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宮城/岩手仮設焼却実態調査調査
A宮城県気仙沼ブロック(階上地区)

池田こみち・青山貞一
環境総合研究所顧問
掲載月日:2012年12月8日
 独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
被災地仮設焼却実態調査報告
現地視察予定(宮城) 現地視察予定(岩手) 現地視察速報
@気仙沼ブロック(小泉)   E石巻ブロック   J仙台ブロック(若林区荒浜)
A気仙沼ブロック(階上) F亘理・名取ブロック(亘理) K仙台ブロック(若林区井土)
B岩手ブロック(釜石) G亘理・名取ブロック(山元) L仙台ブロック(宮城野区蒲生)
C岩手ブロック(宮古) H亘理・名取ブロック(岩沼) M全体的課題
D気仙沼ブロック(南三陸) I亘理・名取ブロック(名取) 現地視察動画
宮城/岩手復旧・復興実態調査はこちから

 2012年11月22日〜25日、青山貞一、池田こみち(ともに環境総合研究所顧問、東京都品川区)は、宮城県、仙台市および岩手県内の「がれき処理状況」を調査するため仮設焼却事業の現地視察を行ってきた。

 本論考は、その詳細報告である。

◆現地調査地域
       

岩手県内調査対象地域一覧  出典:青山貞一・池田こみち

◆実態調査〜詳細報告〜

第1日目 2012年11月23日(金)

 
大崎市(古川駅)→気仙沼市→国道45号線→陸前高田市→国道45号線→大船渡市→国道45号線→釜石市唐丹→国道45号線→釜石市小室→国道45号線→大槌町吉里吉里→国道45号線→山田町→国道45号線→宮古市→国道106号線→盛岡市→東北自動車道→古川IC→大崎市(古川駅)



■気仙沼ブロック階上処理区
焼却施設 処理能力:400t/日 (200t/日×2基)
(気仙沼市波路上瀬向外 地内)

◆がれき仮設焼却事業の概要
 (気仙沼ブロック・気仙沼処理区階上地区)
 @処理量合計:   400トン/日
 A焼却炉内訳:   200トン/日 2基
 B対象地域     気仙沼市
 C現状況:      工事中 2012年12月試験焼却
 D請負業者:   大成建設JV(全10社)
 E参考業務価格: 575億円(全体業務額*)
 F当初請負額:   484億円(全体業務額*)
             *2つの気仙沼処理区合計額

 次に、国道45号を北上し、気仙沼市階上処理区に向かった。気仙沼線の陸前階上駅の少し手前を右折し海側に入る。なだらかな傾斜で岩井崎まで住宅地や農地が広がっていたことが想像されるが今は見る影もない。


宮城県内 気仙沼階上地区
出典:グーグルマップ

 岩井崎の手前、波路上瀬向地区に立地していた100年余の歴史を誇る気仙沼向洋高校は、海から200mの距離にあり、コンクリート4階建ての校舎は津波の直撃を受け、生徒一人が死亡、一人が行方不明となったと言う。向洋高校の校庭だったと思われるところに階上処理区の仮設焼却炉の建設が進められていた。

 ここもまだ建設工事中で多くのクレーンが動いていたが、連休ということもあり比較的静かな様子だった。回りをぐるりと壁に囲われているため中の様子を詳しく見ることは出来なかったが、ここも津波の被害が大きく水路もあったことから地盤の整備にも時間を要したと思われる。


宮城県気仙沼ブロック階上処理区の仮設焼却施設(建設工事中)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-11-23

 気仙沼ブロックの二カ所の仮設焼却炉はいずれも気仙沼中心地からはかなり離れており、災害廃棄物の輸送、仮置きがこれから大きな作業となると思われる。


宮城県気仙沼ブロック階上処理区の仮設焼却施設(建設工事中)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-11-23

 この地域のこれまでの津波被害について、文献から以下のことがわかった。

事例No/都道府県名/市町村名/災害伝承情報の内容/データ形態/出典情報

6-1 宮城県 気仙沼市
・災害伝承情報の内容
 【災害名】明治三陸地震津波
 【発生日時】明治29年(1896年)6月15日
 【被災地】気仙沼市(波路上地区)
 【災害概要】震度2〜3の弱い地震の後、約10mともいわれる大津波が沿岸
を襲った。本市の海沿いの集落では442名が亡くなり、ほとん
ど壊滅に近い状態となった。
 【教訓等】その後には「地震があったら津波の用心」という、言い伝えがなさ
れ、昭和8年の昭和三陸地震津波の際の被害を軽減させたという。
・データの形態:文献(気仙沼市史)、 碑文(気仙沼市岩井崎「大震災記念」碑等)
・出典情報:1993年発行・気仙沼市史( P212〜222)、 碑文の写真

6-2 宮城県気仙沼市
・災害伝承情報の内容
 【災害名】昭和三陸地震津波
 【発生日時】昭和8年(1933年)3月3日
 【被災地】 気仙沼市(波路上地区)
 【災害の概要】震度5程度の地震の後、大津波が襲った。
本市では66名が亡くなり、流失家屋が300を超える被害が出ている。
 【教訓等】「地震があったら津浪の用心」
「大地震それ来るぞ大津浪」
「大津波どんと沖鳴りそら津浪」
地震後の津浪についての教訓を示した物。
また、場所によっては津波が襲う前に「どん」という沖鳴りが聞
こえたとの伝承。
・データの形態:文献(気仙沼市史)碑文(気仙沼市鹿折地区「大震嘯災記念」碑等)の写真
・出典情報  :1993年発行・気仙沼市史(P212〜222) 碑文の写真
http://www.fdma.go.jp/html/life/saigai_densyo/01.pdf


つづく