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 春まだ浅い上信越を行く
J春の海野宿の花々

青山貞一、池田こみち 11 May 2009
独立系メディア「今日のコラム」


@1日目:鎌原神社と満蒙開拓団祈念碑 J3日目:春の海野宿の花々
A1日目:浅間牧場と天丸山 K4日目:川場村に遠征
B1日目:バラギ湖と田代湖 L4日目:山開き前の尾瀬を登る
C2日目:半出来温泉は春爛漫 M4日目:番外編:尾瀬遭難について
D2日目:吾妻渓谷と八ツ場ダム工事現場 N4日目:大清水の水芭蕉
E2日目:六合村赤岩の養蚕農家 O4日目:花咲温泉と天王桜
F2日目:残雪の野反湖へ P5日目:雨の花楽の里
G3日目:浅間大滝から軽井沢の農水路 Q5日目:秘境、沢渡温泉郷
H3日目:佐久の蕎麦と東御の温泉
I3日目:ツバメ飛ぶ海野宿

■日本ロマンチック街道とは

 今年のゴールデンウィークは、東は長野県上田市、西は栃木県宇都宮市に至る通称、<日本ロマンチック街道沿いの上信越のまちの春を感じることを目標とした。

 日本ロマンチック街道は西から上田市、東御市、小諸市、御代田町、軽井沢町、嬬恋村、長野原町、草津町、六合村、東吾妻町、中之条町、渋川市、高山村、沼田市、昭和村、みなかみ町、川場村、片品村、日光市、鹿沼市、宇都宮市が対象となっている。

 このロマンチック街道には、上信越高原国立公園、尾瀬国立公園、日光国立公園と日本を代表する3つの国立公園が東西に横たわっている。



 太字は今回実際にでかけたまちである。草津、日光、宇都宮を残し、日本ロマンチック街道に含まれる15の市町村を訪問し、「春」を感じることが出来た。


■2009年5月4日(月) 花曇り

●春の海野宿の花々



 重要伝統的建造物群の保存地区である海野宿についての解説。

海野宿の解説
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10
 2009.5.4

 下は海野宿という名称のもととなった海野氏の事跡についての解説。


海野氏の事跡
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.4

 ※参考:初秋の海野宿 環境総合研究所北軽井沢研究室
  <海野宿>
周辺地域の自然と歴史文化ギャラリー

 海野宿には過去2回来ているが、いずれも初秋か秋だ。今回初めて春に来た。以下に海野宿の春の花の写真をご覧いただきたい。


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.4


海野宿の藤
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.4


海野宿のドウダンツツジ
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10
 2009.5.4


海野宿のハナミズキ
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10
 2009.5.4


海野宿のサクラソウ
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10
 2009.5.4


海野宿のアメリカハナミズキ(白花)
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10
 2009.5.4


海野宿の苧環(オダマキ)
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.4


海野宿のライラック
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10
 2009.5.4

 下は海野宿の入り口にある白鳥神社境内の巨大な樹齢700年を越えたケヤキ。私たちは白鳥神社にお参りした後、海野宿を後にする。


海野宿の入り口にある白鳥神社の境内
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.4


樹齢700年を越えた白鳥神社の大ケヤキ
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10
 2009.5.4

 海野宿は歴史文化的価値をもつものだが、何度来ても残念なのは宿の真ん中を車が往来していることでだ。何しろ安心して宿を見学できない。最低限、通過交通を時間規制すべきである。


通過交通の往来が結構激しい海野宿
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10
 2009.5.4

海野宿とは

 1625年(寛永2年)に、北国街道の宿場として、江戸幕府によって設置された。当初は田中宿との合宿であり、後に本宿になった。

 宿場町開設以前は、海野郷や海野庄などと呼ばれ、東信濃の豪族滋野氏やその嫡流に当たる海野氏の領地として栄え、宿場町開設以前から集落が形成されていた。

 木曽義仲が挙兵した地や海野平の戦いがあった地、海野氏の子である真田幸隆やその兄弟の出身地とも言われている。1583年には上田城城下町を形成する為に、海野から上田に人を呼び寄せた為、集落を縮小され宿場町開設に至った。

 海野宿には、本陣1軒と脇本陣2軒が設けられ、佐渡の金の江戸までの輸送、善光寺までの参拝客や、北陸諸大名の参勤交代などで利用され、非常に賑わいをみせていた。明治時代には鉄道網の発達により宿場町の利用客が減った為、養蚕業を主に行っていた。

 現在でも本陣、脇本陣、問屋、旅籠などの跡が残っており、昭和61年には「日本の道100選」に、昭和62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けている。

 また明治時代には信越本線の駅の設置が計画されていたが中止になった。 しかし、また最近になってしなの鉄道線の新駅、海野宿駅の設置が計画されている。

出典:Wikipedia


 海野宿を後に、北軽井沢の別荘を目指す。国道は混んでいると思い、途中から浅間サンラインを通って追分けまででる。浅間サンラインは浅間山の南山麓を走る国道18号のバイパスである。

 千が滝を抜けて北軽井沢に帰る。道はすいていて快適。


■今日の夕食

 別荘では、池田さんが東京臨海部の月島商店街で買った「もんじゃ焼きセット」をもとにもんじゃ焼きと焼きそばを堪能する。なんといっても日本一のキャベツの生産地、もんじゃ焼きに嬬恋村のキャベツがよく似合う。

 月島のもんじゃ焼きセットにも、下にあるようにいろいろなものがあり、楽しめる。

   

 私たちが食べたのは以下のもの。



 私達はもんじゃ焼きが大好きで、よく月島商店街のもんじゃの店に行っている。もんじゃ焼きキットには、キャベツ以外すべてが入っている。きゃべつといえば嬬恋村というわけで、別荘に来るときはよくもんじゃ焼きキットをもってくる。


続く