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歌舞伎と両神山

小鹿野町

@まちの概要

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda

December 15, 2015
Independent Media E-wave Tokyo
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小鹿野町          10 11 12 

◆はじめに

 毎年、年末は秩父に骨休みを兼ね二泊三日で出かけてきた。今年も2015年12月13日〜15日にかけ、秩父の北東にある皆野町を拠点に二泊三日の旅に出かけてきた。

 下の2枚の写真のうち、上の写真は宿泊先ホテルの窓から写した到着日のものである。一方、二枚目の写真は翌日朝のものである。到着日は、雲が立ち込め到底、どこにも出かけられる状態にはなかった。翌日は好天とは言えないが、雲の切れ目に青空が少しのぞく天気となった。


 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2015-12-13


 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2015-12-14

 ところで私たちは過去、秩父にはいろいろな目的で10回以上出かけているが、今まで一度も探訪していないまちのひとつに、小鹿野町(おがのまち、Ogano town)がある。


◆小鹿野町の位置

 場所は下のグーグルマップの通りである。埼玉県秩父市は合併し広いが、その西、群馬県の上野村、南牧村の東、さらに長野県の川上村の東に位置している。北には神川町、群馬県の富岡市、甘楽町などがある。


出典:グーグルマップ
 

◆秩父事件との関連

 秩父事件との関連で言えば、小鹿野町も秩父事件が起きた地域の一部である。下の秩父事件関係略図の右側にある赤い線が秩父事件の進行を示しているが、その左側の矢印は小鹿野町に含まれている。

 さらに「困民党(秩父困民党。秩父借金党・負債党とも)」の一部は現在の国道299号線、通称、武州街道を通り、秩父(下吉田、石間など)や小鹿野町から十国峠を超えて信州小海の東馬流れ(まながれ)で追ってきた東京鎮台軍と交戦している(地図中、左半分の緑の太い緑色の線)。左端が長野県で×地点が東馬流れである。

秩父事件関係略図  出典:椋神社境内の看板
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8


 なお、秩父事件と小鹿野(薄、小森を含む)との関係については、以下に詳しい。
 
 ※圧制を変じて自由の世界を


◆小鹿野町内の交通

 ところで以下のマピオンの地図を見れば明らかなように、小鹿野町の周りはぐるりと秩父市が取り囲んでいる。


出典:マピオン

 ところで、この小鹿野町への行き方だが、町内に鉄道路線は無い。バス等で秩父鉄道の秩父駅・三峰口駅や、西武鉄道の西武秩父駅に出る必要がある。西武秩父線を軽井沢へ延伸する際に、小鹿野にも延伸する構想があったが、いまだ実現していない。

 乗用車以外の場合は秩父市からバス路線で小鹿野町まで行き、その後、町営バスに乗り換えることになる。列車、電車が通っていないので不便だが、その分、歴史や文化面で残された素晴らしいものがあるようだ。

 以下はバス路線である。

・西武観光バス 
 小鹿野・栗尾線 (西武秩父駅 - 秩父駅 - 小鹿野車庫 - 栗尾)
 志賀坂線 (小鹿野役場 - 坂本)
 倉尾線 (小鹿野役場 - 長沢)

・小鹿野町営バス
 長若線 (車庫 - 駒木野)
 日向大谷線 (小鹿野町役場 - 日向大谷口)
 白井差口線 (小鹿野町役場 - 白井差口)
 三峰口線 (小鹿野町役場 - 三峰口駅)

・西武秩父駅線 (西武秩父駅 - 小鹿野町役場 - 上野沢)
 小鹿野町営バスは旧両神村との合併を行う際に旧両神村営バスとも合併し、現在は旧両神村営バスの路線も小鹿野町営バスが継承している。

 一方、道路だが、小鹿野町には東西に国道299号線が走っている。この通りは秩父から日航機事故で有名な群馬県の上野村や事実上限界集落地域がある群馬県南牧村に通じ、さらに十国峠を経由して長野県の北相木村などに通じている。

 他方県道は以下の通りである。

 埼玉県道37号皆野両神荒川線
 埼玉県道43号皆野荒川線
 埼玉県道209号小鹿野影森停車場線
 埼玉県道279号両神小鹿野線
 埼玉県道282号藤倉吉田線
 埼玉県道283号下小鹿野吉田線
 埼玉県道367号薄小森線

 以下は国道299号線と主な埼玉県道である。


出典:グーグルマップ


◆小鹿野町の成り立ち

 一方、小鹿野町は現在に至るまで明治2年に小鹿野町が成立して以来、以下の表のように何回もの市町村合併を行い、小さな村を合併してきた。

 最後に合併となったのは、昭和31年3月31日の両神村(りょうかみむら)である。この両神村は、現在の小鹿野町の南半分近くを占める面積が大きな村であった。

明治2年以前 明治2年 明治22年4月1日 昭和30年4月1日 昭和31年3月31日 平成17年10月1日 現在
上小鹿野村 小鹿野町 小鹿野町 小鹿野町 小鹿野町 小鹿野町 小鹿野町
下小鹿野村 下小鹿野村        
伊豆沢村 伊豆沢村         
長留村 長留村 長若村      
般若村 般若村            
三山村 三山村 三田川村 三田川村    
飯田村 飯田村        
河原沢村 河原沢村        
藤倉村 藤倉村 倉尾村 倉尾村    
日尾村 日尾村        
薄村 薄村 両神村 両神村 両神村  
小森村 小森村        
出典:Wikipedia
 
 下は秩父地域の市町村合併をグラフ化したものである。

 現在の小鹿野町は黄色部分であるが、最後の合併以前では、小鹿野町の南半分を両神村が占めていたことが分かる。一方、秩父市(現在、緑色)は最後の合併により、吉田町、荒川村、大滝村を合併していることも分かる。吉田町は私達がここ10年間ほど現地踏査している秩父事件の中心地である。


秩父市、吉田町、大滝村、荒川村→平成17年4月1日より合併→秩父市へ(地図色)
小鹿野町、両神村→平成17年10月1日より合併→小鹿野町へ(地図色)

※横瀬町の合併はありません。
※皆野町、長瀞町は当初合併の予定でしたが決裂しました。
※詳細につきましては各市町村の合併協議会のページを御覧下さい

出典:秩父地域の市町村合併について、ちちぶ農業協同組合


◆小鹿野町の社会経済概要

 ところで、小鹿野町は埼玉県秩父郡にある町であり、秩父市への通勤率は25.1%である。

 埼玉県の西部に位置し、秩父盆地のほぼ中央に市街地を形成している。中心部の小鹿野地区は県内でもいち早く教育・交通・産業の振興など各分野で近代化が進められ、西秩父地域の中心地として発展してきた。

 以下は市町村合併後の小鹿野町の人口の推移である。グラフにあるように人口は1970年以降今日まで単調に減少しており、2010年時点の人口は13,432人である。全国の年齢別人口分布と比べると、明らかに高齢化が全国平均より遙かに進んでいることが見て取れる。


出典:総務省統計局の国勢調査


つづく