■日本ロマンチック街道とは 今年のゴールデンウィークは、東は長野県上田市、西は栃木県宇都宮市に至る通称、<日本ロマンチック街道>沿いの上信越のまちの春を感じることを目標とした。 日本ロマンチック街道は西から上田市、東御市、小諸市、御代田町、軽井沢町、嬬恋村、長野原町、草津町、六合村、東吾妻町、中之条町、渋川市、高山村、沼田市、昭和村、みなかみ町、川場村、片品村、日光市、鹿沼市、宇都宮市が対象となっている。 このロマンチック街道には、上信越高原国立公園、尾瀬国立公園、日光国立公園と日本を代表する3つの国立公園が東西に横たわっている。 太字は今回実際にでかけたまちである。草津、日光、宇都宮を残し、日本ロマンチック街道に含まれる15の市町村を訪問し、「春」を感じることが出来た。 |
■2009年5月3日(日)花曇り
●赤岩(六合村)の養蚕農家
不動の滝を見学した後、私たちは国道145号線を戻り国道292号線沿いに六合村の赤岩に行く。
292号線に入った途端、とんでもないものを見てしまった。水没地域のお墓の移転先である。お墓の再開発といってよい。真新しい御影石でつくられたお墓で、果たして故人は安らかに寝られるであろうか?
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
群馬県六合村(くにむら)の赤岩(あかいわ)で重要歴史的建造物を視察する。小さな山間の村だが、歴史、文化が凝縮しているすばらしい村である。
青山、池田は何度も来ている。昨年のゴールデンウィークにも来た。坂本弁護士ははじめてである。不動の滝で出会った関さんはこの赤岩に住んでいる。
<今日の一枚>5月の六合村赤岩の歴史的養蚕民家
中山間地にある赤岩の風景
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
赤岩は現在、重要歴史的建造物地区に指定されており、養蚕農家を中心に多くの歴史的建造物が保存されている。
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
六合村の歴史 六合村には古くから人が住んでいたことが、広池遺跡(縄文時代)、熊倉遺跡(平安時代)および各地の出土品から推定されます。 鎌倉時代初期には、西吾妻に狩り訪れた源頼朝が、花敷温泉を発見したと伝えられています。また、この狩りの案内をした細野御殿介が、草津温泉を発見した功績で「湯本」の姓を賜ったと伝えられています。湯本氏は戦国時代から江戸時代初期にかけて、現在の六合村と草津町周辺を支配する有力者になっていきます。 戦国時代末期になると、現在の六合村を含む西吾妻周辺は武田氏配下の真田幸隆の支配下に入ります。その後幸隆の子昌幸の統治を経て、豊臣秀吉の小田原征伐後、沼田藩を与えられた昌幸の長男信幸(信之)の統治に入ります。 江戸時代になると、沼田藩5代藩主信利が改易され、幕府の直轄地になります。その後一部地域は分割により旗本領になり、明治にいたります。幕末には開国を唱えた蘭学者高野長英が、一時赤岩に隠れ住んだと伝えられています。 また、信州松代藩の佐久間象山が、資源の調査のために入山を訪れています。明治になると、廃藩置県により岩鼻県、群馬県、熊谷県を経て、明治9年以降は群馬県となります。 明治22年には自治制施行に伴い、草津村と称し役場を小雨に置きましたが、明治33年(1900年)7月1日草津村を廃し、入山、生須、小雨、太子、日影、赤岩の6大字をもって「六合村」と称します。平成12年(2000年)には100歳を迎えました。 出典:http://www.vill.kuni.gunma.jp/guide/rekishi.html |
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
赤岩にも季節の花々が沢山ある。この時期には桜、菖蒲なども競って咲いている。
赤岩の八重桜
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.2
赤岩のあやめ
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
赤岩の春紅葉
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
この六合村赤岩には、その昔、養蚕農家が多数あった。下の写真にあるように今も建築物、建造物にその面影を見ることが出来る。
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
赤岩地区 岩山を背景に、農家住宅・土蔵が軒を並べ、古い石垣や庭木等により心安ませるのが赤岩です。 地区内の旧家「湯本家」は、木曽義仲の残党と言われ、戦国時代から江戸初期にかけて子孫が活躍して繁栄の基礎を築き、江戸期は漢方医学の流れの医者を出し、河童伝説の家伝薬「命宝散」や「月桂酒」という薬酒の製造と医業にたずさわった歴史があります。 1806年頃に建造された湯本家住宅は高野長英をかくまったと伝えられる「長英の間」などを残す貴重な民家であり、また地域内には岩山を切り開き道路を開設した秀英法印、神社仏閣などが歴史的経緯を偲ばせてくれます。 出典:http://www.vill.kuni.gunma.jp/guide/rekishi.html |
下は、明治維新に開国を唱えかの蘭学者であり蘭医の高野長英が一時期、隠れ家としていた建築物だ。現在は湯本氏の自宅となっている。高野長英はあのシーボルトに学んだ蘭医のひとりでもある。
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
赤岩にある関さんのご自宅。木造三階建ての立派な養蚕農家の建築物である。昨年春に来たときは、関さんの解説のもと二階、三階と養蚕農家を見せていただいた。三階には蓑など、往時の文物が展示されていた。
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
赤岩の木瓜(赤)
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
赤岩のアケビ
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
赤岩のツツジ
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
赤岩のひなげしの一種
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
赤岩のひなげし
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
赤岩のエニシダ
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
赤岩の苧環草(おだまき)
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.3
この後六合村の道の駅で昼食をとる。ここの山菜そばはなかなかおいしい。坂本さんは、ととろざるそば大盛り、池田さんは天ぷらそばを食べる。この日はゴールデンウィーク真っ最中ということもあり、すごく混雑していた。いつものように花豆ソフトも食べる。
続く