シルクロードの今を征く Now on the Silk Road イラン・世界遺産9 イランのアルメニア人修道院建造物群 (2008年) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
総合メニュー(西アジア) イランの世界遺産 世界遺産1 世界遺産2 世界遺産3 世界遺産4 世界遺産5 世界遺産6 世界遺産7 世界遺産8 世界遺産9 世界遺産10 世界遺産11 世界遺産12 世界遺産13 世界遺産14 世界遺産15 世界遺産16 世界遺産17 世界遺産18 世界遺産19 世界遺産20 世界遺産21 世界遺産22 世界遺産23 次はイランの世界遺産9です。 ◆イランの世界遺産9 イランのアルメニア人修道院建造物群 (2008年) 出典:Wikipedia イランのアルメニア人修道院建造物群の位置 出典:グーグルマップ イランのアルメニア人修道院建造物群 (2008年) http://www.armenica.org, CC 表示-継承 3.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons 概要 イランのアルメニア人修道院建造物群とは、2008年にUNESCOの世界遺産に登録された。聖タデウス修道院(西アーザルバーイジャーン州)、聖ステファノス修道院(東アーザルバーイジャーン州)、生神女マリア聖堂から構成されています。 イラン北西部(いわゆる古代アルメニアの地域)に位置するこの地域は、キリスト教の揺籃期より、キリスト教(アルメニア使徒教会)を受容してきた地域です。 アルメニア人は、キリスト教を世界で最初に国教としたことで知られており、その信仰の中心地として、修道院が建設されてきました。 イランのアルメニア人修道院建造物群 出典:イランのアルメニア人修道院建造物群 |世界遺産オンラインガイド しかし、地質学的に地震が多い地域であることから、世界遺産に登録されている3つの物件は、大地震のあとに再建されたものです。聖ステファノス修道院の再建は、15世紀に実施されています。 当時のイランを統治していたサファヴィー朝はアーザルバーイジャーン地方やアルメニアをめぐって、オスマン帝国と覇権を争っており、サファヴィー朝はアルメニア教会を保護する目的もあり、再建を支援しました。 また、聖タデウス修道院の再建は1814年のガージャール朝の王子であるアッバース・ミールザーの手によって行われました。ロシア帝国に圧迫されたガージャール朝もまた、アルメニア教会を保護する目的もあり、再建を支援しました。 The photo has been retrieved from the National Archival Service of Norway. The photo is part of a series of reversal film photos from Bodil Biorn, a Norwegian missionary, humanitarian, nurse and midwife. She was engaged in humanitarian work in Armenia and Syria, amongst other places, through the association Kvinnelige Misjonsarbeidere. Original caption (translated): Old Armenian church 不明 - National Archives of Norway, パブリック・ドメイン, リンクによる Source:Wikimedia Commons ◆イランのアルメニア人修道院建造物群の世界遺産への登録基準 この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用)。 (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。 (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。 (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。 世界遺産10へつづく |