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2014年12月23日、午前中は秩父市(旧荒川村、旧吉田町は除く)にあり増上寺の石灯籠が2つ以上ある寺院を現地調査しました。具体的には、四萬部寺、慈眼寺、野坂寺それに常楽寺の4寺です。ここでは、慈眼寺について報告します。 慈眼寺は、秩父市の中心市街地の真ん中にあり、近くには秩父市役所があります。 慈眼寺の位置 出典:グーグルマップ 慈眼寺は秩父市の中心部にありますが、参拝者専用の駐車場があります。これはすべての寺について言えることです。しかし、札所13番の慈眼寺は中心市街地にあるので駐車場はないかも知れないと思っていましたが、やはりありました。 慈眼寺の位置 出典:グーグルマップ ◆慈眼寺の概要 宗教法人 慈眼寺 埼玉県秩父市東町26-7 電話 & FAX 電話:0494-23-6813 FAX:0494-25-1982 メールアドレス ameyakushi@yahoo.co.jp 代 表 住職 柴原幸保 業務内容 日本百観音、秩父34ヶ所観音霊場第十三番目、曹洞宗旗下山慈眼寺。目のお寺として有名。目の祈願。永代供養、水子供養、ペット供養、人形供養、葬儀、先祖供養 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 ◆慈眼寺の縁起 太古の昔、日本武尊が東国遠征の折、当地に立ち寄りました。このとき、当初に御旗を建てさせたことにより、当山は旗の下と云い、ハケノ下と呼ぶようになりました。当寺草創以前より、この地は、佛様の意にかなう、霊地でありました。 月白く風清き夕は、必ず紫雲下り、雅の音声満ち、天より曼荼羅華を降らし、瑠璃摩尼等の瓔珞が輝き、笛や琵琶、太鼓、法螺の声澄み渡っていました。諸々の菩薩がそれを歌詠讃歎したので、人々は壇の下とも云いました。 ある時、音楽響き渡り、妙なる音が清らかに聞こえてきました。夜が明けてみると、観音様が、その尊容巍然と岩の上に存してました。里人、皆たいそう感激し、永く此の地に止まって、衆生済度たまわらんと強く願いました。信心の郷民は土木を運び、富ある居士は、財宝をなげうって、力を合わせたので、観音堂は、たちまちに完成しました。 開闢の日にあたって、一人の僧がおいでになりました。ご本尊様を深く礼拝して申しました。「この尊は、正しく行基の彫刻也。此の地有縁の像なれば、侘邦より飛び来たりたまえり。謹んで供養したまえ。」言い終わって、忽ちその姿を消してしまいました。そのお方は、行基菩薩その人でした。 明十八年(1486)に、秩父宮地の曹洞宗広見寺二世東雄朔法大和尚をご開山として迎え、曹洞宗慈眼寺が開かれました。 数多くの霊験を今に伝え、昨今でも、観音様のお導きにより此の寺を訪れる人は、後を絶ちません。薬師様の霊験により眼病平癒、お地蔵様の霊験により、子宝に恵まれたといった、御利益に預かる方々のお礼参りも大勢参詣になります。 出典:慈眼寺略縁起(じげんじ) http://e-jigenji.com/ 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 以下は別の資料からの縁起です。 1878年(明治11年)3月の秩父大火で焼ける前の堂は広壮なものだったが、1901年(明治34年)頃再建されたのが今の堂です。三間四面の小柄ながらも華麗な装飾を施した堂であります。秩父札所13番の本尊は行基作といわれる聖観音で脇仏は阿弥陀三尊。その一体が前述の火災の際に火をかぶり今も痛々しいお姿ながら残ります。この寺には、一切経輪蔵があります。 堂の中心に輪蔵形式の経庫があり、心柱の上に六角灯篭型の経蔵を置いて回転するようにしたもので、正面に釈迦像を安置し、他の五辺には黄檗版一切経1630巻が収めてあります。 これを回転すれば必要な経文が取り出せるし、回しながら礼拝すれば読誦したのと同じ功徳があると言われます。 なお、秩父札所を開創した十三権者の像がまつられているのは、秩父札所13番寺であります。経蔵の隣にある薬師堂は、薬師瑠璃光如来即ち目の神様として「め」の文字を入れた絵馬がたくさん奉納されております。 出典:札所13番旗下山慈眼寺 http://www.geocities.jp/fudasyo34_jp/temple-13.htm ◆慈眼寺の伽藍など 下は広い通りに面してある秩父13番補陀所です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 下は道路の反対側から撮影した慈眼寺の山門です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 慈眼寺の入口には薬医門と呼ぶ切妻造りの黒門があり、高い地輻をまたぐと左手に鐘楼、右手に経蔵と薬師堂が並んで建ち、正面が観音堂です。 鐘楼 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 さらに進むと、本堂が見えます。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 切妻造りの黒門をくぐると正面に立っているのが、明治34(1901)年頃建造された本堂です。 向かって右側に2つのお堂があり、ひとつは薬師瑠璃如来を祀る薬師堂です。 目に効くといわれていることから、多くのお札が掛けられています。 もうひとつは一切経輪蔵で、堂内に回転式の六角灯籠型経蔵があります。これを回しながらお参りすると、一切経を読誦したのと同じ功徳が得られるといわれています。寺務所では、納経帖や金剛杖など札所巡りに必要なアイテムを揃えているほか、メグスリの木のお茶のお振る舞いもあるそうです。 下の角度からは増上寺タイプの石灯籠が2つ確認できます。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 本尊は聖観世音菩薩で、お堂は、三間四面、表軒唐破風つきの流れ向拝をふして、入母屋づくりの屈指の建物です。 明治11年3月の秩父大火に類焼し、再建されました。屋根の正面に千鳥破風、唐破風様の流れ向拝を付け、軒下の彫刻や絵画のある格天上は見事です。 慈眼寺の本堂のすぐ右にある薬師堂は、目の守り本尊として有名でお堂いっぱいに「め」と書かれた絵馬が奉納されています。 秩父市の中心市街路の中心の一角にあるこの地は、昔より霊地としてその名も高く、日本武尊が東征の祭、この地に旗を立てた為「はたのした」といわれ、年を経て「はけのした」と呼ぶようになっています。 御詠歌 「御手(みて)に持つ 蓮(はちす)のははき 残りなく 浮世の塵を はけの下寺」 出典:宗派/曹洞宗 本尊/聖観世音菩薩 http://www.photo-saitama.jp/fudasho/chichibu/13.html 本尊の聖観世音菩薩です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 「メグスリノキ」 境内には眼の薬効成分を含む“メグスリノキ”が2本あり、納経所では樹皮のエキス入りの茶が飲め、エキス入りの飴も頒布している。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 本堂の左側にいたラビちゃんです。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 これもラビちゃんです。正面で目をつむっています。かわいい。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 ◆慈眼寺にある増上寺からの移築された石灯籠についての実態調査 伊藤氏の増上寺の石灯籠の移築調査によると、以下に示すように、慈眼寺には文昭院 の灯籠が2基あることになっています。ちなみに、文昭院は徳川家宣の院号です。 出典:※伊藤 友己氏 増上寺の石灯籠 <参考> 徳川家康 安国院(あんこくいん) 徳川秀忠 台徳院(だいとくいん) 徳川家光 大猷院(たいゆういいん) 徳川家綱 厳有院(げんゆういん) 徳川綱吉 常憲院(じょうけんいん) 徳川家宣 文昭院(ぶんしょういん) 徳川家継 有章院(ゆうしょういん)......増上寺 徳川吉宗 有徳院 (ゆうとくいん) 徳川家重 惇信院 (じゅんしんいん) 徳川家治 浚明院(しゅんめいいん) 徳川家斉 文恭院(ぶんきょういん) 徳川家慶 慎徳院(しんとくいん) 徳川家定 温恭院(おんきょういん) 徳川家茂 昭徳院(しょうとくいん) ◆青山貞一・池田こみち:歴代徳川将軍家家系 ◆池田こみち:徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間(和暦対応表) 慈眼寺の本堂の両側に増上寺の石灯籠があります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 下は左の灯籠です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 下は左の灯籠です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 下は左の灯籠です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 下は右の灯籠です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-23 下は右の灯籠です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 石灯籠をズームアップして見ると、何と文昭院ではなく、有章院という刻字がありました。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 石灯籠をズームアップして見ると、何と文昭院ではなく、有章院という刻字がありました。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-23 慈眼寺では、上記のように文昭院の石灯籠が2基ではなく、有章院(徳川家継)の石灯籠が2基が確認できました。 |