このブログは、2011年2月に行ったベトナムのホーチミン市への現地調査後に執筆したものに写真、解説を大幅に拡充したものです。 なお、ベトナムのホーチミン市への現地調査は、2010年11月に実施する予定でしたが、2010年11月9日早朝に青山貞一が自宅階段から落下し第2頸椎大事故が起き、緊急入院し、手術したため、2011年2月に延期になりました。11月20日退院し、事後経過も良好なことから、2011年2月に現地調査を敢行しました。 昨日(2011年2月23日)深夜、ベトナムから無事に帰ってきました。 現在のベトナムは、思いの外、東南アジアの経済センターとして街には活気が溢れ、とくに若者のエネルギッシュな活動が目立っていました。友人、知人にベトナムで仕事や研究をしたいというひとが増えていますが、実際、現地でその感覚を強く持ちました。 また、ベトナム国民の平均年齢なんと27歳だそうです!!! ちなみに日本の平均年齢は約45歳(2011年、44.9歳)です。 ベトナムと言えば、数少ない社会主義国家です。私(青山貞一)自身、過去60カ国以上世界各国を訪問していますが、新旧を問わず社会主義国は、中国、ロシア、東ドイツ、クロアチア、モンテネグロ、ポーランド、チェコ、スロバキア、リトアニア、ラトビア、エストニア、フィンランド、セーシェル共和国、そしてベトナムくらいであまり多くありません。 今回訪れたベトナムは、列記とした現存する社会主義国です。今のベトナムは中国など他の社会主義国同様、政治行政システムは社会主義をとっていますが、経済は一部の国営企業を除けば資本主義国顔負けのシステムを採用しているので、昔のソ連のような中央計画経済体制にはありません。 それにしても、ホーチミン市に行って驚いたのは、これが社会主義国かと思わせるほど、エネルギッシュで若者が活気に溢れ、まさに鰻登りの真っ最中であると感じました。このエネルギーは、今の東京はじめ日本の都市にはありません。 ベトナムは、特に中国との攻防が1000年以上にわたって続き、その後、フランス、アメリカ、日本と植民地支配、干渉を受けていました。それにもかかわらず、南北ベトナムを統一し、8000万人超に及ぶ活力あるすばらしい国家を構築しているさまは、立派です。 私達(青山、池田)にとって、ベトナムはと言えば、大学を卒業するころ(1970年)のベトナム戦争が鮮烈に思い起こされます。 ホーチミン市の戦争証跡博物館に展示されていた 胎児のホルマリン漬け 私たちが環境問題の調査や研究に入ったきっかけは、実はベトナムの枯れ葉剤によるダイオキシン禍問題と、日本の熊本のチッソによる水俣病問題です。両方ともちょうど、1960年代後半から1970年代にかけての歴史的にみて看過できない重大かつ悲劇的な環境問題と言ってもよいでしょう! ホーチミン市にはアオザイ姿があちこちに 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s8 あとのブログに掲載しましたが、過去、米国が参戦した3つの大戦争、すなわち、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争のなかで、歳月、戦費、爆薬量などで圧倒的な戦力をもっていたはずの米国が、ベトナム戦争では17年2か月の歳月をかけた挙句、小国のベトナムに完全敗北したのです。 米国はこのベトナム戦争からほとんど何も学ばず、湾岸戦争、アフガン戦争、そしてイラク戦争に突き進んでいます。おろかなことだと思います。 読者の皆様は、18本に及ぶ私たちのブログから、いかなる戦争にも正義、正当性などなく、戦争は社会経済的弱者を巻き添えにし、環境を根こそぎ破壊し、孫子の代まで悲惨をもたらすものであるかについて、お考えいただければ幸いです。
ところで今年春に青山貞一のところに取材に来られたウォールストリートジャーナル紙(米国の著名な新聞、WSJ: Wall Street Journal)の記者は取材後、「自民党が復活したことで、今後200年、日本の政治状況は変わらないだろうと」真面目な顔をして言っていました。 WSJの彼は、今の日本にはあらゆる面で魅力を感じないといって東南アジアとりわけベトナムへ行ってみたいと言っていました。 さらに私の昔からの環境問題や公共政策分野での友人は、20年以上前、日本に愛想を尽かし、カリフォルニア大学バークレーの大学院に行き、現地で女性のジャーナリストと結婚し、帰国後、名古屋で大学教授をしていましたが、最近彼からメールが来て、今ハノイにいると言うのです。 彼は再度日本に愛想を尽かし、日本の通信社に応募し、合格、何とハノイ支局の記者になり勤務することになったとメールしてきました。ともに彼らは日本だけでなく、米国にも愛想を尽かしていると言えます。 何と言っても、あのアメリカがしかけた前代未聞の大戦争にベトナムは勝利したのですからたいしたものです!! しかし、こともあろうか、この平均年齢27歳の将来あるベトナムに、日本は「政官業」で、原発を輸出しようとしています! なんてこったです。 ◆ベトナムへの原発輸出問題―日本は海外に原発を売ってはならない 中村梧郎(元岐阜大学教授、フォトジャーナリスト) ところで、当初使おうとした航空会社はキャシーパシフィックでしたが、キャンセル後にベトナム行きに使用した航空会社は、中華民国の中華航空(China Airlines)でした。中華航空の場合は、一端成田から台北に行き、その後、ベトナムのタンソンニャット空港に向かいました。 中華民国の中華航空(China Airlines) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s8 下はタンソンニャット空港のターミナルビルからの光景。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s8 ビルに大きくキャノンの文字が見えます。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s8 このあと、シャトルバスでホーチミン市の中心街にあるホテルまで行きました。すさまじい数のバイクが堂々と道の真ん中を走っています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s8 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s8 ホテルはドンコイ通りの市民劇場近くを少し北に入ったところにありました。永年東京にいて人の多さには驚きませんが、それにしても人の多さと喧噪にはびっくりです(笑い)。 ホーチミン市の中心市街地にある市民劇場 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s8 つづく |