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●はじめに 2011年11月18日〜11月21日、8月の第一次調査に引き続き、第2次岩手県・宮城県北部を対象とした第二次三陸津波被災地 現地視察を敢行し、11月21日夜、無事帰宅した。今回は走行距離が長く、4日間で900km超となった。 ●調査の目的 東京都市大学青山研究室と環境総合研究所では、「3.11」以降、津波被災地および原発事故の影響地域を中心に東北地方への現地調査を敢行してきた。3.11以降現在まで東北地方に都合7回現地調査などを行ってきた。 東日本大震災・津波の被害は、下図にあるように本震の規模にほぼ比例している。地図中、震度6〜7は、岩手県、宮城県、福島県、青森県、茨城県に集中しているが、とりわけ震度が高いのは岩手県南部と宮城県北部の県境部分である。 私たちの第一次現地調査では、その岩手県南部と宮城県北部の県境部分を調査の対象とし、また宮城県・福島県北部調査でも宮城県北部(石巻市、女川町)を調査した。 だが、時間の関係もあり、両調査で未了となったのが、宮城県北部の南三陸町と石巻市北部、それに岩手県北部であった。 今回の現地調査では、過去実施した現地調査で未了となった地域を中心とし、既存調査で不十分だった地域の調査を補完することを目的とした。 なお、津波調査では、津波被害と@海洋地形、A陸上地形、B海浜と津波の向き、C海浜部の土地利用、D堤防の有無、E堤防の高さ、形状、F湾口防潮堤の有無、G地先の島嶼の有無との関係などを調べることを目的としている。また復旧、復興状況、今後の各地におけるまちづくりのグランドデザインのあり方も併せて調査することを目的としている。 ●調査の対象とした三陸とは 今回の一連の三陸津波現地調査における三陸とは、明治元年12月7日(1869年1月19日)、奥羽越列藩同盟諸藩に対する戊辰戦争の戦後処理が行われた際に陸奥国と出羽国は分割され、陸奥国(むつ)は陸奥国(りくおう)・陸中国(りくちゅう)・陸前国(りくぜん)・岩代国・磐城国に5分割された地域のうち、調査では岩手県全域、宮城県全域を指している。 このとき生まれた、令制国名に「陸」がついている陸前・陸中・陸奥の3国を「三陸」と総称するようになった。しかし「三陸」は、明治中期まで行政地名として使われるのみで一般にはほとんど知られておらず、明治29年(1896年)の明治三陸地震の報道によって一般に広まった。 令制国の単位での「三陸」の範囲は以下の通り。 青森県全域 岩手県全域 宮城県の亘理郡・伊具郡・刈田郡・角田市・白石市を除いた地域。 秋田県鹿角郡小坂町および鹿角市。 しかし、前記の経緯のため「三陸」の名称は、通常、陸奥・陸中・陸前の3国全域を指すことよりも、三陸海岸地域を指すことの方がほとんどであるのが実態である。 三陸海岸(地域名) 青森県八戸市・鮫角岬から岩手県を経て宮城県・牡鹿半島までの海岸および付属諸島を指す地理的名称。令制国の三陸にまたがって連なるためこう言う。 三陸海岸に面する岩手県の旧三陸町(現大船渡市の一部)および宮城県の南三陸町が自治体名としてこの広域地名を用いた例がある。 以上、出典出典は、Wikipedia ●東日本大震災・津波関連の基礎データ ◆地震(本震)の震度 本震における日本各地の震度分布図 出典:Wikipedia ◆地盤沈下の変動量 以下は東北3県における地盤沈下の変動量である。地盤沈下でも岩手県南部及び宮城県北部で著しいことが分かる。 東北3県の地盤沈下の変動量 単位:m
◆津波の高さ 津波の高さ 出典:社会実情データ図録 津波の遡上高 出典:社会実情データ図録 出典:社会実情データ図録 以下は東京大学地震研究所 都司嘉宣氏らによる「三陸南部の調査結果」(津波高)である。 出典:東京大学地震研究所 都司嘉宣氏らによる「三陸南部の調査結果」 出典:東京大学地震研究所 都司嘉宣氏らによる「三陸南部の調査結果」 津波高については、吉村 昭氏の「三陸海岸大津波」に現地調査先各地点の津波高さに関する記述がある。これらは主に明治三陸津波に関するものである。 ・波高 (吉村 昭氏「三陸海岸大津波」pp71〜74) 津波の高さを測定することは難しい。昭和8年の津波後、中央気象台技師国富信一氏は、それを測る手がかりとして三種の方法があると定義している。 ・第一の方法 海中に設置された験潮儀による方法で、この記録を調べれば海面がどの程度上昇したかがわかる。しかし、津波は海岸に達した時異常なほどの高まりを見せるので海面の上昇をそのまま津波の高さとするわけにはいかない。つまり、験潮儀による記録は参考資料とはなっても、津波の高さを測定するのには不適当である。 ・第二の方法 津波襲来後、海岸に打ち上げられて残留している物体によって判定する方法である。樹木の梢に海草がひっかかっていたり、海中の岩石が山の中腹まで運ばれていれば、海面からその位置までの高さを測ることによって、津波の高さを測定することができる。しかし、それだけで津波の高さを測定することにも疑問がある。それは場所によって津波の来襲の仕方が千差万別だからである。 ある湾では、津波が急にせり上がって海岸で一斉に砕けて村落の上から落下した。このような場合は、陸地に記された海水の痕よりも実際の津波の高さははるかに高いのである。 つまり、残留物の位置を参考に波高を測定することは、ある場所では正しい数値が出るが他の場所では不正確であるといえる。 ・第三の方法 海水が陸地に侵入した地域を海面と比較して津波の高さをはかる方法がある。これも平坦な土地と背後に山を背負うような場所では、大きな差がある。むろん前者の方が、海水は奥の方まで進んでいく。 さらに海岸に河口のある場所では、浸水区域が一層奥の方まで延長している。海水は川筋を凄まじい勢いで遡って走る。一例を挙げれば、明治29年の大津波の来襲時に宮城県本吉郡相川村では、渓流を伝わって海から三キロ奥の地域まで海水が押し寄せた。そして、その近くの太い桑の樹を根こそぎにし、折り倒している。もしもその地域の高さを津波の高さとすれば、大きな数字となるのである。 このように三つの方法ともそれぞれに不備な性格を持っているが、それは津波の多様性を示すもので、正確な波高をつかむことは至難である。 明治29年の津波の高さは、伊木常誠博士と宮城県土木課の手で算出され発表されているが、その数字は、三つの方法を綜合勘案してはじき出されたものであった。主だったものを拾うと; 宮城県桃生郡本吉歌津村中山 10.8メートル 同村石浜 14.3 岩手県気仙郡広田村根岬 11.2 同郡綾里村白浜 22.0 同郡吉浜村吉浜 24.4 同郡唐丹村小白浜 16.7 同村本郷 14.0 上閉伊郡大槌町吉里吉里 10.7 同町浪板 10.7 同町船越 10.5 下閉伊郡重茂村千鶏北側 17.1 同村姉吉 18.9 同村重茂 11.0 同郡磯鶏村 12.2 同郡田老村田老 14.6 同郡小本村小本 12.2 同郡田野畑村羅賀 22.9 同村明戸 12.2 同郡普代村太田名部 15.2 九戸郡野田村玉川 18.3 同郡宇部村久喜 12.2 同村小袖 13.7 同郡種市村八木 10.7 という数字が残されている。 しかし、この数字がそのまま津波の高さを正確に伝えるものとは限らない。例えば、下閉伊郡田野畑村羅賀では、22.9メートルという数字が算出されているが、前述したように羅賀に住む中村丹蔵氏の証言から考えると、津波の高さははるかに高い。 <その他の参考・引用文献> ・東北地方太平洋沖地震津波情報 東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ グラフィックスで見る日本沿岸の津波高 津波現地調査結果/岩手県 過去の津波情報 ◆市町村別の津波浸水域の土地利用別面積 出典:社会実情データ図録 ◆過去、東北地方三陸海岸を襲った津波の歴史 以下は我が国の歴東北地方三陸海岸を襲った津波の歴史である。
◆今回調査の対象自治体別の死者・行方不明者数 以下は今回の第二次現地調査で訪問した基礎自治体と東日本大震災・津波(3.11)による死者および行方不明者(いずれも2011年11月時点)の数である。 岩手県(南から北)
宮城県(南から北)
なお、以下は東京都市大学青山研究室と環境総合研究所(東京都目黒区)が合同で実施してきた第一次、第二次にわたる岩手県・宮城県被災地実態調査および放射線測定と併せて行っている福島県被災地実態調査で実際に訪問した自治体別の死者数および行方不明者数である。 岩手県(南から北)
宮城県(南から北)
福島県(南から北)
参考:青山・池田:三陸海岸 津波被災地現地調査 過去の津波被害(詳細) ◆被災後半年の東日本大震災被災市町村の人口変化 出典:社会実情データ図録 ●今回の現地調査実施及び調査報告書作成スタッフ 青山 貞一 東京都市大学大学院環境情報学研究科教授 環境総合研究所(東京都目黒区)所長 池田こみち 環境総合研究所(東京都目黒区)副所長 鷹取 敦 環境総合研究所(東京都目黒区)調査部長 ●2011年4月以降に行った地震・津波・放射線実態調査 津波調査では、2011年4月上旬の福島県いわき市沿岸部調査を皮切りに、6月中旬には福島県の南相馬市からいわき市まで、8月下旬には大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田など岩手県中部から南部と宮城県北部の気仙沼市を調査してきた。 さらに2011年9月中旬には石巻市、女川町、東松島市、松島町、七ヶ浜町、利府町、塩竃市、多賀城市、仙台市、名取市、岩沼町、亘理町、山元町など宮城県北部と新地町、相馬市、南相馬市まで福島県北部地域を対象に調査を行ってきた。 そして今回の調査では、過去の調査で未踏、未了となってきた岩手県北部地域と宮城県北部地域を集中的に視察、調査することとした。
以下に2011年に行った現地調査の対象自治体リストを示す。ただし、以下には福島原発放射線量の測定調査で行った自治体や地区も含まれている。
●今回の調査日程と調査ルート 下図は、4日間に走破した一日毎のルートである。 出典:マピオンをベースに作成 ◆調査日程と主な訪問地の写真 第1日目:2011年11月18日(金) 東京駅→東北新幹線→新花巻駅→レンタカー→遠野市→釜石市→ 釜石市街被災地→釜石湾口巨大防波堤→大槌町市街地→ 山田町被災地→宮古市市街→宮古市宿泊施設へ 復旧を急ぐ釜石港にて 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.18 釜石港湾口に1200億円を投入し建設しながら津波でコッパミジンに 破壊されたスーパー防波堤 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.18 第2日目:2011年11月19日(土) 宮古市宿泊施設→宮古市浄土ヶ浜→宮古港沿岸部→ 宮古市臨港地域→宮古市田老地区→岩泉町臨海地区→ 田野畑村臨海地区→普代村臨海地区→野田村臨海地区→ 久慈市臨港地区→国道45号線→宮古市宿泊施設へ 浜の奥まで津波が入った宮古市浄土ヶ浜にて 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 宮古市で最も大きな被害が出た田老地区のX字型防波堤の交点にて 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 岩手県岩泉町で地域住民インタビュー中の池田こみち 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 田野畑村の「鵜の巣」断崖にて 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 岩手県田野畑村海岸近くを走る北リアス線の線路の トンネルとトンネルの間にあった島超駅が津波によって破壊されていた 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 2011.11.19 岩手県田野畑村海岸近くを走る北リアス線の線路の トンネルとトンネルの間の部分が津波に破壊されていた 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 2011.11.19 アマルフィ海岸並の断崖絶壁が連なるリアス式海岸の美しい景観 田野畑村の「北山崎」断崖にて 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 久慈港の被災状況を撮影する青山貞一 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 2011.11.19 第3日目:2011年11月20日(日) 宮古市宿泊施設→国道45号線→山田町臨海地区→ 大槌町吉里吉里地区→東大大気海洋研究所→ 大槌町臨港地区→国道45号線→釜石市市街地→ 釜石市唐丹町白小浜→唐丹小学校→大船渡市綾理地区→ 大船渡市臨港地区→陸前高田市臨海地区→ 宮城県気仙沼市臨港地区→一関市宿泊施設へ 岩手県大槌町吉里吉里地区にある東大大気海洋研究所 国際沿岸海洋研究センターの入口にて。8ヶ月たった今も 研究施設は機能停止! 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 12mの高さがある防波堤は中央部分がひっくり返えり背後地 住民は壊滅的な被害を受けた 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 岩手県釜石市唐丹小学校の正門前の青山貞一 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 2011.11.20 やっと入ることが出来た宮城県気仙沼市南気仙沼の被災地 思いの外被害が甚大であった 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 一関市にある猊鼻渓の川下り 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 第4日目:2011年11月21日(月) 一関市宿泊施設→一関川崎地区→宮城県登米町→ 宮城県南三陸町臨港地区→志津川臨海地区→ 石巻市針岡地区大川中学校→石巻市釜谷地区大川小学校→ 石巻市雄勝町→石巻市長面地区→一関市→ 東北自動車道→花巻空港→宮沢賢治記念館→ 新花巻駅→東北新幹線→東京駅 がれき処理が一段落した南三陸町は陸前高田市、同様市街地は壊滅状態 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20 70名以上の児童が犠牲となった石巻市大川小学校 の慰霊碑の前でお参りする池田こみち。瓦礫のすぐ後ろは北上川 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.21 青山貞一の背後は大川小学校の裏山 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 2011.11.21 津波で集落全体が崩壊した石巻市雄勝町 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 2011.11.21 未だ浸水が著しい長面地域の被災状況 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 2011.11.21 ●調査と公表の方法 ・調査方法 調査は、乗用車(通常、トヨタ・ヴィッツを使用。今回は日産マーチを使用した)で調査対象地域まで行き、ハイビジョン・カメラ、デジタル・カメラなどを用い実態を記録するとともに、ICレコーダーを用い被災地住民へのインタビューを行う方法をとった。調査対象地が福島第一原発から半径100kmの範囲では併せて放射線量の測定も行っている。 ・公表方法 公表は、環境総合研究所の非営利活動で行っている独立系メディア E-wave Tokyoの公式ホームページ上で視覚を重視した方法により行うものとする。具体的には、現地で撮影してきたハイビジョンビデオ(動画)をYou Tubeを用いホームページに組み込み使用し、地図などの地理情報は、すべてグーグルマップおよびグーグルアースを組み込み方法(Embodied)により使用している。 以下は宮古市田老地区の地図をグーグルマップで組み込んだ例である。 マウスを使用することで拡大、縮小、移動などが自由に行えるとともに、衛星画像、通常の地図、3次元立体地図、地形図などを切り替えてみることができる。 つづく |