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旧中山道、信州 宿場探訪

望月歴史民俗資料館1

(佐久市)

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

May 15, 2015
Alternative Media E-wave Tokyo
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信州 宿場探訪 (中山道 長久保宿〜望月宿)
長久保宿 1 長久保宿 2 長安寺 笠取峠・芦田宿
茂田井宿 1 茂田井宿 2 茂田井宿 3 望月宿1
望月宿 2 望月氏・望月城跡 城光院 大伴神社
望月資料館 1 望月資料館 2 望月資料館 3

◆望月歴史民俗資料館

 下のグーグルマップに見るように、望月宿の本陣があった場所に、現在、望月歴史民俗資料館があります。そのすぐ南には、以前の望月町役場、現在の佐久市望月支所があります。


出典:グーグルマップ
 
 下が望月歴史民俗資料館です。背後に見える建物は佐久市望月支所です。


望月歴史民俗資料館    出典:Wikipedia

 下は今回は観覧しなかった天来記念館です。


天来記念館   出典:Wikipedia

 この望月歴史民俗資料館は平成3年8月1日に開館しています。

 望月宿の本陣跡地に立地している望月歴史民俗資料館は、歴史的景観をそこなわぬよう配慮した外観と、内部には江戸時代の解体民家のはりを使うなど、趣ある造りになっています。

 古代の豪族が所持していた縄文式土器やまが玉・金環などの豪華な出土品、日本で初めて発見された石積みのある柄鏡形敷石(えかがみがたしきいし)住居跡の復元(原寸大)や中世まで献上した続けた望月牧(もちづきまき)の様子などを展示している「郷土の歴史と文化」、中山道69次の25番目の宿場町として栄えた望月宿の様子を古文書や絵図などの歴史資料で紹介している「中山道望月宿」、生活道具や養蚕から製糸までの流れと祭りや民俗芸能の様子を展示している「人々のくらしと伝統」の3つのテーマに分かれています。

 下の写真は入館時にいただいたパンフレットの表紙と観覧チケットです。


出典:望月歴史民俗資料館パンフ

 入館料は、この望月歴史民俗資料館だけを観覧する場合と、別途の施設を併せて観覧する場合で異なります。私達は、望月歴史民俗資料館のみを観覧したので大人一人300円でした。別の施設を併せて見る場合は500円となります。


出典:観覧券

◆「郷土の歴史と文化」、

 佐久市西部に位置する当地は、雄大な蓼科山を背景に、豊かな自然と培われてきた歴史的風土の中に存在しています。

 人々は、太古の昔から自然と相対しながら自らの豊かさを求め、社会を構成し、その中から数多くの文化を生み出してきました。また、多くの人々が当地を往来し、新たな文化を持ち込み、定着するに至っています。

◆平石遺跡・復元住居

 協和大谷池の平石遺跡からは、張出部に石組みのある縄文時代の柄鏡形敷石住居跡が日本で初めて発見され、展示室内に発掘調査で出土した実物の石を使って、原寸大に復元しています。

 これらの様子を、生活資料や古文書・絵図などにより展示しており、往時の姿を偲ぶことができます。

 下は、民話「望月の駒」の版画です。

◆民話「望月の駒」について

 
下は棟方志功による民話「望月の駒」の版画です。


民話「望月の駒」の版画
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4

◆民話「望月の駒」について

 その昔、望月の牧は朝廷(ちょうてい)へさし出す馬の産地として名高いところでした。ある年、望月のとの様の館(やかた)に一人のむすめが生まれました。同じ日に、牧の馬屋で月毛(※)の駒が生まれました。  

 「同じ日に、姫(ひめ)と駒が生まれるとはまことにめでたいことじゃ。姫は生駒姫と名づけようぞ!」。との様はたいそう喜びました。

 やがて、姫は山に咲くユリのようにりりしく美しく育ち、月毛の駒は美しい毛なみのたくましい駒になりました。 姫のうわさ、駒のうわさは四方に広がりました。

 姫が十三才をむかえたある日、うわさを聞いた都の帝(みかど)からおめしがありました。「わが牧の姫に帝のおめしじゃ。わが牧も栄えるというものよ」喜びにわく館とはうらはらに、月毛は馬屋にふしたまま、かいばを食べなくなってしまいました。

 「望月一番の駒が病とは一大事」と手をつくしてみましたが、いっこうに良くなりません。そこで、浅間の行者にうらなってもらったところ、「生駒姫に恋しているのじゃ」というのです。

 「帝にめされた姫に思いをよせるとはけしからん」。との様はたいへんなはらだちよう。ところが姫は、「わたしは月毛とともに、この自然の中でくらしとうございます」というのでした。

  困りはてたとの様は、月毛にあきらめさせるために、なんだいをもちかけました。「もし、鐘(かね)が四つ(十時)から九つ(十二時)を打つまでの間に、領内を三たびめぐりおえるならば、姫をあげよう」というのです。

 これを聞いた月毛は勇み立ちました。四つの鐘とともにかけ出した月毛は矢のように領内を走りぬけました。一たび、ニたび。そしてまだ九つには間があるというのに、三たびめぐり終えるところまで来ました。

 その時、なるはずのない九つの鐘がひびきわたりました。それを聞くと、むねもさけるばかり、足もおれるばかりにかけめぐってきた月毛は身もだえしながら、谷底へまっさかさまに落ちていきました。

 との様は「これでやっかいばらいもできたというもの。姫も都へ上がるであろう」と、にがにがしくわらいました。ところが、月毛の死を聞いた生駒姫は、都へ上るどころか長いかみをぷっちりたち切って、尼(あま)になってしまったということです。

(※月毛=赤みをおびた茶色)
(望月町教育委員会の協力を得て、地元に伝わる話を要約しました)

出典:http://machiken.info/mochiduki/motidukinokoma.html


◆望月城、望月牧関連展示

●郷土の歴史と文化

 佐久地域の人々の歴史は、今から3万2千年前までさかのぼることができ、原始・古代から近・現代に至るまで、数多くの遺構や遺物が出土しています。

 本展示室では、特に蓼科山北麓地域から出土した縄文時代の住居跡や土器・石器、古代の都から東国を繋いだ古東山道を裏付ける関連の遺物・古墳の様子や豪華出土品などを紹介しています。


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S8  2015-5-4

 また、500年間以上にわたって京都御所に御馬を献上した御牧「望月牧」の様子、今も遺構を留める戦国時代の山城も紹介しています。

 下は、望月城の推定図です。

 地形を上手に利用し、城光院裏の丘に何段もの石垣、要塞を築いています。


望月城推定図
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4



◆望月牧とは

 信濃国佐久(さく)郡,千曲川と鹿曲(かくま)川の間にある御牧原(みまきがはら)台地を中心に設置された御牧(勅旨牧)。信濃16牧の1つです。

 現長野県佐久市・東御市・小諸市にわたり,浅科村(現・佐久市)には御馬寄(みまよせ)の地名があります。

出典:コトバンク

◆望月牧と野馬除(のまよけ)(東御市御牧原)

 御牧ヶ原には、平安時代から鎌倉時代初頭にかけて朝廷の料馬を養成した御料牧場「望月牧」がありました。

 このような牧場は「御牧」と呼ばれ、甲斐・武蔵・信濃国の3国に設けられた23牧の中でも最大の規模を誇り、ここで産出された馬は駿馬「望月の駒」として全国に知られていました。

 牧場の規模は、現在の東御市・小諸市・佐久市にまたがる御牧ヶ原台地全域と、南は佐久市の瓜生坂、入布施、矢島原におよび、その面積は約2,100haといわれています。

 また、断崖など自然の障壁を除いては、周囲約38kmにわたって土手や柵を築き、馬が逃げ出すのを防いだといわれています。この土手を「野馬除」といい、現在では数箇所で確認され、指定文化財となっています。

出典:JA佐久浅間


◆「中山道望月宿」

 中山道は、江戸と京都を結ぶ幹線道路として、慶長7年(1602)に整備されました。


中山道六十九次の道のり
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4


中山道六十九次の道のり
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4

 望月宿は中山道69次の25番目の宿として、本陣大森家、脇本陣鷹野家、旅籠や問屋などが軒を並べていました。

 その中でも真山家や、建築当時の姿を今に伝えているとして、国の重要文化財に指定されています。

 下の写真は望月宿野本陣の門です。現在は、望月歴史民俗資料館の入り口となっています。


望月宿野本陣の門 現在は望月歴史民俗資料館の入り口
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4

 下の写真は門から望月歴史民俗資料館に入った中庭から門側を撮影したものです。背後には里山が連なっていることが分かります。この里山の一角に望月城がありました。


望月歴史民俗資料館の中庭
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4

 下の写真は中庭の一角にあった道祖神です。


中庭の一角にあった石仏
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4

 下の写真は、宿場の警護に当たった人々が使った文物です。わらじ、槍などがあります。


撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4

 下の写真は本陣大森家の宿札です。大名や旗本などの宿泊の時に掲げたものです。


本陣大森家の宿札
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4


 下は望月宿の定を書いたものです。


撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4

 下の写真は、皇女和宮宛の手紙です。望月宿に皇女和宮は宿泊していませんが、一行は1万5千人を超えているので、和田宿に隣接する宿にも行列の多くの人々が芦田宿(立科)、望月宿(佐久)宿泊しています。


撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4


撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4

 下は望月宿略年表です。


撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4


撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4


つづく