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2018年 真夏の佐渡、歴史と文化の旅

度津神社

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2018年9月18日公開
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 草苅神社・能楽舞台1  草苅神社・能楽舞台2  度津神社
 大崎白山神社・能舞台1  大崎白山神社・能舞台2  小泊白山神社・能舞台
 椿尾気比神社・能舞台  滝平白山神社・能舞台 


 草苅神社と大崎白鳥神社の間に参拝したのが、度津神社(わたつじんじゃ)である。グーグルマップにあるように佐渡南部の山間地の羽茂川沿い、県道81号からほど近いところに位置している。度津神社はまわりが森林、自然の中の神社だが、近くを流れる川の氾濫で洪水にあっている。


出典:グーグルマップ



出典:グーグルマップ


出典:グーグルマップ

 地番は、

 佐渡国一之宮 度津神社: 〒952-0503 新潟県佐渡市羽茂飯岡550ー4

にある。

概要

 度津神社(わたつじんじゃ)は、新潟県佐渡市羽茂飯岡にある神社。式内社、佐渡国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。

祭神

主祭神
 ・五十猛命 (いたけるのみこと- 素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子
配神
 ・大屋津姫命 (おおやつひめのみこと) - 同じく素戔嗚尊の子で五十猛命の妹神
 ・抓津姫命 (つまつひめのみこと) - 同上

 これら兄妹3神は何れも木の文化を司り、林業・建築業・造船業の神と言われている。『佐渡一ノ宮度津神社参拝の栞』によれば、五十猛命は木材による家屋・舟・車の築造技術を盛んにした功徳により、またの名を大屋毘古神(おおやひこのかみ)と呼ばれている。また造船のほか航海術に秀で車の普及に当たったことから、海上・陸上の交通安全の守護神として崇敬されていると言う。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


歴史
 往古の羽茂川洪水により社殿、古文書から別当寺にいたるまでことごとく流失したため、創建の由緒は不詳である。『佐渡國誌』には、寛永18年(1641年)1月21日付けの『飯岡村八幡宮證文之寫』が所収されているが、そこには「殊ひたの内匠立申候両社 仲哀天皇之御宇神祇之書物于今在社に御座候、・・・」との記述がある。

 このとき本当に『神祇之書物』が存在したのだとすれば、その内容によっては当神社が仲哀天皇の御宇である仲哀天皇元年-同9年頃、またはそれ以前に創建された可能性が出てくるが、縁起などが流失した洪水は寛永18年以前に起こったと伝えられている。

 長5年(927年)に『延喜式神名帳』により式内社、小社へ列格された。『中世諸国一宮制の基礎的研究』[6]では、『延喜式神名帳』における佐渡国の式内社記載順によって一宮と呼ばれるようになっている、と述べている。また『佐渡志』には「延喜式載スル所ノ九社ノ第一ニシテ、・・・」との記述がある。

 『朝野群載 巻6』には、神事に過穢があったことにより祟り給うたので、度津神社に使者を遣わし中祓いを科して祓い清めるべしとの承暦4年(1080年)6月10日付けの神祇官奏上が記載されている。

 当神社の東前方には前述のように度津神社別当神宮寺があったが、明治の神仏分離令に際し帰農している。明治4年(1871年)5月14日には国幣小社に列せられたが、第2次世界大戦の終戦に伴い旧社格は廃止され、その後、当神社は神社本庁が包括する別表神社となっている。

境内

本殿

 拝殿裏の斜面、一段高い場所に鎮座。覆屋根が流造、前面幣殿が切妻造。


出典:Wikimedia Commons

 火防橋(火伏橋)の向こう、石段の上に山門があり、その奥に拝殿の屋根が見える。

拝殿


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下の写真で池田がのぞき込んでいるのは獅子舞用の獅子頭2つが納められている小屋。立派な獅子頭で、お祭りのときの賑わいを彷彿とさせた。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

二の鳥居


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


一の鳥居


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 県道81号線より。奥にある二の鳥居の背後に妹背山。手前の朱塗りの欄干は羽茂川に架かる橋で、往古にはこの川の洪水により社殿や別当坊など全てが流失している。



つづく