旧中山道、信州 宿場探訪 大伴神社(佐久市) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda May 15, 2015 Alternative Media E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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◆大伴神社 大伴神社は、下のグーグルマップにあるように、望月宿の西外れに近い丘陵の上にあります。 出典:グーグルマップ衛星画像 大伴神社社伝によれば、大伴神社社は景行天皇40年の鎮座と言い伝えられています。 大宝年間(701〜4年)諸国に牧場(官牧)が設定され、望月は千曲川や鹿曲川に境した700mから800mの高原台地、それに馬の牧草に適した草が繁茂しています。 その広さは3、000余町歩、これが朝廷直轄の牧場となったいわゆる望月牧です。 この朝廷直轄の牧場を維持、管理する牧監に、この地の一大豪族である大伴氏を祖とする望月氏が朝庭より任命されました。さらに長倉牧や塩野牧の朝廷直轄の牧場の長官についても望月氏が兼任しました。 望月氏は大伴氏の子孫とも言われています。 『日本霊異記』には、佐久郡に隣接する小県郡嬢(をむな)里(上田市神川から東御市海野周辺ですか)には大伴連忍勝(おおとものむらじおしかつ)が氏寺を里の中につくったという記事があります。 宝亀5年(774)のこととされますので、奈良時代の末に現在の上田市神川から東御市海野辺りに大伴を名乗る氏族がいたということになります。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-4 下は望月宿がある旧中山道側から見た大伴神社の参道です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-4 下は大伴神社の古めかしい鳥居です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-4 下は階段を登り切った丘陵の上から旧中山道を見た写真です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-4 大伴神社は、小社ではありますが御牧七郷の総社と称えられていたといいます。下は紀貫之が大伴神社を読んだものです。 逢坂の関の清水に影見えて、いまや曳くらむもちづきの駒 紀貫之 寛政の時代、佐久市にある新海神社は、佐久郡内一の大社であり、佐久郡内の各神社の神官は、新海神社の神事へ奉仕することになっていましたが、大伴神社・長倉神社・英多神社の三社は式内社であることを理由に、拒否しました。それに対し、新海神社は寺社奉行へ訴訟を起こすという事件があったそうです。 下は大伴神社の本殿を背にした池田こみちです。 大伴神社本殿 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-4 つづく |