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さて、その旧草軽鉄道だが、長野県の軽井沢駅から群馬県の草津駅のちょうど真ん中に位置するのが北軽井沢駅である。 私達の別荘から旧北軽井沢駅までは、車で10分足らずで行けるが、現在、残っているのは旧北軽井沢の駅舎や改札を模した建築物だけで、軌道はごく一部しかない。 ただ、長野県の軽井沢近くの旧軽井沢地域はじめ随所に旧草軽鉄道の軌道跡や鉄橋跡などが草むらの中に残っている。私達も、軽井沢から北軽井沢、嬬恋、草津に至るあちこちにそれら軌道跡を見つけている。 さて、北軽井沢駅だが、その歴史は次のごとくである。ここでは法政大学村が出てくるが、一頃、山梨県清里の学者村など、大学人や研究者向けの別荘地開発が群馬、山梨、長野などで盛んであったが、今はほとんど見る影もなくなっている。 以下の歴史の出典はWikipediaである。 1918年(大正7年)6月15日に草津軽便鉄道の地蔵川駅として北軽井沢駅は開業した。 その後、地蔵川駅の近接地域に開発された別荘地である「法政大学村」(現・「社団法人・北軽井沢大学村組合」、通称「大学村」)により駅舎が改築・寄贈された。 1927年(昭和2年)に草津電気鉄道(1924年(大正13年)に草津軽便鉄道より社名変更)の北軽井沢駅へと改称された。 駅名の由来は軽井沢の北側に位置していたためである。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-9-12 北軽井沢駅の屋根の形が信州の善光寺をモデルにした駅舎となっているが、これは駅舎正面の欄間には、「大学村」の開村に関わりの深い「法政大学」の頭文字である“H”が刻まれている。 1939年(昭和14年)4月28日に草軽電気鉄道(草津電気鉄道より社名変更)の駅となった。 1949年(昭和24年)に発生した台風による沿線各所への被害、1950年(昭和25年)および1959年(昭和34年)に発生した台風による吾妻川橋梁の流失などの度重なる災害が影響し、 1960年(昭和35年)4月25日に新軽井沢駅 - 上州三原駅間廃止に伴い廃駅となった。 上記の北軽井沢駅の歴史は、まさに先に述べた草軽鉄道の歴史そのものと言える。 下の写真は旧北軽井沢駅である。 旧北軽井沢駅 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-9-12 下の写真は昭和34年7月1日改正の草軽鉄道、北軽井沢駅の発車時刻表である。 新軽井沢駅行きは1、2時間に一本、草津温泉行きも1、2時間に一本程度であることがわかる。なお混とあるのは、客車に貨車、また客とあるのは客車のみを意味する。 旧北軽井沢駅の時刻表 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-9-12 これら北軽井沢の旧駅舎は、2006年(平成18年)9月15日に国の登録有形文化財に登録するよう答申された。 さらに同年11月29日に「旧草軽電鉄北軽井沢駅駅舎」として文化庁より登録有形文化財として登録された(認定番号第10-0210号)。夏期などに期間限定で無料開放されている。 旧駅舎は登録有形文化財として登録されている 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-9-12 2010年(平成22年)7月より、駅舎裏には木製模型のデキ12形電気機関車が実物大モニュメントとして設置・展示されている。北軽井沢のシンボルとして「北軽井沢コンソーシアム協議会」(現・浅間高原北軽井沢じねんびと)が企画立案・製作し、模型の設計・施工は光建築工房有限会社が行っている。 下は電気機関車、デキ21。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2013-9-12 出典:http://www.kita-karuizawa.jp/guide/ekisya.html 当時の「草軽鉄道」 背景に浅山山がある 北軽井沢駅は、先に紹介した日本初のカラー映画、『カルメン故郷に帰る』(1951年(昭和26年)公開)の公開ロケ地にもなっており、主人公のカルメン(高峰秀子)が列車から降り立つ駅として登場している。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-9-12 下は旧北軽井沢駅の改札口である。 旧北軽井沢駅の改札口 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-9-12 つづく |