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かなり以前に一度、独立系メディアの論考に書いたことがあるのだが、1961年(半世紀前)まで、長野県の軽井沢町と群馬県の草津町の間の約56kmをトロッコ列車に類する「草軽鉄道」が結んでいた。何とそのちょうど真ん中に、北軽井沢駅があったのだ。 以下は最新のデジタル技術で再生修復してみた「草軽鉄道」の写真である。 往年の「草軽鉄道」 草軽鉄道の草津温泉駅跡 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 往年の「草軽鉄道」 残念ながら半世紀前に、「草軽鉄道」は、廃止され、現在はと言えば、長野県の軽井沢から群馬県の草津までは路線バスが走っている。とはいっても1時間に1本あるかどうかだ。 下記はWikipedia に掲載されている「草軽鉄道」の歴史である。
さらに「草軽交通」の公式Webには、 草軽電鉄の創業は、スイスの登山電車のように高原の避暑地へ、又、草津温泉へと旅客を導くというアイデアに端を発し、さまざまな努力によって会社設立へこぎつけた。 明治45年2月草津軽便鉄道株式会社発起人一同による「創立の趣旨」の中には次のように書かれている。 「本鉄道は、一面草津その他沿線の旅客を目的とするとともに、草津方面に出入する物資及び長野原・嬬恋・吾妻牧場付近より積み出す木材・薪炭・その他貨物輸送のため」「この地方の発展に資するところあらんとする。」とある。 また、 大正14年草軽電気鉄道と社名を変更。大正15年9月、軽井沢〜草津間、全長55.5kmが全線開通し、『四千万尺高原の遊覧列車』をキャッチフレーズに草軽電鉄は活気にあふれた時代を迎えた。多くの文士や著名人が軽井沢、草津を訪れた。 湯治客や避暑客を乗せて走った草軽の電車は、戦時下、戦地へ赴く出征兵士達を運ぶようになった。 とある。まさに日本近代の歴史がここに見てとれる。 もちろん、軽井沢と草津は、長野県と群馬県を象徴する観光地である。上記からは開通当初から高原の避暑地や草津温泉に旅客を導くという目的とともに、木材・薪炭・その他貨物輸送のためにも使われていたことがわかる。 いずれにせよ、現在でも全国区となっている軽井沢と草津の名所をアプト式のような登山列車で結んだのだから、往事は多くの観光客でにぎわったものと想像できる。 昭和37年の廃線の後に 草軽電気鉄道株式会社より発行された「草軽電鉄の歩み」に路線図がある。以下に示す。見てわかるように、北軽井沢が草軽鉄道のちょうど真ん中にあることがよくわかる。 北軽井沢から北側、すなわち草津側に2駅行ったところにある小代駅は、比較的常林寺に近い場所である。 草軽電気鉄道株式会社より発行された「草軽電鉄の歩み」より転載 ところで、もし、いま、軽井沢から北軽井沢を経由し草津までゆく鉄道があったら、別荘族だけでなく、草津の温泉めぐりを楽しむひとびと、スキーや登山を楽しむ人、本物の自然景観を楽しみたい人などにとって、どれほどありがたいのではないかと考える。 確かに保養所や別荘から上信越高原国立公園や浅間山系、白根山系などには乗用車がないとどうしようもないが、もし「草軽鉄道」があれば、自然と人間が共生するさまざまな楽しみ方があるだろう。 その意味で、21世紀、地球温暖化時代を迎えた今でこそ、この種の新草軽鉄道のような公共輸送機関の出番ではないだろうか? つづく |