大都会の中の日本の造形美 上野東照宮 2.誕生の歴史 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 山形美智子 Michiko Yamagata 鷹取 敦 Atsushi Takatori December 19 2014 Independent Media E-wave Tokyo
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寛永寺の門にある徳川家の紋章(寛永寺の正面門で撮影) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13 ◆上野東照宮の歴史概要 寛永4年(1627年)、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建しました。社伝によれば、元和2年(1616年)、危篤の家康から自分の魂が末永く鎮まる所を作ってほしいと高虎と天海に遺言されたそうです。
現在の社殿は慶安4年(1651年)に家康の孫である徳川家光が改築したものです。 社殿は平成21年(2009年)1月から平成25年(2013年)まで修復工事が行われ、平成26年(2014年)から公開されています。500円の拝観料で透塀内を見学できます。 ◆上野東照宮の歴史
ところで、東照宮といえば世界遺産に登録された下野(今の栃木県)にある日光東照宮がつとに有名です。 しかし、東照宮は日本全国各地に数多くの東照宮があります。 インターネット上に掲載されているある文献(Sketch)によれば、東照宮は、その成立や所属から以下のように分類できるとされています。 (1)将軍家の東照宮(江戸城内と家康公所縁の地にあるもの)大名が祀る東照宮(御三家・親藩・譜代大名が勧請したもの) (2)社寺境内の東照宮 (3)天領の東照宮(石見・佐渡・長崎・蝦夷地では函館のほかになんと択捉島までにも及ぶ) (4)有力者や庶民が祀る東照宮 (5)その他、久能山に葬られた柩を翌年に埼玉県川越市の喜多院経由で日光に移遷、その巡行の道筋各所(平塚-座間-府中-川越-東松山-行田-佐野-鹿沼)にも勧請されています。 本論考シリーズ(増上寺、芝東照宮、日光東照宮、狭山山不動寺、上野東照宮など)では、(1)の 将軍家の東照宮を対象としています。 つづく |