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ノルウェー旅行記

オスロ(1)


鷹取 敦

掲載月日:2013年8月18日
 独立系メディア E−wave
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内容目次
1 オスロ(1) ノルウェー民俗博物館・ヴァイキング船博物館・コン・ティキ号博物館    6 ベルゲン(3) ベルゲン水族館・ベルゲンの街・
2 オスロ(2) フラム号博物館・フェリー乗り場・アーケシュフース城・オスロ大学・王宮    7 ベルゲン(4) ベルゲンの街・ローゼンクランツの塔・ホーコン王の館
3 フィヨルド    8 ベルゲン(5) 文化史博物館・フロイエン山
4 ベルゲン(1) ベルゲン到着    9 ノルウェーの物価(1)
5 ベルゲン(2) ベルゲンの街・ハンザ博物館・ブリッゲン旧市街(世界遺産)・ハンザ集会所    10 ノルウェーの物価(2)

 2010年8月にデンマーク・スウェーデンを訪れて以来、久しぶりに北欧を訪れました。今回はノルウェーの首都オスロに入り、列車、船、バスを乗り継ぎフィヨルドを経て世界遺産のある都市ベルゲンへの旅です。

 ノルウェー王国(通称ノルウェー)は、スカンディナビア半島の西側に位置する立憲君主制国家で、現在の国王はハーラル5世です。国土の面積は約39万uでほぼ日本と同程度、人口約500万人、19の県に分かれています。首都オスロ(人口約61万人)は県であると同時に基礎自治体でもあります。一方、ベルゲン(人口約27万人、ベルゲン都市圏で約39万人)はホルダラン県の都市でノルウェー第二の都市です。ベルゲンは1217年から1299年まではノルウェーの首都であり、13世紀後半からはハンザ同盟都市となりノルウェー北部や他国との交易で栄えていました。


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 ノルウェーは一時期、デンマークの配下、その後スウェーデンに引き渡され、スウェーデン王国との同君連合(スウェーデン=ノルウェー)が形成されました。20世紀初頭に国民投票により君主国家を設立しノルウェーの独立が認められています。国際連合設立メンバーで、NATOにも調印していますが、EU(欧州連合)については二度の国民投票で否決され、EUには加わっていません(スウェーデン、デンマーク、フィンランドはEU加盟国)。

 ちなみにノルウェーは、チェルノブイリ事故による汚染の影響を受けています。汚染の影響の大きい地方では、今でも子羊、羊、牛乳、山羊の乳等の家畜の汚染を測定しており、現在でも測定値の中央値(Median)が、日本の現行の基準値(100Bq/kg)を超えるものがあるそうです。(ノルウェーの一般食品基準値は600Bq/kg)(http://www.nrpa.no/dav/62e4628f50.pdf)チェルノブイリからノルウェーまで1500km(福島第一原発から奄美に相当する距離)もあることから、チェルノブイリ事故は福島第一原発事故と比べてもいかに広範な影響があったかが分かります。

https://pbs.twimg.com/media/A8BgBCzCUAAJ4xr.jpg:large
●ノルウェーの土壌のセシウム濃度の経年変化
ノルウェー放射線防護庁作成の地図に、佐藤吉宗氏(スウェーデン・ヨーテボリ大学、「スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか」著者)が加筆したもの

 今回訪れるオスロ、ベルゲンは既に放射線量率レベルが低下している地域であることは上記の地図から分かっていましたが、参考のため放射線測定器(個人線量計 DoseRAE2)を持参しました。

■アムステルダム経由でオスロへ

 8月9日(金)の13:35発のKLMオランダ航空で成田からアムステルダム・スキポール空港で乗り継ぎ(18:30着、20:50発)、現地時間22:30頃にオスロ・ガーデモエン空港に到着しました。時差が7時間なので乗り継ぎを含めて所要時間は約16時間です。

 空港からオスロ市内(オスロ中央駅)へはFlytoget(フリートーゲ)という鉄道(特急)で移動しました。ちなみにノルウェーにはFlytogetという急行と、NSBというローカル電車があり、それぞれ別会社となっています。ほぼ同じ路線ですが、Flytogetは主要駅のみ停車し、運賃が高く、本数が多い、NSBは運賃が安く停車駅が多く、運賃が安く、本数が少ない、という違いがあるそうです。

 Flytogetで空港からオスロ中央駅まで2駅・約20分、運賃は170NOK(ノルウェー・クローネ)、(付加価値税8%含む)です。ノルウェー・クローネは現在1NOK=約17円ですから(2010年頃には1NOK=約14円)空港からオスロ中央駅までの約20分で2,900円程度ということになります。東京駅から成田空港まで成田エクスプレスでも乗車券+指定席特急券で2,940円(所要時間約90分)なので、所要時間を考えると高めです。

 23:30頃に空港駅を発ち、23:50頃にオスロ中央駅到着、駅から徒歩数分のホテルにチェックインしました。ホテルは無料のWi-Fi(無線LAN)が使用できるため、ノートPCをインターネットに接続し、業務の急ぎのメールがあれば対応することが出来ます。

■オスロ

 オスロは人口約61万人、周辺を含めたオスロ都市圏は100万人を越えており、日本でいえば政令指定都市程度の人口規模です。北緯59度56分に位置し、アラスカ州南端に近い緯度ですが、北大西洋海流(暖流)が偏西風とともに比較的温暖な気候をもたらしています。今回訪れた期間中の最低気温10℃〜最高気温17℃程度で、昼間は薄めの上着を羽織る程度で、過ごしやすい気候でした。


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 オスロはオスロ・フィヨルドという名の湾の最も奥に位置しており、オスロ中心市街の南側には湾に面した港があります。ただしオスロ・フィヨルドは地質学的にはフィヨルド(氷河の浸食作用による複雑な地形・U字谷が沈水して形成された湾、入り江)ではありません。

 翌朝8月10日(土)は7時頃起床しました。晴天です。ホテルの居室(13F)内の空間線量率を測定してみたところ0.18μSv/hでした。後に市内の屋外で測定した値も同程度(0.13〜0.16μSv/h)でした。チェルノブイリ事故の影響か、自然起源か分かりませんが、この地域の平均的なレベルと思われます。ちなみに朝から夕方までの1日の平均線量率は0.11μSv/hだったので、場所によってはもっと低かったものと思われます。ちなみに東京のふだんの生活で同一の個人線量計による測定値の過去1ヶ月平均は約0.06μSv/hです。

 オスロ市内の観光には「オスロパス」があると多くの博物館、公共交通機関、駐車場が無料もしくは割引になるので、まずホテルのインフォメーションで購入しました。24時間有効なものが大人270NOK(約4,600円)、子供(4〜15歳)・高齢者(67歳以上)120NOK(約2,000円)です。(48時間、72時間のものもあります。)

 翌日は早朝からベルゲンに向けて出発するので、オスロは事実上この1日だけです。ホテルのバイキングで朝食を取った後、オスロ中央駅前からカール・ヨハン通り(オスロの主要大通り)を通り、港に出ました。


●オスロ中央駅前 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●カール・ヨハン通り (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

 カール・ヨハン通りでは国会議事堂(1866年建造、スウェーデンの建築家Emile Victor Langlet設計)の改修中でしたが、歴史的景観を損ねないように、建物を覆っているシートには建物の外壁が印刷されていました。


●改修中の国会議事堂 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●改修中の国会議事堂の正面 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●市庁舎前のトラム (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●オスロ市庁舎 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●港(ピペル湾) (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

 港からフェリーで、ノルウェー民俗博物館、ヴァイキング船博物館、コン・ティキ号博物館、フラム号博物館のあるビグドイに向かいました。


●フェリー (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

■ノルウェー民俗博物館

 ノルウェー民俗博物館は、野外に中世から現代までの古い木造家屋が約150軒、並ぶ博物館で、ストックホルムにある「スカンセン」、川崎市にある「日本民家園」のように、さまざまな時代の一般の人々の生活の場をうかがい知ることが出来ます。また、1700〜1800年代の上流階級の家具や衣装や、ノルウェーの女性の仕事や権利の歴史に関する屋内展示もありました。

 なお、今回オスロ、ベルゲンで訪れた全ての博物館内では写真撮影が許可されていました(場所によってフラッシュ禁止)。


●ノルウェー民俗博物館・入口 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●ノルウェー民俗博物館・中庭 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●ノルウェー民俗博物館・1700〜1800年代の上流階級の家具や衣装
(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●ノルウェー民俗博物館・ノルウェーの女性の仕事や権利の歴史に関する屋内展示
(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

 下の写真のように木造で屋根がウロコのような作りになっている教会を「スターブ教会」といいます。バイキング時代後の12〜14世紀の間に1000棟以上建てられました。


●ノルウェー民俗博物館・スターブ教会 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●ノルウェー民俗博物館・スターブ教会内部 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●ノルウェー民俗博物館・古い建物群 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●ノルウェー民俗博物館・古い建物群 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●ノルウェー民俗博物館・牛 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●ノルウェー民俗博物館・古い民家の室内 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

 民俗博物館のカフェで昼食を取り、ヴァイキング船博物館へ移動です。なお、昼食はエビのオープンサンドとサーモンのオープンサンド、小ボトルの水(イムスダールというミネラルウォーター)と紅茶で軽食程度ですが、二人で4,046円もしました。ノルウェーの物価については、別途まとめます。

■ヴァイキング船博物館

★ヴァイキング船博物館のサイト
http://www.khm.uio.no/besok-oss/vikingskipshuset/

 北欧といえばヴァイキングです。ヴァイキングはスカンディナビアの海賊というイメージがありますが、現在ではスカンディナビア半島に住んでいた人々全体を意味します。ヴァイキングは造船技術、操船技術を活かして、広くヨーロッパの歴史に大きな影響を残しています。

 駐日ノルウェー王国大使館サイトより
http://www.norway.or.jp/about/history/upto1814/viking/
「多くの学者が、イギリス北東海岸沖のLindisfarne修道院略奪(793年)をヴァイキング時代の始まりと見ています。今日もヨーロッパ西部および南西部の一部では、ヴァイキングは炎と剣をかざして人々を震え上がらせた残虐な略奪者だったと考えられていますが、このすべてが真実というわけではありません。ヴァイキングは貿易や入植という平和的な目的も果たしていました。ノルウェーのヴァイキングはオークニー諸島、シェットランド諸島、ヘブリディーズ諸島、マン島に入植しました。また、北スコットランドとアイルランドの本島にも住むようになりました。840年代にヴァイキングが築いた町ダブリンは、1171年まで北欧が統治していました。」

 ヴァイキング船博物館には、オーセベルグ号、ゴクスター号、テューネ号の3隻のヴァイキング船と、ヴァイキング時代の家具、装飾品、生活道具、埋葬品、発掘現場の写真等の展示があります。


●ヴァイキング博物館・オーセベルグ号 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●ヴァイキング博物館・ゴクスター号 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●ヴァイキング博物館・テューネ号 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

■コン・ティキ号博物館

★コン・ティキ号博物館のサイト
http://www.kon-tiki.no/

 ノルウェーの人類学者トール・ヘイエルダールは、南米のペルーにある石像とポリネシア・イースター島にあるモアイ像が類似していること等から、ポリネシアの住民の起源は南米にあるという説を発表し、当時の船で行き来が可能であることを実証するため、インカ時代の船を模してバルサ等で「コン・ティキ号」を建造、自ら航海してみせたことで知られています。その後、アステカ文明とエジプト文明についても同様に実証するため、葦で作った「ラー号」を建造し航海してみせました。

 コン・ティキ号博物館には、ラー号とコン・ティキ号が展示されています。

★コン・ティキ号博物館サイトのパンフレット(ロシア語・日本語・中国語版)
http://www.kon-tiki.no/Images/RUJAKI.pdf


●コン・ティキ号博物館・トール・ヘイエルダール (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●コン・ティキ号博物館・ラー号 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●コン・ティキ号博物館・コン・ティキ号 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●コン・ティキ号博物館・コン・ティキ号の航路 (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


●コン・ティキ号博物館・モアイ像のレプリカ (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

つづく