エントランスへはここをクリック   文化茶道徳川

大都会の中の日本の造形美

上野東照宮

2.誕生の歴史

青山貞一 Teiichi Aoyama   池田こみち Komichi Ikeda
山形美智子 Michiko Yamagata   鷹取 敦 Atsushi Takatori

December 19 2014
Independent Media
E-wave Tokyo
大都会の中の日本の造形美 
@はじめに D石灯籠 H唐門と透塀 L新旧社殿
A誕生の歴史 E青銅灯籠 I昇り龍と降り龍 M花鳥彫刻
B社殿と境内概略 F神楽殿と御水舎 J唐門周辺彫刻 N家康の遺訓
C大鳥居と水舎門 G新旧の唐門 K社殿と権現造
歴代徳川将軍家家系  徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間



寛永寺の門にある徳川家の紋章(寛永寺の正面門で撮影)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13





◆上野東照宮の歴史概要

 寛永4年(1627年)、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建しました。社伝によれば、元和2年(1616年)、危篤の家康から自分の魂が末永く鎮まる所を作ってほしいと高虎と天海に遺言されたそうです。

◆藤堂 高虎(とうどう たかとら)



 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。伊予今治藩主。後に伊勢津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。

 はじめ近江国の戦国大名・浅井長政の足軽として仕え、元亀元年(1570年)の姉川の戦いに参戦して織田軍の敵首を取る武功を挙げ、長政から感状を受ける。

 慶長3年(1598年)8月の秀吉の死去直前から徳川家康に急接近する。これは、高虎は元々家康と親交があって、家康の高邁な志を理解しており、他の大名たちは後漢末の劉表のようにただ領地を守ることに汲々としており、天下を治める事はできないが、家康は北宋の太祖・趙匡胤のような人物で、天下を治める力があると考えていたからだといわれている。豊臣氏の家臣団が武断派・文治派に分裂すると、高虎は武断派の諸将に先んじて徳川家康側に与した。



 その後、高虎は徳川家の重臣として仕え、江戸城改築などにも功を挙げたため、慶長13年(1608年)に伊賀上野藩主・筒井定次の改易と伊勢津藩主・富田信高の伊予宇和島藩への転封で今治周辺の越智郡2万石を飛び地とし、伊賀一国、並びに伊勢8郡22万石に加増移封され、津藩主となる。

 
家康は高虎の才と忠義を高く評価し、外様大名でありながら譜代大名格(別格譜代)として重用した。家康死去の際には枕元に侍ることを許された。家康没後は第2代将軍・徳川秀忠に仕え、寛永4年(1627年)には自分の敷地内に上野東照宮を建立している。

 晩年には眼病を患って失明している。寛永7年(1630年)10月5日に江戸の藤堂藩邸にて死去。享年75。墓は東京都台東区上野恩賜公園内の寒松院。

出典:Wikipedia

 現在の社殿は慶安4年(1651年)に家康の孫である徳川家光が改築したものです。

 社殿は平成21年(2009年)1月から平成25年(2013年)まで修復工事が行われ、平成26年(2014年)から公開されています。500円の拝観料で透塀内を見学できます。


◆上野東照宮の歴史

 以下の出典は上野東照宮のWebより

 1616年、2月4日、お見舞いのために駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤の家康公の病床に招かれ、三人一つ所に末永く魂鎮まるところを作ってほしいという遺言を受けました。

 そこで藤堂家の屋敷地であった上野に1627年に東照宮を造営しました。

 1646年には正式に東照宮の宮号を授けられました。

 
1651年に三代将軍・徳川家光公が大規模に造営替えをしたものが、現存する社殿です。

 金箔をふんだんに使い、大変豪華であったことから「金色殿」とも呼ばれています。

 
当時は東叡山寛永寺の一部でしたが、戦後神仏分離令により寛永寺から独立しました。

 
その後、戦争や震災などの災厄に一度も倒れることなく、江戸の面影をそのまま現在に残す、貴重な文化財建造物です。

 東照宮とは、徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社です。日光東照宮、久能山東照宮が有名ですが、全国各地に数多くございます。 そのため、他の東照宮と区別するため上野東照宮と呼ばれておりますが、正式名称は東照宮でございます。

 春はぼたん・桜の名所として、秋は紅葉狩り、お正月は初詣や冬ぼたん鑑賞の方で大変賑わい、開運・学業などの祈願成就を願う方が後を絶ちません。

  また、本格的な江戸建築を間近でご覧になれる神社として、この頃は外国人観光客も多く見られます。

 かつて江戸市民の家康公への信仰の対象であったこのお宮も、信仰や参拝の内容は変わりながら、今もなお多くの方に心の安らぎを与えていることは変わりないようでございます。

御祭神:徳川家康公 徳川吉宗公 徳川慶喜公

出典:上野東照宮公式Web


 ところで、東照宮といえば世界遺産に登録された下野(今の栃木県)にある日光東照宮がつとに有名です。

 しかし、東照宮は日本全国各地に数多くの東照宮があります。

 インターネット上に掲載されているある文献(Sketch)によれば、東照宮は、その成立や所属から以下のように分類できるとされています。

(1)将軍家の東照宮(江戸城内と家康公所縁の地にあるもの)大名が祀る東照宮(御三家・親藩・譜代大名が勧請したもの)

(2)社寺境内の東照宮

(3)天領の東照宮(石見・佐渡・長崎・蝦夷地では函館のほかになんと択捉島までにも及ぶ)

(4)有力者や庶民が祀る東照宮

(5)その他、久能山に葬られた柩を翌年に埼玉県川越市の喜多院経由で日光に移遷、その巡行の道筋各所(平塚-座間-府中-川越-東松山-行田-佐野-鹿沼)にも勧請されています。
 
 本論考シリーズ(増上寺、芝東照宮、日光東照宮、狭山山不動寺、上野東照宮など)では、(1)の
将軍家の東照宮を対象としています。


つづく