|
|
2014年12月23日、午前中は秩父市(旧荒川村、旧吉田町は除く)にあり増上寺の石灯籠が2つ以上ある寺院を現地調査しました。具体的には、四萬部寺、慈眼寺、野坂寺それに常楽寺の4寺です。ここでは、最初に調査の対象とした秩父札所1番の四萬部寺について報告します。 四萬部寺は、秩父市の北東部にあり、県道82号線に面しています。 四萬部寺の位置 出典:グーグルマップ 当日は朝から快晴、皆野町の宿泊先から四萬部寺に到着したのは午前9時30分頃、しかし多くの若い女性がお寺を訪れていました。 四萬部寺の位置 出典:グーグルマップ また四萬部寺の隣には巡礼者用の立派な宿坊(簡易宿泊所)がありました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 ◆四萬部寺の概要 ・一番札所 四萬部寺 ・埼玉県秩父市:誦経山(ずきょうさん)・四萬部寺(しまぶじ) ・宗派/曹洞宗 本尊/聖観音菩薩 ・住所:埼玉県秩父市栃谷418 ・電話:0494−22−4525 落ち着きのある発願の寺。本堂(観音堂)は、元禄10年(1697年) 建立の建造物で、埼玉県指定有形文化財。本堂正面欄間の地獄極楽の彫刻は必見。四萬部寺の名は、性空上人の弟子幻通が4万部の仏典を読経して、経塚を築いたことに由来。毎年8月24日には大施食会が行なわれ、関東の三大施食の一つとして有名。 札所一番 四萬部寺への行き方 西武鉄道・西武秩父駅から西武観光バス「定峰・皆野駅(三沢経由)ゆき」で約26分、皆野駅ゆきは「札所一番」下車すぐ。 定峰ゆきは「栃谷」下車徒歩3分。秩父鉄道・黒谷駅から徒歩45分。 ◆四萬部寺の縁起 この札所は妙音寺とも称し、秩父札所観音霊場三十四カ所は、ここから始まります。 観音堂は元禄10年(1697)に秩父の名匠、藤田徳左衛門吉久により建造されました。この堂は三間四面、表一間に向拝をふした入母屋造りで秩父札所中、特に整っており、昭和33年3月県指定文化財になっています。 本尊は「聖観世音菩薩」立像一本造り江戸時代の作です。境内に建つ施餓鬼堂では毎年八月二十四日、「四萬部寺の大施餓鬼会」が行われます。 御詠歌 「ありがたや 一巻ならぬ 法のはな 数は四萬部の 寺のいにしえ」 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 ◆四萬部寺の伽藍など 下は道路の反対側から撮影した四萬部寺の山門です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 四萬部寺は、秩父観音霊場、札所1番としてよく知られています、山門をくぐり中へ入ると、正面奥に朱塗り銅葺きの観音堂が端然と建っています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 観音堂 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 秩父札所1番は、秩父観音霊場、札所1番としてよく知られています。 山門をくぐり中へ入ると、正面奥に朱塗り銅葺きの観音堂が端然と建っています。元禄の頃の建築といわれ、精緻な造り、荘重で気品のある堂宇は県指定文化財になっており、緑の木立とよく調和してすごく美しいです。 秩父札所1番は昔、性空上人が弟子の幻通に、「秩父の里へ仏恩を施して人々を教化しなさい。」と命じました。幻通はこの地で四萬部の佛典を読誦して経塚を建てました。四萬部寺の名前はこれによるものです。 観音堂 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 本堂の中へ入ると、左の奥のほうへ、おたすけ観音様が安置されております。昭和初期の作で、多くの生命を救ってくださり、また、悩み、苦しみをおたすけくださるとて、大勢の人々に信仰されております。 直立不動の、均整のとれた気品のある美しいお姿であります。悩み、苦しみの多き時代となってきましたが、おたすけ観音様を拝み、多くの人々の心を救ってくださることを心より願っております。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 「八角輪蔵の施餓鬼堂」 この堂で行われる四万部の施餓鬼は、関東三大施餓鬼の一つとして大変賑わい、古くは、三十俵の米を炊き、詰めかけた信者はもとより、多くの乞食たちにも平等に施したものだったと云われています。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 関東三大施食の一つ 本堂の右手には吹き放しの屋根の中、方形内陣の上に八角輪蔵を納めた建物があります。正面に「施食殿」の大きな額があります。中央には地蔵尊が安置され、七面に供養の戒名が刻まれています。 毎年八月二十四日、このお堂で大施餓鬼会が行われ、その日は大変な賑わいで、秩父の僧侶は宗旨を問わず参集します。 古くから関東の三大施食の一つとして名を知られ、往時には三十俵の米を炊いて信者はもとより、多くの乞食にも等しく施したと言われています。そのためか、施食殿に続く二階建の庫裡は他に例を見ないほど大きく立派です。巡礼の団体がここで旅装を整えています。 「八角輪蔵の施餓鬼堂」 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 「八角輪蔵の施餓鬼堂」 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 「八角輪蔵の施餓鬼堂」 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 秩父札所1番は昔、性空上人が弟子の幻通に、「秩父の里へ仏恩を施して人々を教化しなさい。」と命じました。幻通はこの地で四萬部の佛典を読誦して経塚を建てています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 秩父札所1番寺本堂に向かって左側に、平和の鐘があります。この鐘には、秩父郡市出身の一千霊の名前が刻まれております。この鐘を静かに撞くことによって、その音色で英霊を慰めるといいます。 このお寺にきたら、この平和の鐘を静かに撞き、英霊を慰めましょう。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 下は秩父札所1番境内に、新しい建物の納経蔵があります。これはこの寺の縁起に因んで、一般から写経を募り、昭和の写経四萬部をここに奉安するものであります。先祖供養、水子供養、交通安全、厄除開運等はもろもろの心願成就のため写経をするもので、その功徳は無量であるといわれております。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 下は薩善蔵空虚蔵です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 ◆四萬部寺にある増上寺からの移築された石灯籠についての実態調査 伊藤氏の増上寺の石灯籠の移築調査によると、以下に示すように、四萬部寺には文昭院 の灯籠が2基あることになっています。ちなみに、文昭院は徳川家宣の院号です。 出典:※伊藤 友己氏 増上寺の石灯籠 <参考> 徳川家康 安国院(あんこくいん) 徳川秀忠 台徳院(だいとくいん) 徳川家光 大猷院(たいゆういいん) 徳川家綱 厳有院(げんゆういん) 徳川綱吉 常憲院(じょうけんいん) 徳川家宣 文昭院(ぶんしょういん) 徳川家継 有章院(ゆうしょういん)......増上寺 徳川吉宗 有徳院 (ゆうとくいん) 徳川家重 惇信院 (じゅんしんいん) 徳川家治 浚明院(しゅんめいいん) 徳川家斉 文恭院(ぶんきょういん) 徳川家慶 慎徳院(しんとくいん) 徳川家定 温恭院(おんきょういん) 徳川家茂 昭徳院(しょうとくいん) ◆青山貞一・池田こみち:歴代徳川将軍家家系 ◆池田こみち:徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間(和暦対応表) 本堂の正面、両側に増上寺の石灯籠がありました 観音堂の前に2つの石灯籠があります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 下はもう少し近づいたところで撮影した増上寺の石灯籠です。左右にひととずつ立派な石灯籠です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 下は左側の石灯籠です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 下は右側の石灯籠です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 下は左の灯籠です。はっきりと有章院の院号と武州増上寺の刻印があります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 下は右の灯籠です。はっきりと文昭院の院号と武州増上寺の刻印があります。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 四萬部寺では、上記のように有章院と文昭院の石灯籠が1基ずつ合計2基が確認できました。 |