◆統一公堂、旧大統領府 幸い、現在、統一公堂、旧大統領府の視察が完全okとなり、一階から屋上まですべて見ることが出来ました。すぐに思い出したのは革命前のマルコス大統領時代のフィリピン大統領府です(ここは2度訪問している)。 ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供) 統一公堂の入り口にて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ホーチミン市中心地における統一会堂の位置 統一会堂(トンニャット宮殿:Reunification Palace)はベトナムのホーチミン市の建物。政情が不安定だった時代に建物の呼び名もたびたび変遷し、1873年-1955年の呼称は「ノロドン宮殿」。1955年-1975年の間は「独立宮殿」。そして現在に至っています。 ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供) 動画撮影:青山貞一 Yashica ADV1025HD 撮影:池田こみち、Nikon Coolpix S10 以下はその歴史です。 初代 ノロドン宮殿時代 トンニャット宮殿の建設は、ベトナムを「フランス領インドシナ」として植民地下においていたフランスによって1868年に始められ、1873年に工事が完了しています。その後はコーチシナのフランスの知事および、第二次世界大戦が終結した1945年までのコーチシナのフランス総督によって建物は使用されました。 独立宮殿時代 1954年のディエンビエンフー陥落後に行われたジュネーヴ協定締結後にフランスが撤収し、1955年にベトナム共和国(南ベトナム)が成立した後には「独立宮殿」と改名されました。しかし、1962年2月8日にゴ・ディン・ジエム政権に対して起こされたクーデターの際に、南ベトナム軍将校が操縦する戦闘機による爆撃を受けて大破した後に取り壊されています。 二代目 南ベトナム大統領府及び官邸 1966年に、南ベトナムの建築家のゴ・ベト・チューによる4階建ての現代建築として再建され、ベトナム戦争終結まではベトナム共和国の大統領府及び官邸とされ使用されています。最初に使用した大統領(供用当時の肩書は「国家指導評議会議長」。1967年9月3日に正式に大統領に就任した)はグエン・バン・チューで、その後計3代の大統領が使用しました。 1975年4月8日には、北ベトナム軍が鹵獲したノースロップF-5戦闘機による爆撃を受けました。同年4月30日のベトナム戦争終結時に、サイゴン市内に突入した北ベトナム軍の戦車が当時は大統領府であったこの建物のフェンスを破り突入、南ベトナムの首都サイゴンは陥落しました。その際の映像は「一つの国が消滅する瞬間」として全世界に配信され有名となりました。現在でも、その当時のソ連製の戦車が敷地内で展示されています。 過去に使用した大統領 グエン・バン・チュー(完成時-1975年4月21日) チャン・バン・フォン(1975年4月21日-4月28日) ズオン・バン・ミン(1975年4月28日-4月30日) 現在 1976年に、共産主義の統一国家であるベトナム社会主義共和国が成立した後に「統一会堂」と改名されました。現在は南ベトナム大統領府当時のままで保存され、事実上の博物館として一般公開(大人15000ドン)されているほか、建物内の一部の部屋は国際会議などで使用される。また敷地内のテニスコートやゲストハウスなども使用されています。 贅沢の限りを尽くした旧大統領官邸 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供) ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供) ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供) 下は建物屋上。ヘリコプターが展示されていました。 ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供) おそらくこれ以上豪華な施設、設備はないと思えるほどの贅沢三昧の限りを尽くした大統領府であり、当時、人民がこれ以上ない生活苦や戦争による悲劇をよそに、傀儡政権のもとでこのようなことが行われていたことがよく分かりました。 ◆統一公堂、旧大統領府 階別施設の概要 1975年4月30日時点。現在もほぼそのままで保存されている。 1階 講堂 内閣会議室 バンケットルーム 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2階 大統領執務室 大統領作戦室 大統領応接室 副大統領応接室 書提出室 大統領官邸 大統領寝室 食堂 中庭 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 3階 大統領夫人応接室 図書室 映写室 ゲーム室 ヘリポート 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 4階 ダンスルーム バー 地上階 キッチン ギャラリー 地下階 作戦司令室(緊急用) 大統領寝室(緊急用) 士官室 なお、地下は通常爆弾による空爆に耐えられるような構造となっており、建物外に脱出するトンネルもあると言われている。 つづく |