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小鹿野町 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
ところで、概要で述べたように、現在の小鹿野町は、旧両神村を合併している。その旧両神村には、山岳信仰の対象となっている両神山がある。 以下に両神山の概要について紹介する。 ◆両神山 ・標高 1,723 m ・所在地 埼玉県秩父郡小鹿野町・秩父市 ・位置 北緯36度01分24秒 両神山(りょうかみさん)は埼玉県秩父郡小鹿野町と秩父市の境目にある山である。奥秩父山塊の北部にあり、標高は1,723m。日本百名山の一つとされている。 この両神山は昔から山岳信仰の霊峰であり、両神山、三峰山、武甲山をあわせて「秩父三山」といわれている。 概要 両神山の呼び名は、@イザナギ、イザナミの神を祀っていることから両神と呼ぶという説、A日本武尊の東征のおりこの山を八日間見ながら通過していったので八日見山と名づけられた説、B「龍神を祭る山」が転じて両神山となったという説など、諸説がある。 両神山は古くからの信仰の山であり、表登山道とされる東面の日向大谷からの道には、数多くの石仏、石碑、丁目石が残されている。浦島からの登山道にも興味深い石仏が残されているが、今は廃道となっている。 北麓の尾ノ内には龍頭神社があり、尾ノ内沢沿いに八丁尾根上の奥宮まで登拝路があるが、今では荒れていて危険である。山中、山麓の神社では、通常の狛犬の位置に山犬すなわち狼の石像が置かれている。狼を神の使いとする三峰神社の影響が窺われる。 地質学的には、両神山の多くの部分はチャート(SiO2 、水晶と同じ)という成分で形成されている。チャートは数億年前に海底に沈んだプランクトン(放散虫)の化石からできたもので、鉄よりも硬い(硬度7)。 4月下旬から5月中旬、山頂一帯にアカヤシオが咲く。自然林が多く残され、紅葉が美しいことでも知られている。 八丁峠から登るコースは鎖場の名所として有名。滑落者が埼玉県最多のコースでもある(『岳人』2011年4月号102P)。また、以前は旧両神村の白井差集落方面の登山道が山頂までの最短ルートであったが、行政(両神村・埼玉県や環境庁)と地権者との相続税に関する見解の相違からトラブルとなり2000年4月頃に地権者によってバリケードで封鎖されている。 その後、2000年10月に行政上廃道となり、道標なども何者かにより破壊されている。現在は日向大谷からの登山道がメインルートとなっている。 以下は地図上における両神山の位置である。 両神山は、小鹿野町、秩父市に加え上野村(群馬県)、南牧村(群馬県)の境にある。 両神山の位置 出典:グーグルアース 下は両嶺神社(里宮)にあった両神山全図である。 両神山全図 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-12-14 両神山全図の社務所部分の拡大図 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-12-14 下は両神山の全景である。両神山は、写真から分かるように大きなピークはなく、1km以上にわたってなだらかな尾根が続いている。 なお、山頂の標高は、1,723 mである。 両神山全景 出典:Wikipeida 下は両神神社(里宮)が近くにある日向大谷から上落合橋までの標高を示したものである。山頂はほぼ真ん中にあることが分かる。 両神山登山案内 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2015-12-14 以下はグーグルアースで3次元展開した両神山である。下は東から西を見た眺望である。 両神山全景 出典:グーグルアース 東から西を撮影 以下はグーグルアースで3次元展開した両神山である。下は西から東を見た眺望である。 両神山全景 出典:グーグルアース 西から東を撮影 ◆両神山の歴史 両神山はいずれも東面の日向大谷の両神神社<観蔵院>と浦島の御嶽神社<金剛院>の二院を主要拠点として、修験道が展開されてきた。 金剛院の古文書では1679年の御教書、観蔵院の古文書では1753年の補任状が確認されている。 後者は、さらに古い歴史を有する可能性があるが、幕末に集落ごと全焼する火災があったといわれ、多くの古い史料が失われたと考えられる。かつては女人禁制であった。初めて女性が登ったのは、1914年に講中登山として記録されている。 1935年に原全教が『奥秩父 続編』で両神山の歴史や伝承とともに、主なコースと一部の沢を紹介している。 1975年に飯野頼治が『両神山』で両神山の多くの尾根、沢コースを紹介している。 1980年に皇太子が当時の両神村長の案内で登頂している。 1990年に両神村史編さん委員会によって『りょうかみ双書3 両神山』が刊行された。両神山にまつわる歴史、伝承、地質、動植物などを記録している。山中の石仏、石碑などについても詳しい。 つづく |