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厳寒のロシア2大都市短訪

エカテリーナ宮殿

マイセン磁器


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo

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 ・エカテリーナ宮殿のアート
  
マイセン磁器  主階段・磁器  ダイニング磁器  絵画


◆サンクトペテルブルグ市

 

エカテリーナ宮殿のマイセン磁器
  Meissen porcelain in the Catherine Palace

 マイセン(ドイツ語:Meisen)は、ドイツのマイセン地方で生産される磁器の呼称です。名実ともに西洋白磁の頂点に君臨する名窯です。

誕生の経緯

 東洋からもたらされた白磁は、17世紀ごろの西洋社会では憧れの芸術品でした。各国が競ってその製造開発に乗り出し、ザクセン選帝侯兼ポーランド王のアウグスト2世も錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを幽閉し、白磁を作るように命じました。

 ベトガーは物理学者・数学者・哲学者エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスらの協力を得て、1709年にザクセン・フォークラント地方のアウエ鉱山のカオリンを原料とした白磁の製造に成功しました。アウグスト2世はこれに大満足し、西洋磁器の歴史の幕が開けたのです。

 翌1710年、ドレスデンに「王立ザクセン磁器工場」が設立され、硬質磁器製造の独占権が与えられました。これが現在の「国立マイセン磁器製作所」の始まりです。数ヵ月後に磁器工場は25km離れたエルベ川沿いのマイセン地方・アルブレヒト城の内部に移され、厳重に機密が保持されました。また、同年1月23日には「ザクセンでは今や東インドと同等の磁器の製造が可能になった」という布告が出ています。

 なお、ベトガーは幽閉を解かれることなく、ただちに染付の複製を命じられました。しかしベトガーはこれを果たすことなく37歳で死亡しました。近年の研究では、チルンハウスは1704年に既に磁器の焼成に成功していたのではないかとも考えられています。

◆マイセンの発展  マイセンのトレードマーク

 マイセンはエルベ川の舟運により材料・製品の輸送が容易であり、また近辺には露天掘りでカオリンを採掘できる鉱山もあり(現在では坑道を掘って採掘)、この立地条件の良さが現在に至る繁栄を支えてきました。

 初期のマイセンのデザインは中国の五彩磁器や日本の伊万里焼の影響を受けていますが、1720年にウィーンから招かれた絵付師ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(1696年 - 1775年)らによってヨーロッパ的なロココ調の作品が主流になりました。1764年には工場私設の芸術学校が創設され、4年間の訓練・実習と専門課程が設けられています。また、1865年に作られた国立マイセン磁器製作所では、この芸術学校の卒業生が大勢働いています。

 贋作防止のため、マイセンの陶磁器には交差した2本の剣のトレードマークが1723年から用いられており、これは現在まで使われているトレードマークの中ではもっとも古くからあるものの一つです。なお、刃や鍔の傾きなどは年代によって変化しています。

出典:Wikipedia


 以下は、エカテリーナ宮殿にあるマイセン磁器の秀作です。


ツァールスコエ・セロー。エカテリーナ宮殿。パントリー。豆形のテーブル(サンクトペテルブルク、1780年代。)。中央:「ブールドネージュ」また「雪の玉」をかたどった磁器製の調味料瓶。両側には磁器燭台。マイセン磁器工場、1750年代
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ツァールスコエ・セロー。エカテリーナ宮殿、ホワイトス・テート・ダイニングルーム。食器セットの中の蓋付きの大きなボウル。ドイツ、マイセン1750年代
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ツァールスコエ・セロー。エカテリーナ宮殿、ホワイトス・テート・ダイニングルーム。食器セットの中の蓋付きの大きなボウル。ドイツ、マイセン1750年代
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ツァールスコエ・セロー。エカテリーナ宮殿、ホワイト・ステート・ダイニングルーム。マイセンのディナー用食器セット。ドイツ、マイセン1750年代。中央には:ガゼボ-カプリス(西洋風の可愛らしいあずまや)の柄で飾った磁。インペリアル磁器工場、ロシア、1760年代。
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マイセン磁器
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 なお、ロマノフ王朝の陶磁器については以下もご覧ください。

◆帝国陶磁器工房美術館

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つづく