アンコール遺跡群現地調査報告 シェムリアップ基礎知識 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2019年2月24日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
アンコール遺跡全体目次 東南アジア巨大石造遺跡に魅せられて シエムリアップに行く1 シエムリアップに行く2 視察・見学の方法と注意 遺跡・寺院の概要・場所 <参考> カンボジア基礎知識 シェムリアップ基礎知識 博物館 クメール王朝について 創建順による遺跡・寺院 アンコール関連用語解説 クメール建築様式 アプサラとデヴァタ カンボジアの伝統工芸 シェムリアップ(Siem Reap)はカンボジア北西部のシェムリアップ州の州都です。 2012年の人口は18万9292人で、同国5位となっています。 アンコール・ワット、アンコール・トムなどを含むアンコール遺跡群の観光拠点となっていいます。 日本ではシエムレアプとも表記されます。 歴史 1886年のカンボジア。シェムリアップ周辺はシャムの統治下に 置かれていました。 Source:Wikimedia Commons シェムリアップ一帯は、何世紀もの間、シャム(現在のタイ王国)の領土かその王権の属国でした。Siem Reap は直訳すれば「シャム人敗戦の地」ですが、これは17世紀にクメール人がシャムのアユタヤ王朝の軍隊に勝利したことに因んでいます。 帝国主義時代にフランスは東南アジアの広大な領域を植民地化しました。カンボジアのほかにラオスもベトナムもこの「フランス領インドシナ」に属しました。1907年3月25日の条約で、シェムリアップ、バッタンバン及びシソポン(合計で 20,000 平方キロメートル以上)も植民地政府に属しました。 太平洋戦争中はタイ・フランス領インドシナ紛争と、それを終結させた東京条約により、一時期タイの領土となりましたが、戦後はフランス領に復帰しました。しかし1949年から1953年にかけカンボジア王国が成立すると、その領域となりました。 1975年から始まったクメール・ルージュ支配の時代には、全国の他の都市から誘拐されてシェムリアップの住民にさせられた人々が、畑での重労働に従事させられていました。 これらの人々は、1979年1月にベトナム軍が侵攻してクメール・ルージュに勝利した後、故郷の都市に帰されましたが、クメール・ルージュは1990年代の初めまで森に逃げ込んで攻撃を続けました。住民は、長年の間、バリケードを築いて中心街を守らなければならなりませんでした。シェムリアップやUNTAC平和維持部隊に対する最後の攻撃は1993年に起こりました。 政府が外国人観光客の入国を認めるようになると、多くの観光客がシェムリアップをアンコール遺跡群への拠点として利用したため、安定した収入源が加わりました。こうして、20世紀の初頭に建てられたホテルが次々に再び営業を始めました。 2000年代に入っても、シェムリアップは観光の拠点都市として発展し続けており、様々な種類のレストランに加えて、五つ星高級ホテルから5米ドルの安宿まで、あらゆる価格帯のホテルやゲストハウスが営業しています。 シェムリアップは現在プノンペンと同様に建設ラッシュの状態にあり、国立の巨大な博物館やコンサートホール(地元の小児は無料)、観光客向けの病院なども建設されています。 地理 シェムリアップ市街図 Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる 東南アジア最大の湖であり、世界でも有数の多様な魚類が生息するトンレサップ湖の約10キロメートル北東にあり、アンコール・ワットの6キロメートル南です。 シェムリアップ川の両岸に広がる市街地には60,000人の住民がいます。カンボジアの他の多くの町と同じく、いくつものWat(寺院と僧坊)の周りに発展した村がひとまとまりになって発展してできた町です。 町の中心にはオールド・マーケットがあり、その周りをフランス植民地風の民家が取り囲んでいます。 気候 以下は毎月の平均気温、降水量のです。私たちは11月にでかけましたが、平均混んで30.6度ありました。11月の降水量は他の月に比べればかなり低いのですが、湿度も高く、いわゆる不快指数は非常に高いと感じました。 Source:Wikimedia Commons 経済 観光客で賑わうパブストリート Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる トンレサップ湖周辺では、伝統的に、住民は水田での米作と漁業を生活の基盤とし、最も重要な収入源にしてきました。クメール・ルージュはアンコール遺跡群周辺を最後の拠点として抵抗を続けたが、相次ぐ投降を受けてポル・ポトがソン・センを処刑し、ついでポル・ポトが死亡すると、本格的な地雷撤去作業が始められ、シェムリアップは観光都市としての復活を始めました。 1990年代に一連のプロセスが進行し、カンボジア国内の政治情勢も安定して、シェムリアップも平和で国内でも比較的に繁栄するようになりました(とはいえ、カンボジアは最貧国の一つであり、平均月収は約30米ドルにすぎない)。シェムリアップの繁栄は観光業に負うところが大きいと言えます。 市街中心部には日本のNGOが設立した小児病院があり、北東部にも、ジャヤヴァルマン7世小児科病院があります。同院は、スイスの医師ビート・リヒナーがスイスとフランスを中心に集めた寄付で設立したものであり、子供達に無料で医療を提供しています。 彼はビートチェロという名前で毎週土曜日定期的にチェロのコンサートを開き、演奏を披露するとともに、児童の衛生について講演をしています。 観光 トンレサップ湖 Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる 市街地 トンレサップ川沿いにあるオールド・マーケットには観光客向けの店が多数立ち並び、特産の絹織物や工芸品が玉石混交で売られています。中には地元産でないものもあります。 地元産にこだわり、かつ質の高いものを求めるのであれば、オールド・マーケットを囲むように立ち並ぶセントゥール・ダンコールやアルチザン・ダンコールなどといったヨーロッパ資本の店があります。しかし、価格はかなり高いといえます。 東側にはプサー・ルー(そのまま「市場」の意)があり、観光客もそれなりに訪れますが、むしろ地元民の生活用品が中心であり観光客向けの商品は少ないようです。 夜間の治安は良いとは言いがたく、徒歩での移動はごく短距離を除いて避けたほうが良いようです。信用できるバイクタクシーやトゥクトゥクを利用したほうが安全です。 寺院 シェムリアップ最古の寺院の一つは Wat Bo でするが、その壁にはブッダの生涯を表現する壁画が描かれています。 Wat Thmei にはクメール・ルージュの犠牲者の遺骨を納め、記憶にとどめるために建てられたストゥーパがあります。 首都プノンペンのものよりは敷地面積、規模共に小さいですが、こちらもキリングフィールドとして、ポルポト政権下でのジェノサイドを学ぶため多くの外国人観光客が訪れます。 地雷博物館 クメール・ルージュ体制と内戦の恐怖を記憶するもう一つの場所が、シェムリアップからアンコールへ向かう途中にある地雷博物館です。同館の展示と管理を担当しているのがアキ・ラーであり、彼はかつてクメール・ルージュと戦うべくベトナム軍に13年間にわたって所属し、戦時中は地雷除去を担当していました。同博物館にはアキ・ラー氏が自分で除去し、信管を抜いた地雷が数多く展示されています。 トンレサップ湖 トンレサップの湖岸に沿って、支柱で支えられた建物だけでなく、屋形船でも生活する村がいくつもあって、よく「泳ぐ村」と呼ばれています。例年水位が上昇する時期には、村中総出で引っ越しをして、漁業で生計を立てています。また、トンレサップやその周辺の湖水に浸る地域は魚が豊富で様々な種類の鳥が集まってくることから、 Prek Toal 鳥保護区が設定されています。 文化 カンボジアの美術や工芸(木製や石製の彫刻、織物など)や芸能(伝統舞踊やスバエク(影絵芝居)など)は、芸術家がクメール・ルージュの殺人の犠牲者になってしまったため、ほとんど完全に破壊されてしまいました。シェムリアップでは、平和な市民社会の再建に伴い、各種の研究団体や芸術家グループが結成され、こうした技芸を復興させています。 伝統舞踊 カンボジアの伝統舞踊、アプサラ シェリムアップのレストランシアターにて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-4 カンボジア古典舞踊は、ユネスコの世界無形文化遺産に登録されています。カンボジアの舞踏には、古来より、宮廷の儀式で舞われた王宮古典舞踏と、庶民に受け継がれた民族舞踏の二つの流れがあります。 カンボジアの宮廷古典舞踏は、アンコール時代、王や神々への祈りのために舞われ、以来王宮で大切に保護されていましたが、クメール・ルージュの弾圧の対象となり、9割の舞踏家や楽師の命が失われ一時滅亡の危機に陥りました。しかし、1980年、王室や生き残った舞踏家たちにより、王立芸術大学が再開し、古典舞踏も盛んとなっています。 古典舞踏の代表的な演目に「アプサラ・ダンス」があり、カンボジア舞踏を通称 アプサラ・ダンス と呼ぶこともあります。アプサラの語源は、「アプサラス」という古代インド神話に登場する天女で、天の踊り子、または、クメール王からの神への最高使者を意味します。世界遺産アンコール・ワットの壁画の浮彫(レリーフ)にも、アプサラ(天女)の舞の様子が無数に刻まれています。 カンボジア舞踏では、スコー・トム(大きい太鼓)、スコー・トォチ(小さい太鼓)、サンポー(合付き樽型両面太鼓)、コーン・トォチ(環状ゴング)、ロニアット・アエック(木琴)、ターケー(鰐琴)などの楽器が使われます。 影絵芝居 カンボジアでは、特に西部で、インドネシアの有名なワヤン・クリと同様の影絵芝居が行われています。 シェムリアップでは、例えば Krousar Thmey Foundation の子どもたちが毎週1回、 Hotel La Noria のレストランで上演しています。現代的な話題を紹介したり盛り上げたりする目的で、登場人物やストーリーが追加されることもあります。例えば、団結とか、敬老の心とか、児童擁護とか、エイズ撲滅といった具合です。伝統楽器によるカンボジア音楽も聴くことができます。影絵人形は、地元の House of Peace Association がその他の物とともに製造しています。 交通 シェムリアップ国際空港 Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる 空路 - 市街地北西にシェムリアップ国際空港があり、アジアの各地に安い航空便が出ていまあす。2005年には国際線ターミナルも近代的なものに改築新装され、アメニティが充実しています。 陸路 バス - プノンペン、ポイペト(タイ国境)などへのバスがあります。韓国製などのエアコン付バスを使用しており、安価で快適な移動手段となっています。乗客の大半は現地人が占めます。 バスターミナルは町の中心から東に3kmほど離れています。ピックアップトラック - プノンペンをはじめとする各地にピックアップトラックが出ています。原則として荷台に詰め込まれることになり、観光客が利用することはまずありません。 市内公共交通は全く存在しません。市内の移動は徒歩のほか、アンコール・ワット等のアンコール遺跡群への観光はタクシー、トゥクトゥク、バイクタクシーなどを使用するか、レンタサイクル、レンタル電動スクーターを利用するのが一般的です。水路 - トンレサップ湖からプノンペンへ観光客向けのスピードボートもあります。 博物館につづく アンコール遺跡全体目次 |