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Cアマルフィ大聖堂と広場
Amalfi Cathedral and its Square

青山貞一 Teiichi Aoyama

2008年4月14日
転載禁
■青山貞一 南イタリア紀行 アマルフィ海岸
@ ローマでそしてナポリで、しばし呆然
A 絶壁、絶景のアマルフィ海岸を行く
B 紺碧の空と海、絵画のようなアマルフィ
C アマルフィ大聖堂と広場
D アマルフィの市民生活
E ワグナーが愛した天空の楽園、ラベッロ
F ラベッロから夕暮れのアマルフィへ、そして夕日
G 夕闇迫るポジターノ

●2008年2月23日(土) 午後
 
  すでにアマルフィの歴史のところで書いたように、アマルフィは9世紀に最新の造船技術と海洋術を開発し、非常短期間に巨万の富を築く。アマルフィはイタリアの海洋都市、すなわちヴェニス、ピサ、ジェノバに比べ、いち早く東洋やビザンチン帝国、そして北アフリカ諸都市との間で貿易を敢行し繁栄した。

 だが、その後の諸外国勢力によるアマルフィの支配と1343年冬の暴風によりその繁栄は瓦解する。


 いずれにせよアマルフィでひときわ異彩を放っている建築物が
アマルフィが世界に誇るアマルフィ大聖堂(Amalfi Cathedral)である。

 イタリア語で 
Duomo di Amalfi という。この大聖堂はまちの守護神であり漁師の守り神である聖人アンドレアを奉じるために9世紀に建立されている。

 そのアマルフィ大聖堂は、広場の階段の頂きにアマルフィのまちを見下ろすように建っている(下の写真)。大聖堂は2つの教会、地下室、階段、アトリウム、鐘楼(塔)、回廊から構成された複合建築物として、歴史建築学的にも著名なものとなっている。夕暮れともなると西日が正面のモザイクを金色に染め美しい。

 また教会の地下には聖人アンドレアの頭蓋骨が納められている。


 下の写真にある大聖堂正面の階段は57段ある。
 


アマルフィ大聖堂(カテドラル、ドウォーモ)と広場
イタリア語では、Duomo di Amalfi and the piazza.
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


アマルフィ大聖堂(カテドラル、ドウォーモ)の正面
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


大聖堂の正面広場。建築物の模様と色が大聖堂に合っている
Duomo di Amalfi and the piazza
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 下は、大聖堂の入り口から広場の方角に振り返ってみたアマルフィの岩山。


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 この大聖堂はアマルフィのまちでもっとも重要な広場に面している。もともとのカテドラルはロマネスク様式であったが、のちにバロック様式を取り入れる。イタリアいや世界的にも非常に希有でユニークな建築様式となっている。
 
 教会左の鐘楼や Chiostro del paradiso(天国の回廊)はどれもイスラム文化の影響を受けたもの
である。下の塔は12世紀に建立されている。


アマルフィ大聖堂(カテドラル、ドウォーモ)の鐘楼(塔)
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 大聖堂の正面から左の通路を進むと13世紀にに建立されたというイスラム様式の交差アーチをもつ天国の回廊(Chiostro del Paradiso、下の写真)がある。この天国への回廊は、その名の通り、もとはアマルフィのまちの有力者の墓地であった。

  天国の回廊では、下の写真にあるような流れるようなアーチの柱が世界的に絶賛されている。このイスラム(アラブ)文化独特のアーチを交差させたデザインはアルハンブラ宮殿に匹敵する幾何学模様である。

 回廊内の各所には当時のフレスコ画が幾つか残っている。回廊横からは、博物館へ進むことができ、博物館の階段を降りるとDuomoの地下、サンタンドレアの地下聖堂へ進むことができる。


イスラム様式の美しい幾何学模様。まさに天国の回廊である!
交差アーチをもつ天国の回廊(Chiostro del Paradiso)
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 大聖堂は古代9世紀にその起源を持っており、その後、何百年もの間も数回改新された。もとは9世紀だが、教会部分は1203年にArabo-Normanno様式で再建されている。この大聖堂の前の部分は多くの金色のモザイクで装飾されており、18611年に再建されている。


カテドラルの最上部を拡大したもの
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 上の写真の中央にあるモザイクはドメニコ・モレリである。 またカテドラルの青銅のドアは1066年、東ローマ帝国の首都、コンスタンチノープルで鋳造されている。というように、海洋都市国家、アマルフィは当時、地中海の強力な都市であった。

 この大聖堂の入り口のドアは、下の写真にあるようにキリスト、聖母マリア、さらにサン・アンドレアとピエトロの絵で装飾されている(下の写真はキリスト)。


1066年、コンスタンチノープルで鋳造された青銅のドア
The doors are decorated with figures of Christ, Mother
Mary, and the Saints Andrea e Pietro.
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


青銅の戸(門)がある入り口でガイドに聞き入る観光客
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 また1253年につくられた地下室は一見の価値があるというが、今回は時間の関係で割愛した。

 この大聖堂の複合建築物の中核部分は当初、9世紀に建設された教会であるとされてきたが、596年という年代が含まれる書簡を法王が記していたことから、最初の建立は6世紀ではないかという説もある。いずれにしても古い年代に建立されたことに違いはない。

 下の写真は大聖堂の内部。もとはロマネスク様式だったが、後になってバロック様式となっている。


大聖堂の内部。
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 大聖堂の内部には、ローマ帝国が崩壊した後も、独立王国として君臨したアマルフィの富裕な歴史を物語るように豪華な司祭台(説教台)、燭台がある。


大聖堂の内部。司祭台(説教台)
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


大聖堂の内部。聖母マリア像
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


大聖堂の内部。
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 大聖堂正面前、階段下の広場は下の写真にあるような重厚な石畳となっている。


大聖堂正面の広場の重厚な石畳
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 それにしても、今でもこの地に来るだけでも大変なのに、よくもまぁ、写真にある大聖堂を建立したものだと思う。おそらく海を通じて建築資材がアマルフィに運び込まれたのだろう。

 大聖堂の裏には、真っ白な壁が南イタリアの太陽に照らされた光り輝き、中庭には熱帯性の植物が沢山植えられいる。まさにオアシスを彷彿させ癒される。


南国風の風景
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

つづく