜(31日)に行かないと駄目だ」と話し、急いでいる様子だったという。

【町田結子、飼手勇介、岡崎博】

 以下は埼玉県警が発表した経緯である。

■遭難までの経緯(埼玉県警による)

7月25日 埼玉県防災ヘリが墜落し5人死亡
7月30日 北優路記者、川上順カメラマン、山岳ガイドが現場近くに宿泊
7月31日   
午前6時半  登山開始
  10時ごろ 北記者と川上カメラマンがガイドと別れ再入山
午後11時ごろ 日テレから救助要請

8月1日
午前4時   県警山岳救助隊が秩父署を出発
  9時10分 心肺停止状態の2人を発見
午後3時すぎ 病院で2人の死亡を確認
  8時35分 山岳ガイドが会見
  11時50分 県警が2人は北記者、川上カメラマンと判明と発表

8月2日
午前7時5分 捜査員らが現場確認のため秩父署を出発
  9時20分 天候不順で断念し署に戻る


■遭難事故の場所

 次は事故が起きた場所である。

 報道関係の記事ではなかなか分かりやすい地図がないが、以下の朝日新聞の記事中にあった概略地図が唯一分かりやすいものである。

 朝日新聞の地図には、(1)ヘリの救助を要請した女性が遭難した現場(第一遭難場所)、(2)それを救助に出たヘリが脱落した現場(第二遭難場所)、(3)そしてそれを地上から取材しようとして遭難し2人が死亡した現場(第三遭難場所)がそれぞれ
×で示されている。

 下の地図にはランドマークとして、<雁坂トンネル>、<国道140号線>、<豆焼橋>、<林道終点>、<滝川>、<黒岩尾根登山道>がある。


 
 出典:朝日新聞

 朝日新聞次の地図(下図)は、山岳ガイドが死亡した日テレの2人をガイドしようとしたと推測される<ルート2>と取材対象となったヘリ墜落現場へ黒岩尾根登山道から下りる<ルート1>が示されている。

 
 出典:朝日新聞

 下は国道140号の雁坂トンネルを抜けた直後にある豆焼橋。この橋梁の標高は1100〜1200mの範囲にある。


国道140号の雁坂トンネルを抜けた直後にある豆焼橋


 2010年9月19日の現場検証調査では、私たちは下の地図の右側の三峰口から秩父湖沿いの道路を経由し、国道140号線から豆焼橋(赤い色の橋)に向かった。


出典:マピオン


出典:マピオンから青山貞一が作成

 以下は秩父から奥秩父豆焼橋に向かう私たちを乗せた乗用車から撮影した映像である。運転は池田こみちさん。



 下は私たちの追跡調査時に撮影した雁坂トンネルを抜けた直後にある豆焼橋である。この地域がいかに奥秩父の中でもとりわけ急峻な山岳地域にあるかが写真からよく分かる。


写真 雁坂大橋から見た豆焼橋。この豆焼橋の奥が遭難現場
撮影:青山貞一  2010.9.19

 下は追跡現地調査時に豆焼橋上にいる筆者(青山貞一)。


写真 豆焼橋上の青山
撮影:鷹取敦  2010.9.19


写真 豆焼橋上の青山
撮影:池田こみち  2010.9.19

 以下は追跡調査に同行した池田こみちと鷹取敦。


写真9 豆焼橋上の鷹取(左)、池田(右)
撮影:青山貞一  2010.9.19

 
豆焼橋の下が豆焼沢である。

 上掲の写真で分かるように、この橋の周辺も深い谷が続く厳しい地形となっている。この橋から登山者、沢登り者が出発することもあり、現在、この橋一帯が行政機関のなどの固定カメラの常時監視地域となっている。


写真 豆焼橋上の池田こみち
撮影:青山貞一  2010.9.19







 下は豆焼橋上から豆焼沢をみた映像である。




 下が豆焼橋。雁坂トンネルの出口左側に林道が見える。多くの沢登り者は橋手前の「出会いの丘」にクルマを置き、この橋を渡ってから林道に入り、林道終点まで行く。


豆焼橋。トンネルの出口の左側に林道が見える


豆焼橋から林道への入り口

 下はグーグルマップの地形図に今回遭難し死亡した2人が林道終点から滝川の沢までたどった推定ルートを示したものである。ルートはAとB二つである。

 
ひとつ目のAルーは、2人は林道終点から黒岩尾根登山道沿いに南下した後、標高1200mの尾根から標高900〜1000mの滝川本流の沢まで約200〜300mを下ったことになる。 このルートの到達点は、当初、ガイドが想定していたルートより500〜700m以上北側になる。

 
出典:グーグルマップより作成

 
ふたつ目のBルートは、ガイドが提案したルートに近いもので、2人は林道終点から黒岩尾根登山道沿いにAよりさらに南下した後、標高1200mの尾根から標高900〜1000mの滝川本流の沢(釣橋小屋跡近く)で、ヘリの墜落現場にほど近い沢まで約200〜300m下ったことになる。 

 
出典:グーグルマップより作成

 AルートとBルートの大きな違いだが、Bルートの場合、2人はおそらくヘリ墜落現場までたどり着いていることである。

 2人の記者は現地に到着し、ビデオカメラに脱落したヘリの残骸を収録した後、滝川本流で事故にあったことになる。

 上の図中、青の→のように下流に流され、釣橋小屋跡よりさらに北側の沢まで漂着したことが想定される。

 いずれにせよ、もしビデオカメラが回収でき、磁気テープがあればA、Bを問わずルートはかなりの確度で確認が可能となるだろう。


 上記を3次元の衛星画像(グーグルアース)でみるとどうなるか。

 下の3次元立体地図はAルートを想定し、3次元化したものである。GISで白い色のルートを図ると700−800mとなる。始点は林道終点であり、終点は遭難現場である。なお、以下の地図中、ブルーの色の滝川の本流である。


 
出典:グーグルアースより青山が作成。
   白線はGISのパスで計測した想定ルートである。

つづく