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世阿弥と日蓮の足跡をたどる佐渡の旅

草苅神社・能舞台2

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2018年9月18日公開
独立系メディア Media E-wave Tokyo  
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 草苅神社・能楽舞台1  草苅神社・能楽舞台2  度津神社
 大崎白山神社・能舞台1  大崎白山神社・能舞台2  小泊白山神社・能舞台
 椿尾気比神社・能舞台  滝平白山神社・能舞台 


 以下は草苅神社の能舞台である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

◆草苅神社・能楽舞台の概要

 かつて「草苅村」といわれた字天沢に鎮座。明治初期以前の建物と推定され、農村風景の中に溶け込んだ風格のある能舞台です。舞台は正面入母屋造、背面寄棟造の茅葺で造られています。本舞台と後座からなり、地謡座、橋掛りが鏡の間と舞台楽屋をつないでいます。天井には鐘穴も造られています。背面の鏡板には松の絵が描かれていますが、現在見ることができる松の絵は、羽茂に住まわれている方が塗り直してくださったそうです。

 また、橋掛りは昭和61年に増築されたもので、茅葺屋根も、平成21年に全面「よし」というイネ科の多年草を、宮城県から調達し取り替えられ現在の姿になりました。

 過去の演能記録としては、1863年「文久三年社人届定能場」に記載されており、現在は毎年6月15日の「羽茂祭り」と9月7日の「乙祭り」で奉納能が行われてい
ます。

 平成9年に結成された「昭諷会」の方々や、羽茂小学校、南佐渡中学校の生徒さんも参加し、若い世代にも能が受け継がれています。小学生や中学生が舞う姿はなかなか見られないと思いますので、ぜひ一度観能していただきたいです。

 こうして、薪能を毎年開催できるのも氏子や地域の方々、また県外の方で能の世界に感銘を受け、寄付をしたいと言ってくださる方が陰にいるからこそ、伝統的な舞台と能を維持し守っていけているのです。

住所 〒952-0504 新潟県佐渡市羽茂本郷1698

出典:◆佐渡が誇る能舞台   南佐渡地区商工会Webサイト


◆草苅神社能舞台 

 記録によると、草苅神社では1863年から能が演じられていたこと分かります。建物は本舞台(入母屋造、茅葺き)、後座(あとざ)、復元された橋掛り、増設された地謡(じうたい)座などで構成されています。現在は毎年6月15日の祭礼の時に、薪能が行われています。

【草苅神社】
 古くは草刈村と言われた字天沢にあり、江戸中期には八王子牛頭天王、羽茂祇園社などと言われ、この郷の農業の神とされています。1396年の墨書のある獅子頭があり、地頭寄進で大神楽つぶろさしの最初の獅子だとも言われています。

所在地 羽茂本郷1699
●県指定有形民俗文化財
●指定年月日:平成9年3月28日

出典:にいがた観光ナビ


 以下は大膳神社の時と同じ様式による新潟県指定文化財(有形民俗文化財)の解説板です。平面図もある。



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


 草苅神社能舞台 
  豊かな芸能が奉じられる「草苅の里」の鎮守


 拝殿へ続く参道の灯籠が印象的。江戸中期には「八王子牛頭天王」などと呼ばれ農業の神として信仰を集めました。「祇園羽茂神社」の呼び名を経て、1870年に古い地名「草苅の里」に因んで改称。6月15日の羽茂まつりでは、薪能や神楽の一種「鬼舞つぶろさし」(県の無形民俗文化財)が奉納されることでも知られます。

 明治期以前の建築と推定される能舞台(県の有形民俗文化財)は、茅葺き正面入母屋造り・背面寄棟造りで田園風景に溶け込みながらも、堂々とした風格を感じさせます。

住所:〒952-0504 新潟県佐渡市羽茂本郷1698

 ・鎮守の森に向かって参道が続いています。
 ・6月の例大祭では江戸期から続く薪能が奉納されています。
 ・6月の例大祭では、「鬼舞つぶろさし」も奉納されます。
 ・風格のある堂々とした能舞台です。
 ・拝殿に向かう石段両側には石灯籠が置かれています。
 ・1863年の演能の記録が残っています。

出典:さど観光ナビ


◆草苅神社について

 草苅神社は,旧羽茂町の羽茂本郷に鎮座する。「神社明細帳」(明治十六年)に「佐渡國羽茂郡羽茂本村字天澤 村社・草苅神社」とある。

 創立の時期は不明だが,弘仁二年(811)あるいは天慶五年(942)とする伝承がある。明治六年(1873)に村社に列せられた。古くは「牛頭天王八王子宮」と称し,また京都の祇園神社(八坂神社)を勧請したとして「祇園羽茂神社」とも称された。

 明治になって地名(草苅ノ里)を取って現社号とした。最近まで「八王子さん」と呼ばれていたという。祭神は,須佐男尊,天忍穂耳尊,天穂日命,天津日子根命,天津日子根命,熊野久須毘命,多紀理毘賣命,狭依毘賣命,稲田毘賣命である。

 明治四十年(1904)に村内の多くの神社が当社に合併された。すなわち字大谷沢の熊野神社(伊弉諾尊),大橋村字上ノ山の白山神社(伊弉冉尊),大橋村字池田の小田原神社(伊弉諾尊),字山王の日吉神社(国常立尊),大橋村字東林の諏訪神社(健御名方命),字蕨平の大山祇神社(大山祇命),字須川の諏訪神社(健御名方命),字小平の尾平神社(鵜草葺不合尊)である。

出典:新潟県神社探訪



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


つづく