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G夕闇迫るポジターノ
Sunset at Positano

青山貞一 Teiichi Aoyama

2008年4月16日 
転載禁
■青山貞一 南イタリア紀行 アマルフィ海岸
@ ローマでそしてナポリで、しばし呆然
A 絶壁、絶景のアマルフィ海岸を行く
B 紺碧の空と海、絵画のようなアマルフィ
C アマルフィ大聖堂と広場
D アマルフィの市民生活
E ワグナーが愛した天空の楽園、ラベッロ
F ラベッロから夕暮れのアマルフィへ、そして夕日
G 夕闇迫るポジターノ

●2008年2月23日(土)夕暮れ

 アマルフィをあとに路線バスは一路、ポジターノに向かう。

 夕暮れの断崖絶壁の狭小な道をひた走る。すでに太陽は下にあるように、西の山影の下に落ちている。

 相変わらず、路線バスは結構なスピードで走る。

 すでに暗くなっているのでなかなかうまく写真が撮れない。下はやっとのことで写した写真である。


ポジターノ海岸の夕日。中央にあるのはトラジタ塔。
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 バスは太陽を追いかけ、西に向かう。そしてやっとのことでポジターノに到着した。

 バス停近くの有名な展望台からポジターノの町並みが次第に見えてくる。下の写真は最初に撮ったポジターノの夕暮れである。


夕闇迫るポジターノのまちなみ
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


 下の写真はバス停からムリーニ通りを抜け浜辺に降りる途中の町並みだ。


夕闇迫るポジターノ。バス停から浜辺に降りる途中の魅力的な通り
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 ポジターノは、この時期(2月)あまり観光客もなく、人影もまばらだ。それがいい。

 階段を下り浜辺まで降りる。

 下の写真は、浜辺から見上げたポジターノのカラフルな家である。欧州の雑誌でよく見かけるユニークな風景で、多くの小説や映画の部隊になっている世界第一級のリゾート地でもある。

 午前に山の上から見たポジターノとはまったく違った風景が展開する!

 この景観は世界で当然、オンリーワンで圧巻である。残念ながら、写真では夕暮れで山の急傾斜地に肩を寄せ合うように建てられたカラフルな家々の色がよくでていない。だが、浜辺から家々を見上げると圧倒される。これぞポジターノ!


  世界的に有名なポジターノのユニークなまちなみ
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


上の写真と同じ位置から昼間に撮影したポジターノの町並み
出展:Wikipedia イタリア語版

◆ポジターノ(Positano)について



概要

 ポジターノのまちの起源は古代ローマの解放奴隷であるポジディイがこの土地を所有していたことに遡るという。

 ポジターノはその後、隣の海洋共和国であるアマルフィの一部として大きく発展した。近年は有名な映画俳優、女優、監督、画家などの芸術家が別荘をこの地にもつなど、世界的なリゾート地となっている.

 基本データ:面積 8 km2、人口 3,862人、人口密度 483 人/km2

ポジターノの地形

 以下は3次元グーグル(グーグルアース)で見たポジターノである。背後のラッターニ山脈の標高がいかに高いかがよく分かる。

 
 3次元グーグルマップでみたポジターノ

ポジターノの歴史
 
 ポジターノは16世紀から17世紀に、アマルフィ共和国で繁栄した港の一つであった。しかし、19世紀半ばには、ポジターノの町は崩壊し厳しい時代を迎えることになった。人口の半分以上が移住し、そのほとんどはオーストラリアに移住したのである。

 20世紀初頭のポジターノは、どちらかと言えば、貧しい漁村であったが、1950年代に入り、多くの観光客を魅了するようになり、特に、ジョン・スタインベックが1953年5月に「ポジターノに寄せる深い思い(bite deepの意訳)」をHarper's Bazaarに発表してからというものは特に注目を集めた。

 スタインベックは、「そこは夢の場所、そこにいるときはそれほどではなくても、そこを離れた後は、その魅力が人を誘うほどにすばらしいものとして心に残る」と述べている。

ポジターノの文化・芸術

 ポジターノはいくつかの映画でも取り上げられている。たとえば、「Only You(1994)」や「Under the Tuscan Sun(2003)」などだ。また、港祭りの漫画大会?を主催し、そこでは、優秀作品にPulcinella賞が与えられる。

 1967年7月から1970年代を通じて、ポジターノにはシンガーソングライターであるショーン・フィリップスの自宅があり、多くの有名な作品がそこで作詞作曲された。また、ローリングストーンのミック・ジャガーやキース・リチャードは、休暇にポジターノのカフェを訪れ、「Midnight Rambler」をつくた。

 今日、観光はポジターノの主要な産業となっている。サンピエトロとルシレニューズという二つのホテルは、世界でももっともすばらしいホテルとしてよく紹介されている。

出典:Wikipedia English Version

 夕日に映えるポジターノのサンタ・マリア・アッスンタ教会(Santa Mari Assunta)。すでに夕闇が直ぐそこまで迫っている。

 下の3つの写真は、ポジターノの教会であるサンタ・マリア・アッスンタン教会(Santa Maria Assuntan)である。


ポジターノの教会、サンタ・マリア・アッスンタン教会(Santa Maria Assuntan)
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10




ポジターノの教会、サンタ・マリア・アッスンタン教会(Santa Maria Assuntan)
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
 
 夕暮れともなると、2月のポジターノはかなり寒い。海辺のカフェで一服しているうちに、下の写真のようにポジターノにも夕闇が迫った。



 そして次第にポジターノにもついに夕闇が訪れた。


日が落ちたあとのポジターノの風景。この後、家々に電灯がともる
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 夕闇迫るポジターノの浜辺からサンタ・マリア・アッスンタン教会の裏を通り、ムッリーニ通り、そしてバス停まで戻る。結構急な坂なので疲れる。この時間になるとさらに寒くなる。

 途中、ある家の前に下のようなすばらしいタイルが貼ってあった。これもポジターノの特徴だ


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 途中、白い細い路地にはいろんなハイセンスな瀟洒なお土産やさんが立ち並んでいた。アーティストが思い思いに自分の作品をもちよって売るバンカレッラもある。

 陶磁器、ヴェニスやドブロブニクなどアドリア海そしてソレントにもあった仮面、そしてポジターノファッションのアパレルの店など。

 数年前に行ったカナダ・ケベック州のケベックシティーの下町を思い出した。ケベックシティーは中世のフランスそのものだが、その一角にここのバンカレッラと同じようなハイセンスで瀟洒な下町通りがある。


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 こうしてまる一日の私たちのアマルフィ海岸の旅は終わった。私たちを乗せたSITAの青いバスは、ソレントを目指し走る。


ポジターノに着いたときの筆者


ポジターノを去るとき
疲れが顔ににじみ出ている(笑い)。筆者

 まさに「帰れソレントへ」! 

 明日の日曜日は、ソレント半島の突端でアマルフィ海岸の西端にあるカントーネに行く予定だ。

 なお、2月23日(土)1日の足跡は以下の通りである。

 サンタニェーロ→徒歩→ソレント駅→路線バス→アガタ→ポジターノ→フローレ→アマルフィ→海岸から市街視察→路線バス→途中乗り換え→ラヴェロ→休息→スカーラ→アマルフィ→路線バス乗り換え→フローレ→ポジターノ→アガタ→ソレント(タッソ広場)→徒歩→サンタニェーロ

◆アマルフィ海岸ブログをご覧いただきありがとうございました。
 アマルフィ海岸はこれでおしまいです。以下もぜひご覧下さい!


南イタリア紀行:ソレント・ブログ
 
南イタリア紀行:ポンペイ・ブログ