今回は3泊4日の旅ですが、実質2日だけです。しかも、ホーチミン市だけの訪問です。 そこは仕事柄現地調査は、お手の物、ホーチミン市の中心地に位置する①戦争証跡博物館、②歴史博物館、③革命博物館、④作戦博物館、⑤トン・ドック・タン博物館など、ほぼすべての博物館、⑥統一公堂、⑦人民委員会、それに資料館など訪問しました。 いずれもベトナム戦争や独立と関連するものです。 ◆ベトナム戦争証跡博物館 とくに今回のメインの訪問先であるべトナム戦争証跡博物館には、海外からの多くの観光客はじめベトナムの学生らが見学にきていました。 ホーチミン市の戦争証跡博物館 ホーチミン市中心地における戦争証跡博物館の位置
ベトナム戦争における戦闘による死亡者概数 単位:人
ベトナム戦争でのベトナム人の死者推計
出典:SUZUKI Kentarou氏 : ◆米国が参戦した3つの戦争 (第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争)の比較 米国が参加した3つの戦争(第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争)の比較。継続年数は、第二次世界大戦が3年8か月、朝鮮戦争が3年1か月、ベトナム戦争が17年2か月と、ベトナム戦争が圧倒的に長い年月となっていることが分かる。 米軍が投下した爆弾では、第二次世界大戦が500万トン、朝鮮戦争が260万トン、ベトナム戦争が1430万トンと、やはり圧倒的にベトナム戦争が多いことが分かる。 さらに戦費では、第二次世界大戦が3410億ドル、朝鮮戦争が540億ドル、ベトナム戦争が6760億ドルと、ベトナム戦争が一番大きい。 また米軍の戦死者は、第二次世界大戦が40万5399人、朝鮮戦争が36407人、ベトナム戦争が58159人と、第二次世界対戦が多くなっている。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ホーチミン市の戦争証跡博物館 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 戦争証跡博物館は、ベトナム・ホーチミン市中心部にある、ベトナム戦争の歴史を綴る博物館です。 開館時間は7:30~12:00, 13:30~17:00。建物は3階建てで、屋外にはベトナム戦争で使用された戦闘機や戦車が展示されています。屋内には大砲や爆弾などの遺物、戦争の足跡をたどる貴重な記録が展示されています。枯葉剤の犠牲となった人々の写真もあります。 ベトナム戦争中に命を落とした戦場カメラマン、報道写真家たちについて紹介する階があり、ロバート・キャパをはじめとした世界中のカメラマンについての文が写真とともに展示されています。 日本人カメラマンも多く紹介されており、ピュリッツァー賞を受賞した沢田教一の『安全への逃避』も展示されていました。また、『地雷を踏んだらサヨウナラ』で知られる一ノ瀬泰造を紹介する文と、彼が愛用していたカメラ(ニコンF。弾丸が貫通している)の写真があります。 ホーチミン市の戦争証跡博物館の庭にて ホーチミン市の戦争証跡博物館の入口のすぐ左では 催奇形性の障害を背負った子供達が音楽を演奏していた 展示写真には映画の「地獄の黙示録」にでてくるような米軍の戦争行為、逃げまどう人々を撮影したピューリッツア賞受賞写真、中村悟郎さん(Eforum正会員) 、石川文洋さん、西村洋一さんらの写真がコーナーごとに多数展示されていました。 映画の「地獄の黙示録」 ◆戦争犯罪の記録 ?戦争証跡博物館 (トリップアドバイザー提供) ?戦争証跡博物館 (トリップアドバイザー提供) ?戦争証跡博物館 (トリップアドバイザー提供) ?戦争証跡博物館 (トリップアドバイザー提供) ?戦争証跡博物館 (トリップアドバイザー提供) ?戦争証跡博物館 (トリップアドバイザー提供) ?戦争証跡博物館 (トリップアドバイザー提供) 映画、地獄の黙示録のエントランス画面ともなった米軍のヘリ軍団の写真 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 有名なこの写真 『安全への逃避』もありました。沢田教一さん(UPI通信)が撮影したベトナム戦争の戦火を逃れるため河を泳ぎ渡る母親と子供の写真です。この写真は、ピューリッツァ賞を受けています。 沢田教一さんの 『安全への逃避』 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 下は戦争の恐怖と題したナパーム弾に怯える子供たちの写真 です。撮影は、Huynh Cong Ut(AP通信) 、やはりピューリッツァー賞の特集写真部門 を受賞しています。 戦争の恐怖と題したナパーム弾に怯える子供たち 展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 つづく |