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シルクロードの今を征く

Now on the Silk Road


大唐西市博物館 視察4

シルクロード国際会議場でもある1階フロア

(Xi'an 中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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視察1 バスで博物館へ  視察2 博物館到着  視察3 オンサイト遺跡
視察4 国際会議場    視察5 常設展示場  視察6 街並ジオラマ 
視察7 街並ジオラマ2  視察8 出土品     視察9
出土品2 
視察10 天秤秤

 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

大唐西市博物館
視察4



 このように、大唐西市博物館はことのはじめからシルクロードに関連する諸国との民間歴史・文化交流を促進することに主眼が置かれています。その点で、西安市に数ある博物館のうち、大唐西市博物館はシルクロードとは切っても切れない関係があると言えます。

 以下は、大唐西市博物館を紹介する国連ユネスコの関係ホームページです。


出典:大唐西市博物館を紹介する国連ユネスコの関係ホームページ

 博物館に入って、右手壁には以下の写真のシルクロードのジオラマがあります。

 その下には、おそらく関連する国、地域の国旗がありました。おそらくこの壁掛けの大型地図ジオラマは遠隔操作で、国、地域の位置がLEDで輝くはずです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 そして大唐西市博物館の1階部分は、当初から大きな国際会議が開催可能な設定になっていました。後ろを見ると、以下の写真のように、階段状に椅子が設置されており、参加者が前面の大型スクリーン上に映し出される各種のプレゼンテーションをみることがきるようになっています。

 日本はシルクロードの終着点ですがなぜか国旗はありませんでした。

 事実関係として、いわゆるシルクロードは、中国の西安が起点であり、それより東の韓国や日本は対象外です。ただ、日本には群馬県はじめ多くの地域で養蚕が盛んであり、それによりできた生糸を用いたシルク製品もあります。ただし、これらは唐の時代など西暦7世紀から11世紀などではなく、ずっと近代に近い年代です。ちなみに、いわゆる秩父事件は、日本近代における埼玉県西部の秩父地方で、明治政府が鳴り物入りで進めた養蚕業が西洋諸国の価格暴落により生活が立ち入らなくなり、農民一揆を行ったことを意味します。

 たまたま青山と池田の神奈川県幹部の知り合いが横浜市の海岸にあるシルクセンターの専務理事をしていたことがあり、当時、シルクロードの起点は横浜であると勝手に想像していました(笑)。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900
 
 下は国際会議参加者の席からスクリーン側を見た写真です。純粋、民間の博物館でこれだけの施設、設備を備えているのは、世界広しと言え、ここだけではないかと思うほどでした。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下はシルクロード関連調査研究報告です。中国語、英語以外にロシア語、朝鮮語などもあります・


出典:大唐西市博物館 

 この後、私達は、以下の多数の写真入りの額物が懸けられている博物館職員の作業室らしき部屋を通り、博物館2階のメイン展示室に向かいました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下は2階にある常設展示場の案内図です。この案内図からは分かりませんが、2階のメイン展示場はかなりの広さがありました。


撮影青山貞一 Nikon Coolpix s9900


視察5へつづく