シルクロードの今を征く Now on the Silk Road イラン・世界遺産23 ![]() 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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総合メニュー(西アジア) イランの世界遺産 世界遺産1 世界遺産2 世界遺産3 世界遺産4 世界遺産5 世界遺産6 世界遺産7 世界遺産8 世界遺産9 世界遺産10 世界遺産11 世界遺産12 世界遺産13 世界遺産14 世界遺産15 世界遺産16 世界遺産17 世界遺産18 世界遺産19 世界遺産20 世界遺産21 世界遺産22 世界遺産23 次はイランの世界遺産23です。 ◆イランの世界遺産23 ファールス地方のササ-ン朝の考古学的景観 (2018年) ![]() 出典:Wikipedia ![]() アルダシール1世の宮殿跡 Ahura21 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる Sourec:Wikimedia Commons 概要 ファールス地方のサーサーン朝考古景観は、イランの世界遺産の一つである。ファールスに残るサーサーン朝の遺跡のうち、成立・勃興期に当たる3世紀と、末期に当たる7世紀頃の計8件の考古遺跡を対象としています。 構成資産 8件の構成資産は、イランの地方行政区画上はファールス州のフィールーズアーバード郡、カーゼルーン郡(英語版)、サルヴェスターン郡に属し、フィールーズアーバード(5件)、ビーシャープール(3件)、サルヴェスターン(1件)の3か所に大別されています。基本データを示すと以下の通りです。
・フィールーズアーバード フィールーズアーバードは、シーラーズの南方[注釈 3]に位置する町。フィールーザーバード、フィルーザーバード、フィルザーバードなどとも表記されます。サーサーン朝初代の王であるアルダシール1世(在位224年 - 243年が首都としていたことがあり、彼が建てた建造物群が残っています。 5件の構成資産は、いずれも戦略的な要地だった Tang-i Ab渓谷周辺に位置します。 ドフタル城(ガルエ・ドフタル)(乙女の城)は209年に渓谷北端にあたる断崖の上に築かれた城塞で、サーサーン朝建国前のアルダシールがパルティアとの戦いを目的に建てたものです。 王権の象徴を授与されるアルダシール1世のレリーフは、サーサーン朝の国教とされたゾロアスター教の神アフラ・マズダーから、王権の象徴を授けられる場面が描かれています。このレリーフは渓谷の右岸に刻まれており、7m x 3.7mの大きさです。なお、同様のモチーフを描いたレリーフはナクシェ・ロスタムとナクシェ・ラジャブにも見られます。 アルタバノス4世に勝ったアルダシール1世のレリーフは、アルダシール1世がパルティア最後の王アルタバノス4世を破った際の戦勝記念碑です。渓谷南端に位置するそのレリーフのサイズは幅18m、高さ4mで、現存するレリーフとしてはイラン最大でした。 シャフレ・グール(アルダシールフルラ)はアルダシール1世が築いた円形都市で、現在のフィールーズアーバード市からは3km離れています。直径は1950mで、イランでは最初の円形都市とされます。中心部には行政や祭祀に関する建物があり、アルダシール1世が使った火の寺院と推測されている遺構も残っています。 アルダシール1世宮殿は、サーサーン朝の王権を樹立した後に建てられた宮殿のため、堅固な防壁は備えていません。 ・ビーシャープール ビーシャープール(古代の都市)は、アルダシール1世の後を継ぎ、サーサーン朝の拡大・強化に貢献したシャープール1世(在位243年 - 273年)にちなんだ名前の都市で、その遺跡はカーゼルーン近郊にあります。「サーサーン朝の栄光と偉大さを物語る最も重要な史跡」ともいわれる都市遺跡には、エデッサの戦いに勝利し、ローマ皇帝ウァレリアヌスを捕虜にした後に築かれたウァレリアヌス宮殿や、ゾロアスター教の水の女神アナーヒターを祀る寺院などが残っています。 ウァレリアヌス宮殿には、捕虜のウァレリアヌスが幽閉されていたという説もあります。5万人以上の人口を擁していた時期もあり、サーサーン朝滅亡後も、10世紀後半までは存続していたようです。 シャープール洞窟はビーシャープールから6 kmに位置する洞窟で、標高800mの高さに位置する入り口に巨大なシャープール1世の立像があるため、シャープール洞窟と呼ばれます。その高さは6.7m[13]、重さは30トンあると言われています。 ・サルヴェスターン 都市サルヴェスターン(英語版)の南10km前後に残る宮殿の遺跡が、サルヴェスターン郡唯一の構成資産です。 そのサルヴェスターンのサーサーン朝時代の宮殿は、5世紀前半の王バハラーム5世(バハラームグール)が建てたとも言われますが、放射性炭素年代測定で資料から測定される年代は7世紀後半から9世紀までのものです。ゆえにサーサーン朝末期の建造物であり、王朝滅亡後もしばらく利用されていたと言えます。機能としては王宮と信じられていましが、考古学的知見を基に「火の寺院」だった可能性も指摘されています。 ◆ファールス地方のササン朝の考古学的景観の世界遺産への登録基準 この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用)。 (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。 世界遺産委員会はこの基準の適用理由について、「サーサーン朝の建築的ランドスケープは、アケメネス朝やパルティアの文化的・宗教的伝統および建築的・芸術的アプローチの影響を受けている」[27]等とした。 (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。 世界遺産委員会はこの基準については、「サーサーン朝の建築的ランドスケープは、建築様式・技術の創出・革新の傑出した証拠を備えている」[27]等とした。 (5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。 世界遺産委員会はこの基準については、「サーサーン朝の建築的ランドスケープは、サーサーン朝文明の文化的景観の創出だけでなく、土地利用の有効なシステムと、自然地形の利用の完璧な例を代表する」[27]等とした。ただし、上記の通り、将来的な拡大も織り込んだ適用であって、2018年の登録時点ではこの資産は文化的景観とは位置づけられていない。 |