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ところで、現在の常林寺は、大噴火前と別の小宿川の反対側、小高い里山のふもとちかくにあるが、その常林寺の駐車場の一角に以下の「天明浅間押し二百年祈念碑」がある。 今まで、しっかりと最後まで読んでいなかったが、今回ブログを書くに際し、池田が上野「天明浅間押し二百年記念碑」に刻まれた石字を書き起こした。 以下がその全文である。
上の記念碑にある「噴火に伴う冷害等異常気象は前後数年に亘り、全国に及び為に天明飢饉の餓死者数十万に達すると言われ 史上最大の天変地異の災害を齎(もたらした)した」という一節は、さまざまな観点から貴重なものである。 たとえば、火山大噴火による噴煙のチリが地表から10kmほど上空にある成層圏に入ると、数年間そのチリが地上に降り注ぐ太陽光、太陽熱を遮り、植物の炭酸同化作用ができなくなり、農業は全滅するという現象がある。 これは「核の冬」現象、すわなち核爆発(実験)などをすると、爆発による膨大な量のチリが地表から10kmほど上空にある成層圏に入り、数年間そのチリが地上に降り注ぐ太陽光、太陽熱を遮り、植物の炭酸同化作用ができなくなり、農業は全滅し、しかも寒冷化をもたらすという現象である。 記念碑の文章からは、そのことが世に言う、天明飢饉のもととなり、江戸時代にあって餓死者数十万をもらたした主原因であるとされている。 これは、気候文明史とでも言うべきものであり、過去の人類の歴史のなかで、たびたび世界各地で散見されている現象である。 以下はその例である。
私達は、別荘に行く度に鎌原観音をお参りするとともに、浅間山大噴火と、それによる周辺地域、農業、集落、吾妻川などへの影響について学んできたが、常林寺の石字の記念碑から、まさか天明の大飢饉の主たる原因が浅間山大噴火による寒冷化にあったとは、今まで知ることがなかった。 私が学んできた多くの気候文明史の多くは、地中海のギリシアの島々であったり、インドネシアの島々、それも大昔のものであったが、西暦1700年代後半の江戸時代、しかも日本にあったことに驚嘆した次第である。 なお、以下はWikipediaに見る「天明の大飢饉」の記述である。色を変えた部分に天明3年のの浅間山大噴火が書かれている。
なお、青山は火山の大噴火、それに続く気候破局、寒冷化問題については、以前から大きな関心があった。もちろん、地球物理的な意味での関心もあるが、同時に、それがその後の歴史、文化に甚大な影響をもたらしたという意味での関心からである。 火山の大噴火、天体落下、核戦争とそれに続く気候破局、寒冷化問題については、以下の著作が秀逸である。 ※ M.I、ブディコ、G.S.ゴリッィン、Yu.A.イズラエル著 エアロゾルによる地球的な気候破局〜大噴火、天体落下、核戦争〜 学会出版センター、1988年10月10日初版 以下は、同書による大噴火からの時間経過(年)と温度低下の例である。ただし、以下は浅間山の場合ではない。 つづく |