大都会の中の日本の造形美 上野東照宮 4.大鳥居と水舎門 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 山形美智子 Michiko Yamagata 鷹取 敦 Atsushi Takatori December 19 2014 Independent Media E-wave Tokyo 無断転載禁
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寛永寺の門にある徳川家の紋章(寛永寺の正面門で撮影) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13 境内略図 出典:上野東照宮が配布するパンフレット ◆大鳥居 寛永寺から上野動物公園のフェンス沿いに南下すると上野東照宮の鳥居に出会います。この鳥居は、大鳥居と言い、1633年(寛永10年)酒井忠世が建築奉納しています。 大鳥居は国指定の重要文化財です。明神型の鳥居です。 石材には備前の御影石が使用されています。基礎工事が万全だったため、関東大震災の折にも少しも傾かなかったことで有名です。 大鳥居 大鳥居は、上述のように寛永10年(1633)に酒井雅楽頭(うたのかみ)忠世が奉納したものです。 昭和17年(1942)に旧国宝に指定されましたが、昭和二十五年文化財保護法の制定により国の重要文化財となっています。 この大鳥居は、天和年間(1681-1684)に地中に埋められ、50年ほどした亨保19年(1734)になり忠世の孫の忠知が掘り起こして元の位置に立て直したといわれています。 ◆山門 下は上野東照宮の山門をくぐり、有名な石灯籠がある参道に入る直前です。この上野東照宮にある参道入り口の山門は、水舎門(みずのやもん)と言われています。ただ、よく考えれば果たして神社にこの種の山門があるのは不思議です。 撮影:鷹取敦 デジカメ ソニー DSC-HX50V 2014-12-13 山門の先には沢山の石灯籠が参道沿いに並べられていますが、山門を下から見上げると、門は年代ものでボロボロとなっています。 後で調べて見たら、この水舎門は門ではなく社殿の右側にあります御水舎の上屋だけを昭和39年(1964)に門として移築・再利用したものでああることが分かりました。 ご承知のように、江戸幕府に戊辰戦争後勝利した明治新政府は、神仏分離令を出し、その神仏分離令は第二次世界大戦まで続き来ます。おそらくその後、上野東照宮の境内を整える一環として、御水舎の上屋をもってきたのでしょうが、あまにりもボロボロで何ら修復されていないのには、少々驚きます。 事実、上野東照宮の拝殿入場時にもらったパンフレットにも、公式インターネットサイトにも、この御水舎の上屋についての記述は皆無です。説明できないような背景があったとしか思えません。果たしてこんなことでよいのかと思います。
つづく |