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小鹿野町 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
私達は過去、何度も小鹿野町の北部を東西に走る国道299号線を通過しているが、そこで見たものといえば、小鹿野が歌舞伎の町であるということであった。 たとえば、下の写真は小鹿野町役場に行く途中にあった看板である。「歓迎、花と歌舞伎のまち、小鹿野」とある。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2015-12-14 ここでは、まず小鹿野歌舞伎について学習しておこう。 ◆小鹿野歌舞伎について 小鹿野の歌舞伎約二百数十年前の江戸時代中頃に始められた。 町内には寛政4年(1793年)に歌舞伎を上演した記録も残っている。 文化・文政期(1804〜30年)に活躍した初代坂東彦五郎が一座芝居を組織し、その後、”勇佐座”、”天王座”、”大和座”と引き継がれ、秩父地域はもとより群馬県まで興行を行っていた。 映画・テレビの影響を受け、昭和30年代以降は衰退の時期を迎えたものの、旧大和座系の役者と町内各地で地芝居を続けてきた人たちが合同し、小鹿野歌舞伎保存会を結成(昭和48年)、昭和50年には埼玉県文化財の指定を受けている。 町内では、十六・小鹿野・津谷木・奈倉・上飯田・両神小森に伝承され、それぞれ地元の神社の祭に氏子が中心となって歌舞伎を演じているのである。 町内には常設舞台が十箇所程度残り、掛け舞台や祭り屋台(山車)に芸座・花道を張り出す舞台もある。 近年は子ども歌舞伎、高校生の歌舞伎、奈倉女歌舞伎などの活躍も見られる。衣装・かつら・下座・化粧・振り付けなどすべて町民でこなし、地芝居のデパートとも言われている。 私達は最初に、案内所のお年寄りに教えてもらった飯田地区にある八幡神社に向かった。 ◆飯田地区の八幡神社 最初は飯田地区の八幡神社である。国道299号線にあるはずだが、なかなか見つからず299号線を行ったりきたりしながら見つけた。 前日まで行事があったので、高い幟(のぼり)が沿道に沢山立ててあった。 小鹿野町飯田八幡神社 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2015-12-14 小鹿野町飯田八幡神社 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2015-12-14 下が飯田の八幡神社である。 小鹿野町飯田八幡神社 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2015-12-14 小鹿野町飯田八幡神社 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2015-12-14 小鹿野町飯田八幡神社 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-12-14 小鹿野町飯田八幡神社 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2015-12-14 下は立派なお神楽の舞台である。 小鹿野町飯田八幡神社 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2015-12-14 下は八幡神社のお祭りの時の氏子席のようだ。 小鹿野町飯田八幡神社のお祭りの氏子席 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-12-14 下が昨日まで行われていた八幡神社例大祭の鉄砲祭りのポスターである。その一環として小鹿野歌舞伎が行われたようだ。八幡神社は正式には小鹿野飯田八幡神社という。 小鹿野町飯田八幡神社(小鹿野) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2015-12-14 下は小鹿野両神観光協会の公式Webに見る鉄砲祭りと歌舞伎である。 師走の第2日曜日と前日は飯田「八幡神社」の例大祭である。 秩父路の祭りのフィナーレともいわれるこの祭りは、十字砲火の中を神馬が石段を一気に駆け上がる「お立ち」の神事に最高潮を迎える。 【写真上段】 小鹿野町飯田八幡神社(小鹿野)の鉄砲祭り 出典:小鹿野両神観光協会 屋台歌舞伎も前夜祭と本祭の昼と夜に公演される。 【写真下段】 小鹿野町飯田八幡神社(小鹿野)の歌舞伎 出典:小鹿野両神観光協会 つづく |