シルクロードの今を征く Now on the Silk Road イラン・世界遺産21 ペルシャのカナート (2016年) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
総合メニュー(西アジア) イランの世界遺産 世界遺産1 世界遺産2 世界遺産3 世界遺産4 世界遺産5 世界遺産6 世界遺産7 世界遺産8 世界遺産9 世界遺産10 世界遺産11 世界遺産12 世界遺産13 世界遺産14 世界遺産15 世界遺産16 世界遺産17 世界遺産18 世界遺産19 世界遺産20 世界遺産21 世界遺産22 世界遺産23 次はイランの世界遺産21です。 ◆イランの世界遺産21 ペルシャのカナート (2016年) 出典:Wikipedia 地図は下段にに大判のものがあります。 ゴナーバードのカナート Morteza Lal - http://parssea.org/?p=1371, CC0, リンクによる Source:Wikimedia Commons ペルシア式カナート(ペルシアしきカナート)は、イランの世界遺産の一つです。 紀元前のペルシアで生まれ、世界に伝播していった地下水路カナートは現代のイランにも数多く残りますが、その中でも技術や立地の点で代表的と見なされる11か所のカナートを対象とする世界遺産です。 カナート カナートの模式図 後述の#登録経緯や#登録基準の背景になる点を中心として、カナートについて概説します。 カナートは山麓に母井戸を掘り、水平に近いなだらかな勾配で横坑を延ばしていき、離れた地域に水を供給するシステムです。その掘削には測量が必要不可欠であり、その技術が洗練されていました。横坑を延ばす際に通気のためや作業のために多くの縦坑を空けることになるので、上空から見ると点状に縦坑が連なって見えます。 カナートは古代ペルシアで生まれたとされ、その始まりは紀元前2000年とも言われますが、正確な起源は不明です。 カナートについての最古の言及とされるのが、紀元前714年の事跡に関する楔形文字の記録です。それには、アッシリアのサルゴン2世がウラルトゥに遠征した際、オルーミーイェでの攻撃の一環で、何らかの用水路と思しき構造物の出口を破壊した旨が記載されており、これがカナートのことであろうと考えられています。 カナートはアラビア語ですが、そもそも大元の語源が何であるかは確定していません。アッカド語やヘブライ語で「葦」を意味していた言葉が変化したとする説や、もともとペルシア語だったものがアラビア語に入ったとする説などがあります。 ペルシア語ではカレーズ(kariz, カーリーズ)であり、イラン東部やアフガニスタンなどではこの語が使われています。カナートは更に東にも伝播し、中華人民共和国の新疆ウイグル自治区の坎児井(カンアルチン)などと呼ばれる用水路も、大元はイランから伝播した技術と推測されています。 韓国の萬能洑(マンヌンボ)や日本のマンボも類似の用水路ですが、日本のマンボの起源については、カナートとの類似性に注目してトルファン経由で伝播したと見る説と、カナートとの差異に注目して日本で独立して生み出されたとする説があります。 また、イランより西にも伝播した。オマーン周辺へは、ペルシアの勢力が及んだ紀元前6世紀頃に伝播したと考えられており、「ファラジ」(複数形アフラジ)と呼ばれています。「オマーンの灌漑システム、アフラジ」(オマーンの世界遺産、2006年登録)、「アル・アインの文化的遺跡群(ハフィート、ヒーリー、ビダー・ビント・サウドとオアシス群)」(アラブ首長国連邦の世界遺産、2011年登録)という2件のアフラジ関連遺産が、ペルシア式カナートより先に世界遺産に登録されています。 カナートの模式図 Samuel Bailey (sam.bailus@gmail.com) - 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons また、降水に恵まれるレヴァントでは、あまりカナートは発達しなかったのですが、パレスチナの世界遺産であるバッティールの農業景観は、カナートと結びついています。 北アフリカにはアラビア人を介してイスラームとともに伝播し、フォガラと呼ばれるその用水路は、リビア、アルジェリア、モロッコなどに見られます。旧市街がモロッコの世界遺産になっているマラケシュも、カナートによって発達した都市です。 カナートの技術はウマイヤ朝の拡大によってイベリア半島にも伝播しました。スペインの首都マドリードも、元はカナートによって開かれた町です。「トラムンタナ山脈の文化的景観」(スペインの世界遺産、2011年登録)の農業景観も、カナートと結びついています。ヨーロッパではドイツやボヘミアにも伝播しましたが、何よりもスペインでの定着は、大航海時代を経てアメリカ大陸への伝播をもたらました。 イランの分も含めた、世界中にあるカナートの総数は5万とも言われています。そのうち、発祥地となったイランに残るカナートの数は37,000以上あるいは約4万と言われ、2010年代半ばの時点で稼動中なのは25,000とされています。 カナートはテヘラン、ヤズド、エスファハーンといった主要都市を育んだだけでなく、古代にあってはペルシア帝国の成長を支えました。また、民俗とも結びつき、「カナートの結婚」という儀式が残る地方もあります。 これはカナートの水が涸れないように、未亡人の中からカナートの妻を選び、婚礼を含む祭事を挙行するものです。これは単なる伝統行事としてだけでなく、社会福祉としての側面も指摘されています。というのは、妻に選ばれた未亡人は、対価として報酬を受け取り、最低限の生活保障がなされるからです。 エスファハーンのカナート内部 NAEINSUN - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons 補遺 以下に構成資産の概要を示します(緩衝地域の*印は、全く同じ範囲を共有していることを示します)。なお、特記事項は、推薦された際にどのような点で代表的とされたのかを指します。 ペルシャのカナート 構成資産(11か所)の一覧表
ペルシャのカナート 構成資産(11か所)の地図 出典:Wikipedia Source:Wikimedia Commons ◆ペルシャのカナートの世界遺産への登録基準 この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用)。 (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。 世界遺産委員会はこの基準の適用理由を、「ペルシア式カナートは、過去の偉業と歴史的ソリューションが歴史的層序を形成している。様々な文明の形成においてその存廃を左右したカナートの役割があまりにも広範なので、イラン砂漠高原におけるその文明の基盤は『カナート(カレーズ)文明』と呼ばれている」等とした。 (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。 世界遺産委員会はこちらの基準については、「ペルシア式カナートは、世界の乾燥・半乾燥地域での人類の定住史における重要な段階を例証する技術的集積体の、顕著な例である」とし、カナートが「乾燥・半乾燥地域では砂漠様式の建築・景観の創出に繋がった。そこにはカナートそれ自体だけでなく、貯水池、水車、灌漑システム、傑出した砂漠庭園、都市・農村の砂漠建築といった、関連する構造物群も含む」[37]等とした。 世界遺産22へつづく |