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世阿弥と日蓮の足跡をたどる佐渡の旅

<参考>小泊白山神社・能舞台

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2018年9月18日公開
独立系メディア Media E-wave Tokyo  
無断転載禁
佐渡現地視察総合目次 

 草苅神社・能楽舞台1  草苅神社・能楽舞台2  度津神社
 大崎白山神社・能舞台1  大崎白山神社・能舞台2  小泊白山神社・能舞台
 椿尾気比神社・能舞台  滝平白山神社・能舞台 


 以下は近くは通りながら時間がなく視察できなかった、小泊白山神社とその能舞台である。参考のために情報提供しよう。 


出典:グーグルマップ 


出典:グーグルマップ

 以下は小泊白山神社とその能舞台の写真である。出典はさど観光ナビ。


出典:さど観光ナビ


出典:さど観光ナビ


出典:さど観光ナビ


小泊白山神社能舞台
 平家伝説の里に鎮座する白山神社 

 国道350号線に面して建っています。清掃された境内、手入れの行き届いた社殿
が印象的。屋島で敗れた平宗清がこの地で祠を建てたのが始まりと伝承されてい
ます。小泊は隣接する真野地区椿尾とともに石工で栄えた土地。見事な狛犬に迎
えられる境内には、各家庭の石臼を集めて奉納した石臼塚があることでも知られ
ています。

 平成22年(2012)に修復が行われた能舞台が社殿向かって右に配され
ています。本舞台と後座からなり、地謡座、貴人口、天井の鐘穴もあります。背
面の鏡板には松、東側には竹が描かれています。橋掛りが鏡の間に延び、鏡の間
は拝殿に接しています。能舞台は市文化財指定。

〒952-0514 新潟県佐渡市羽茂小泊1494

・苔むしが参道の先に社殿が見えてきます。
・本舞台の横の石臼塚があります。
・小泊白山神社社殿
・社殿同様に南側を正面とする本舞台。
・国道350号線に面して建っています。

出典:さど観光ナビ


文化遺産オンライン
有形民俗文化財
小泊白山神社とその能舞台
新潟県
明治初期以前
舞台は本舞台と後座からなり、本舞台の西側に地謡座を備え、社殿と能舞台はほぼ同じ方向を正面とし南を向く。屋根は寄棟造妻入茅葺で、軒は南正面及び東・西側は腕木と出桁、北側は…本舞台:間口幅5.44m(17.98尺)×奥行5.45m(18尺)、後座:奥行2.33m(7.69尺)、地謡座:幅1.39m(4.6尺)、橋掛り:全長8.24m(27.18尺)×奥行2.01m(6.62尺)、鏡の間:桁行21.2m(7.0尺)×梁間2.48m(8.…1棟)
新潟県佐渡市羽茂小泊佐渡市指定
指定年月日:20111001羽茂小泊部落総代有形
民俗文化財白山神社は創立年不詳。旧村社。

出典:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/254089


◆小泊白山神社と能楽舞台の概要

 国道350号線に面して建てられています、小泊白山神社。小泊地区は隣接する真野地区の椿尾とともに石工で栄えた土地で、各家庭の石臼を集めて奉納した石臼塚があることでも知られています。

こちらの神社に能舞台が建てられたのは明治期に変わる頃。小泊地区には多くの能楽者や愛好家がいた為、神社の移築の際に能舞台が建てられたとされています。

 舞台は本舞台と後座からなり、地謡座、貴人口、天井の鐘穴もあります。背面の鏡板には松と竹が描かれています。橋掛りが鏡の間に延び、鏡の間は拝殿に接しています。

 こちらの能舞台で能が行われていたのは昭和20年〜30年までのことで、それ以降は集落の青年部や婦人会の方が演劇をする際に利用していたそうです。ですが、それも今から約20年前までのことで、2014年の修復工事が行われるまでに一度は取り壊す話も出ていたそうです。そこで、能舞台保存会の方々が寄付を募って屋根の修復工事を行い、茅葺屋根から銅板屋根に張り替えました。

 平成24年に修復工事完成記念公演を行ってから、毎年11月の第2日曜に薪能を開催しています。2015年、2016年にはプロジェクトマッピングとのコラボレーションの薪能を行い、懐かしさと目新しさで大盛況に終わりました。

 平成23年10月、県の有形民俗文化財に指定。

住所:〒952-0514 新潟県佐渡市羽茂小泊1494

出展:佐渡が誇る能舞台 南佐渡地区商工会Webサイト



◆共通論考 佐渡が誇る能舞台   

 出典:南佐渡地区商工会Webサイト

 佐渡南部に位置する「羽茂」。ここでは、古くから「能」が盛んに行われてきました。 現在佐渡には、30以上の能舞台があると言われておりますが、そのうち6つの能舞台が羽茂に残されています。そのほとんどは、神社の境内に存在しています。

能の歴史
「能」=「世阿弥」というイメージを持たれる方が多いと思います。しかし実際は、江戸時代に初代佐渡奉行であり能楽師でもあった大久保長安が、奈良から2人の能楽師を連れてきたことが、佐渡で「能」を広めるきっかけになったとされています。

 また、羽茂で能を盛んにした先駆者と言われる人は、大崎地区の葛原五兵衛さん、村山地区の岡崎長右衛門さん、西三川地区の金子柳太郎さんだと言われており、この方々を筆頭に羽茂全体、更には小佐渡西地域に「能」が広がっていきました。

 佐渡の能は、神社に奉納する「神事能」とされていましたが、独自の進化を遂げ「庶民の能」として親しまれるようになりました。能月間で知られる6月は、農家の方々が田植えを終え、五穀農穣を願って鎮守様への奉納能として行われています。この時期は、佐渡のいろんな箇所で観能することが出来ます。


つづく