大都会の中の日本の造形美 上野東照宮 15. 家康の遺訓 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 山形美智子 Michiko Yamagata 鷹取 敦 Atsushi Takatori December 19 2014 Independent Media E-wave Tokyo 無断転載禁
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寛永寺の門にある徳川家の紋章(寛永寺の正面門で撮影) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13 境内略図 出典:上野東照宮が配布するパンフレット ところで、社殿の建築物の外に、以下の徳川家康公御遺訓がありました。 いろいろなところで聞いたことがあるお言葉ですが、いずれも家康公のものだったのですね。 どれもこれも、ごもっともと言うほかはありません。 ホトトギスへの信長、秀吉、家康への対応で3人3様の考え方、生き方が比較されてきましたが、以下の教訓をよめば、家康公が沈思黙考というか、熟慮のひとであり、何事にも慌てず騒がない人間であったことが偲ばれます。 織田信長 「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」 豊臣秀吉 「鳴かぬなら鳴かしてみせようほととぎす」 徳川家康 「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」 徳川将軍のもと、300年もの長期にわたって江戸時代が続き、武家から町民までさまざまな文化が栄えたのも、家康公の以下の御遺訓を読むとなるほどなと思えます。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13 ちなみに、徳川家康の遺訓が書かれたのは慶長8年正月とありますが、征夷大将軍となったのが同じ年の2月で、年齢は61歳のときでした。信長・秀吉と仕えてきてやっと自分が将軍になった年ですね。そう思うとさらに重みがあります。 ,,,,,,本論考を終わるにあたって Closing Address 江戸から明治となり、日本は近代化=工業化をひた走り、さらに高度経済成長をとげ、現在に至っていますが、果たして、その経済成長一義の日本が歴史に刻めるような文化を残してきたかと言えば、おそらく「何も残していない」というのが本当のところでしょう。 また次世代、次次世代にまで持続可能な社会を残すという観点からも、現代は1000兆円以上の累積債務を残すだけで、あらゆる無駄、飽食をむさぼっていると言われてもどうしようもないと思います。それでいて、格差社会は拡大するばかりです。 この際、私達日本人は、全員、徳川家康公御遺訓を読み返し、持続可能な社会経済づくり、そして孫子に残せる文化とは何かを真剣に考えるときと思います。 なお、境内にはぼたん苑があり、4月上旬から5月上旬には「ぼたん祭」が開催されています。 下のパワーポイント(スライド)は、池田こみちが2007年1月に上野東照宮に来た際に撮影した寒牡丹です。 出典:池田こみち 今回の現地視察は12月ということで、残念ながらぼたんをみることはできませんでした。 さらに、上野東照宮には、広島市内に落とされた原子爆弾により家々が炎に包まれた、その種火を上野東照宮境内にて大事に保存しているそうです。 撮影:鷹取敦 今まさに、戦争が出来る国、する国への大きな一歩を踏み出した安倍政権ですが、戦争がいかに貴重な国宝、重要文化財、有形文化財などを焼失、破壊してきたかを、私達は一連の徳川将軍家の霊廟現地調査でいやというほど見てきました。 上野の森ひとつをとっても上野戦争、戊辰戦争により実に多くの貴重な貴重な国宝、重要文化財を喪失してきました。 なんのかんの言われながら日本国民が世界に誇れるのは、日本国憲法であり、それをベースにした国、地域づくりであると思います。国内外を問わず、どんなことがあろうとも、日本国民は戦争が最大の環境破壊であり、文化破壊であることを肝に銘ずる必要があると思います。 下は、上野東照宮視察を終え千駄木、根津に向かうために下った階段です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13 |