破綻寸前の都道府県財政 〜県議会の反応は?〜 青山 貞一 掲載日:2004.8.3,12.2、 12.29改訂 |
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◆極度な財政状況に対する県議会の反応は? 以上、見てきたように都道府県、とりわけ極端に悪化した長野県の財政(財務諸指標)に長野県議会の各会派がどう考えているかについて見てみよう。以下の出典は、週刊ダイアモンド2002.03.02日号 「長野県政3月危機の構図」である。
◆長野県の三基金も底をつく!? なお、以下に長野県における三基金、すなわち財政調整基金、減債基金、公共施設等整備基金の残高推移を示す。表は平成14年度までの実績を示しているが、これらの基金の大部分は平成16年度予算で完全に底をつくことになる。 結局バブル崩壊後も、オリンピック開催まで身の丈、身の程をはるかに超える財政規模のまま、ひたすらハコモノ土木系事業を中心に、国庫補助、地方交付金、地方交付金などに依存してきたことにより、ついに財政調整基金、減債基金、公共施設等整備基金の三基金も使い果たすことになっている。 国の場合と同様、果たして長野県が抱える未曾有の財政危機のリアリティをどこまで地方議会、地方行政が認識するか、21世紀、総じて「成長の限界」モードに入り大幅な税収の増加が見込めない状況のなかで、どう身の丈と身の程を認識した県財政を構築するかが大きく問われている。
以下に参考のため平成16年度6月補正予算総括を示す。平成16年度の一般会計予算は、平成15年度予算額より6.5%減額されていることが分かる。予算総額は圧縮されているが、長野県では公債費負担比率及び起債制限比率が危険ラインにあることに変わりがない。 したがって、21世紀の県財政の健全化を考えると、県債にこれ以上過度に依存しない持続可能な財政運営、すなわち県債の発行抑制、将来の公債費負担の削減などが最低限必要となるだろう。 出典:長野県財政改革チーム ◆「平成の市町村合併」に見る本末転倒 今後、地方分権が進み、道州制が実現したら、現在、国がやっていることのうち、外交、防衛などを除く、かなりのことを地方行政、地方議会が自らやって行かなければならない。とくに地方が自ら「州法」を制定し、国に準ずることを自らしてゆかなければならなくなる。 中央集権国家、日本で真に地方の自立や自律を実現できるかどうかは、まさに地方議会のあり方にかかっていると言ってよいだろう。その観点から見ると、地方議会の現状は極めて疑問符がつく。今のままでは、地方分権や道州制など、まさに絵に描いた餅にしかならないだろう。 現在、国主導で進められている「平成の市町村合併」では、仮に自治体数が減ったとしても当面議員数は減らず、議員報酬も一番高い自治体に会わせているところが圧倒的である。総務省は「はこもの」建設を対象とした合併特例債までつけていること自体、実に本末転倒である。 このように、本来の地方分権改革、財政改革の目的に反する可能性が高い「平成の市町村合併」を関連市町村が十分にチェックせず、議員自らが過剰員数、過剰報酬に黙って納まっていること自体、日本の地方議会のお寒い実態を如実に示す一例であると言えるだろう。 米国の地方議会を見るまでもなく、「平成の市町村合併」以前に議員数を大幅に削減することが本道であろう。米国の地方議会の議員数と報酬については、後ほど詳細を示す。 また議員等は何の政策提言、条例提案をすることなく、またどうみてもまともな精査、検討もないまま首長側が提案する政策条例案を「拙速」とか「時期尚早」、「説明不足」などと言って継続審議とし、最終的に廃案にもちこんでいる現状も同様に、きわめて憂慮すべきことだ。 国、地方ともに未曾有宇の財政難を抱えながら、依然として国庫補助や地方債をあてに依然として「はこもの」に走る現状も無責任きわまりない。 次へ |