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法門寺 百度百科12

(宝鶏市、陝西省)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月、更新:2020年4月1日
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陝西省宝鶏市 法門寺詳細中国百度百科)
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 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

 これは中国陝西省宝鶏市にある法門寺の詳細解説(出典・百度百科12)です。

◆法門寺(百度百科12)

  

第五:地宮の中からは、完璧な形で、唐代宮廷の茶道具セットが出土しています。これは、現時点では、年代的にも最も古く、最も高級な完全な宮廷茶道具といえます。この茶道具セットには、茶箱、茶篩箱(茶羅子)、茶碾き箱、茶器を入れる篭(茶篭子)、塩台、そして風炉がありました。


出典:百度百科

 昔から唐王朝の人々は茶を飲むときには、餅茶(固められたお茶)を碾いて使用していたので、茶を挽く道具が必要で茶碾子は茶葉を挽くために必ず必要な道具でした。粉茶を造るために餅茶を砕いてふるいに掛け、その後、茶の粉末(抹茶)を煮て用います。茶を煮るために風炉を用います。茶に使う水は沸騰させ、その中に茶を入れて、湯呑みの下には茶托を敷きます。

 唐の人々が茶を飲む時には習慣として茶に山椒と塩を加えていたので、塩茶とも呼ばれていました。そのため、塩台は欠かすことの出来ない物でした。加えて、茶餅の貯蔵が必要な場合には、必要な分だけ茶を篭に入れておきました。茶餅を碾いて粉にし、その後に茶を沢山提供するので、必ず茶箱は必要となります。

第六:地宮の中で最近発見された、「双輪十二環金花銀錫杖」(二つの輪に12個の環がついていて、金で花の模様をつけた銀錫の合金でつくった杖)は最も古く、大きくかつ最高級のもので、近年発見された仏教法器の中では最も精緻で美しいものの一つであり、「王の錫杖(しゃくじょう)」と呼ばれています。まさに世に希な珍宝とされています。

 法門寺地宮からは、3本の錫杖が出土しており、その中でこの錫杖は最も人々の注目を集めた一品です。錫杖又は、[声杖」あるいは「鳴杖」とも呼ばれ僧の修行や各地を行脚する時に常に身につけて携帯していた18の品々の一つで、仏教以外の宗教(例えばヒンズー教)では、錫杖を持って物乞いをしたり、害虫を駆除するために用い、密教では、錫杖は仏菩薩の内証(自らの心の中で悟ること)と本誓(衆生済度の誓願)をあらわすものとされていました。

 双輪十二環金花銀錫杖の本体の長さは1.96メートル、杖の首の部分には、二つの銀製の桃形(金糸梅の花のつぼみが桃形であるため)の飾りが付けられ、金の花飾りが施された12枚の金環が4つの輪に掛けられています。輪の頂上には、蓮の花が上向きに開いおり、流雲が束ねられた上にも蓮花座の層があり二層になっています。座上には、象嵌で知恵の輪が一つ描かれています。長くて細い杖の本体部分の飾りは金メッキので模様が施され、ぐるっと一周している立体的な蓮の花弁の下には、12人の生き生きとした縁覚僧の姿が刻まれています。

 注)錫杖
  錫杖(しゃくじょう)は、遊行僧が携帯する道具(比丘十八物)の一つである杖。
  有声杖、鳴杖、智杖、徳杖、金錫ともいう。
   銅や鉄などで造られた頭部の輪形に遊環(ゆかん)が6個または12個通してあり
、  音が出る仕組みになっている。このシャクシャク(錫々)という音から錫杖の
  名がつけられたともいわれる。仏教の戒律をまとめた書である『四分律』『十誦
  律』などによれば、この音には僧が山野遊行の際、禽獣や毒蛇の害から身を守る
  効果があり、托鉢の際に門前で来訪を知らせる意味もあるという。教義的には煩
  悩を除去し智慧を得る効果があるとされる。錫杖の長さは通常170センチメート
  ル前後であるが、法会、儀礼の場で使われる梵唄(ぼんばい)作法用の柄の短い
  ものがある(手錫杖)。

 注)縁覚 Wikipedia
  修行者の性質や修行の階位を示す仏教用語で、性質としては仏の教えによらずに
  独力で十二因縁を悟り、それを他人に説かない聖者(無師独悟)を指す。階位とし
  ては菩薩の下、声聞とされる。縁覚は寂静な孤独を好むために、説法教化をしない
  とされる。(後略)

第七:地宮から発見され14点の唐宮廷の秘色(青磁)の陶器はこれまでに発見された物の中で最も古く、碑文に青磁陶器の証拠が記載されています。青磁の陶器は古代の有名な窯が朝廷に献上したもので一種の特別に製造された陶器の一品です。いわゆる「秘色(青磁)」は、宋時代の人々の解釈によると呉越時代の銭氏が政権を握っている時に越の窯を制し、朝廷が使用する陶器を専門に焼くように命じ、庶民は使用することが許されませんでした。また、陶芸の釉薬や土などの配合については秘密としたため、この名が付いたとされています。

 ある人々は、「秘」というのは「神秘」ではなく、当時の陶器の色の総称であり、晋時代には縹(ひょう、はなだ=薄青色)の陶器をすべて青瓷(あおじ)と称していたようなものだと指摘しています。

 日本の古い陶磁器研究者は「秘色」はすなわち「翡色」であり、「秘」と「翡」の発音は同じであるとしています。「秘色」がどんな色かにかかわらず、秘色の陶器は、越窯青瓷の素晴らしい作品であり、唐人である陸亀蒙の《秘色越器》の詩において立証されています。曰く、「九秋風露越窯開,奪得千峰翠色来。好向中宵盛沆瀣,共嵇中散門遺杯」。

 注)陸 亀蒙(陸龜蒙、りく きもう、? - 881年)
  中国・唐の詩人。字は魯望。自ら江湖散人・甫里先生、または天隨子と号する。
  本貫は蘇州呉県(現在の江蘇省蘇州市呉中区)。則天武后の時代の宰相陸元方の
  七世孫であり、父の陸賓虞はかつて侍御史を務めた。

 「秋の日に越州窯の窯が開かれるとその色は峰々の翠色を奪ってきたようだ。夜中の海辺の空気(露の気)は、共に杯を残して中国の祭りを祝うのによい。(要確認)」と形容して、越州窯の青磁の釉色を山の緑に喩えている。以来「秘色」は越州窯の精品の持つ釉色をさす言葉として用いられるようになった。

第九:仏舎利の八重の宝函(箱)は非常に素晴らしく装飾された一品で、こまでの発見の中で最も美しい作品です。箱は何層にも重ねられ、仏舎利を入れるための最も高貴な宝函(箱)で、唐王朝の懿宗(いそう:第20代皇帝)から賜ったものです。

第十:本物の仏祖の仏舎利を安置した第三番目の銀の函の頂上には45体の尊い像が描かれています。上面には金剛界の45尊造像曼荼羅が浮き彫りされ、これらは、これまでの世界の発見のなかで、最も古い密教の曼荼羅壇場です。宝箱の底の面を除き、その他の五面にはすべて像が彫られています。

 上の面に描かれた像は五重となっており、すべての像の中心となっています。45体の尊い仏像の構成は、密教曼荼羅壇場の様式となっています。仏教修行僧たちは曼荼羅を礼拝し、天上の叡智を得ると共に、神秘の法力を得て促成成仏の祈願に到達しようとするのです。法門寺の歴史の栄枯衰勢、地宮は千年の間隠されていてある日突然世に出て人々の関心を集めるところとなりました。

 寶物瑰麗:宝物は優れて例がないほど美しく
 舍利飛霞:仏の骨は天の霞を飛び
 晨鐘暮鼓:朝夕に鐘や太鼓が鳴り
 香煙繚繞:香の煙はたなびき
 信徒雲集:雲のように大勢の信徒が集まり
 八方來瞻:八方から見に来る(全国から参拝に来る)

 これこそまさに法門寺の名声がとこしえに続くことを意味しています。


法門寺(百度百科13)
つづく