シルクロードの今を征く Now on the Silk Road 大唐西市博物館 視察8 西市からの古い出土品 (Xi'an 中国) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
総合メニュー 視察1 バスで博物館へ 視察2 博物館到着 視察3 オンサイト遺跡 視察4 国際会議場 視察5 常設展示場 視察6 街並ジオラマ 視察7 街並ジオラマ2 視察8 出土品 視察9 出土品2 視察10 天秤秤 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています ここででは中国西安市(長安市)にある大唐西市博物館を視察します。時代は618年から907年の唐の時代のものです。 ◆大唐西市博物館視察8 展示の最初は、西市から出土された唐代西市発掘品のうちのとりわけ古い出土品、 崑崙奴形鎮です。 唐代西市発掘品 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 崑崙奴形鎮(こんろんどがたちん=文鎮) 注)崑崙奴 コトバンクより 中国,三国時代以降,南海方面の黒い皮膚の奴隷に対する中国人の呼称。 僧祇奴,鬼奴,烏番黒,小厮番,小厮などとも呼ばれた。 注2)崑崙奴とは 崑崙奴とは、文字通り「崑崙の奴隷」という意味である。では、崑崙奴の「崑 崙」とは何か。その指し示すところは実に広大な範囲に及ぶ。『旧唐書』南蛮西 南蛮伝・林邑国に「自林邑以南、皆卷髮黒身、通號爲崑崙。(林邑より以南、皆 な卷髮黒身、通號して崑崙と爲す。)」とあり、同・真臘国に「眞臘國、在林邑 西北,本扶南之屬國,崑崙之類。(眞臘國は、林邑の西北に在り,扶南の屬國に して,崑崙の類なり。)」とあるように、中国の南、マレー半島及び南海諸島を 指すに始まり、李季平「唐代昆侖奴考」(注九)によれば、遠くアフリカ大陸の 東岸辺りまでを示すという。よって一口に崑崙奴といってもその実体は様々で、 ポリネシア系やニグロ系が混在していたと言えるだろう。(抜粋) 出典:唐代小説「崑崙奴伝」考 ―磨勒と水精をめぐって――《改訂版》 中国文学研究論集 第二号 川口秀樹 l 唐代西市発掘品 |