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歌舞伎と両神山

小鹿野町

J日中友好「神怡舘」3

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda

December 15, 2015
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小鹿野町          10 11 12 

 以下は中国山西省の紹介である。

◆中国山西省の概要

   山西省(英語:Shanxi)は、中華人民共和国の行政区分の一つ。省都は太原市。略称は晋。

地理
 北は万里の長城を挟んで内モンゴル自治区と、東は太行山脈を挟んで河北省と、南は黄河を挟んで河南省と、西は北上した黄河を挟んで陝西省とそれぞれ接している。

 山西高原は黄土高原の東部に当たり、北部では海河水系の沱河や桑乾河が東へ流れ、中部から南部は黄河水系の汾河が貫いている。主要都市は太原以外には大同がある。

民族
 構成民族は漢族、回族、モンゴル族、満州族など。中国語のうち晋語(晋方言)が話される。

歴史
 春秋時代には晋の領域であり、晋分裂後は大部分が趙、一部が韓及び魏に属した。秦代以降太原郡、河東郡等の管轄とされた。

 西晋の時代になると并州、司州、幽州が設置され、五胡十六国時代の前趙・後趙・北魏がいずれも大同を国都と定めた。南北朝時代になると北魏により并州・汾州・恒州・肆州・建州・晋州・泰州・東雍州の8州が、隋代には太原、上党などの13郡が設置された。

 隋末になると李淵が山西省で起兵し唐朝を建て、山西地区は河東道と称された。宋代には河東路とされたが、大同周辺は燕雲十六州の一部として遼朝の支配地域となった。

 元代になると山西地区は中書省直轄とされ山西道宣慰司が設置され、これ以降明代では1369年(洪武2年)に山西行中書省(1348年に山西布政使司と改称)、清代では山西省と「山西」の名称が使用される。

 中華民国成立後も山西省が設置されたが、1914年(民国3年)に省北部に察哈爾特別区域(後の察哈爾省)が設置され、1952年まで山西省から別行政区画とされていた。


経済
 沿海部に比べると、かなり貧しい地域だが、大同や大原には大型の炭鉱がある。中国経済史上、山西商人(晋商)は全国に勢力を延ばし、中国の金融を支配した。近年では経済発達に伴い、山西資本が沿岸大都市部の不動産投資を積極的に行っているといわれる。

・自然資源:石炭、鉄 ー 大同、太原には炭坑がある
・工業:鉄鋼、重機、自動車、化学工業
・農業:麦、トウモロコシ、高粱(モロコシ)、柿、葡萄など
・観光:世界遺産 ー 雲崗石窟(大同)、平遥古城など

山西商人
 中国の山西省出身の商人・金融業者の総称。山西は古くから鉄の産地として知られ、五代以降商人の勢力が形成されはじめたが、最も活躍したのは明清時代である。

 明代には北辺防衛の糧餉を確保するため開中法を施行したが、地の利を得ていた山西商人は米穀商と塩商をかねて巨利を得た。さらにその資金をもとに金融業にも進出し、活動範囲を全国に拡げ、新安商人とともに経済界を支配した。明代には塩商を典型とする政商として利益を得ていたが、清代には票号(為替)・銭舗(両替)・炉房(貨幣銭造)・当舖(質屋)の経営など金融業を主とし、その富で官界に影響力をもち、土地に対しても積極的に投資した。

 山西商人は徒弟制度を通じて同郷性を固守し、組合組織を固め祭祀や取引を共同にして、各地に山西会館を建てて活動の根拠地とした。19世紀後半には全国の為替業務をほとんど独占するほどであったが、新式銀行の発達や国際経済の中国浸透とともに衰退した。

 三国志に出てくる同郷の関羽を信仰し始めたのはこの山西商人であり、現在では中国全土はおろか、華僑のいる世界各地に、関帝廟が祭られるようになっている。

出典:Wikipedia

 下の3枚の写真は、中国山西省のものである。


中国山西省東北部の五台県にある古くからの霊山、五台山(ごだいさん)
出典:Wikipedia


山西省にある尊勝寺(別名・翠岩山院、善住閣院、真容禅院)の仏塔から見下ろした伽藍
出典:Wikipedia


山西省の塔院寺・大白塔   出典:Wikipedia


日中友好「神怡舘」、詳細

 以下は自宅に帰ってから調べた神怡舘についての詳細である。神怡舘は埼玉県と山西省の両県省友好のシンボル施設、「埼玉県山西省友好記念館」として当時の両神村に建設され、平成4年5月14日にオープンしている。

◆神怡舘

 埼玉県は、中国の山西省と友好姉妹州省で、文化や経済などいろいろな分野で交流がある。山西省は黄河文明発祥の地の一つで、岩に彫(ほ)られた仏像などの文化遺産がたくさんある。また、石炭がたくさん採れて、工業がさかんな地域である。

 神怡舘は、埼玉県と中国山西省との友好姉妹都市を記念してつくられた施設である。
 
はじめに

 1982年(昭和57年)10月27日に、埼玉県と中華人民共和国山西省との友好県省が締結されて、平成4年に満10年を迎えました。

 これを記念して、両県省友好のシンボル施設として「埼玉県山西省友好記念館」が当時の両神村に建設され、平成4年5月14日にオープンしました。

 オープン前日、旧両神村を会場に友好県省締結10周年の記念式典並びに埼玉県山西省友好記念館(神怡館)開館式、祝賀会が開催され、王森浩山西省省長を始め16名の友好訪問団が招待され、県内外から国際交流関係者等が集まり、両県省の変わらぬ友好と協力を誓い合いました。

「日中友好の里づくり事業」

 埼玉県と山西省は、国際交流事業の一環として、「日中友好の里づくり事業」を推進してきました。この事業は、相互に相手国風のシンボル施設を建設し、これを中心として、「友好の森」や「友好の道」を配置した友好の里づくりを行なおうとするものです。

 埼玉県山西省友好記念館は、中国山西省の五台山と景観が良く似ている両神国民休養地内に、友好の里づくりの中心施設として建設されました。山西省の歴史、自然、文化等を紹介し、県民の国際理解を深めるための施設で、今後、友好の森や友好の道の整備も予定されています。

 一方、山西省においても「中日友好の郷」事業が五台山台懐鎮において進められており、その中心施設として、川越の蔵造りをイメージした、和風宿泊施設「雲峰賓館庭院客房(和顔荘)」が建設されました。

 平成4年10月27日山西省太原市内において、埼玉県友好訪問団、旧両神村訪問団など8団体249人が参加し、友好県省10周年記念式典並びに、雲峰賓館庭院客房完成式典が開催されました。

「埼玉県山西省友好記念館『神怡舘』」

 埼玉県と中華人民共和国山西省との友好県省締結(昭和57年10月27日)を記念して、友好のシンボル施設として、県民に山西省の歴史、自然、文化等を紹介し、国際理解を深める為に設置されました。

施設の名称:   埼玉県山西省友好記念館 愛称を「神怡館」とします。
所在地:秩父郡小鹿野町両神薄2245番地
構造・規 模 鉄筋コンクリート造 平屋建 床面積 1,093u 展示面積729u
建物の外観: 中国古代寺院建築:唐代480年に建立され、857年に再建された五台山佛光寺の東大殿をモデルとしています。
基本設計は山西省最高の建築家が実施しました。  
工 事 費 等 建築工事費: 795,460 千円
展示関係: 290,688 千円、 1,086,148 千円

展示物の概要

展示コーナーの名称 主な展示物

・友好広場 五台山台懐鎮のシンボル塔院寺の大白塔の縮尺模型
・山西省の地形 模型地形図で山西省の都市、名所等をランプで表示
・山西省の自然 自然保護区、動植物等をグラフィックパネルで紹介
・山西省の歴史 晋祠侍女像、各時代の仏像等文物のレプリカ
・山西省の伝統工芸品 黒陶製品、漆壁画(永楽宮壁画と九竜壁)等
・山西省の民族芸能 晋劇の人形(衣装の山西省政府より寄贈) 伝統楽器
・太原市内の小学校の教室を再現した
・王君の一日 ビデオシアターで゙王君の一日の生活ぶりを紹介
・休憩室 山西省を紹介するビデオ(予定) 山西省[書・画]の展示
・山西省の特産品 山西省を中心としたお土産品の即売

利用案内
・開館時間 午前9時00分から午後5時00分まで
・休館日 毎週火曜日(但し祝祭日にあたる場合は開館します。)
※また、臨時に休館する場合がありますのでお問い合わせ下さい。

・入館料 大人  350円(高校生以上)
小人       150円(小中学生)
※団体・高齢者割引もありますのでお問い合わせ下さい。

問い合わせ先 埼玉県山西省友好記念館「神怡舘」
埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄2245番地
電話 0494−79−1493


つづく