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2012年10月1日東京駅舎の一大改修後のグランドオープンの日です。 復元なった東京駅 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 撮影:青山貞一 復元なった東京駅 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 この東京駅を設計したのは、言うまでもなく辰野金吾です。 ◆青山貞一:辰野金吾と東京駅 You Tube ●辰野金吾の生涯 辰野 金吾は、1854年10月13日〈嘉永7年8月22日〉に生まれ 1919年3月25日に逝去しています。辰野は、日本の武士であり、建築家です。 略歴は、のちの帝国大学工科大学、現在の東京大学工学部となる工部大学校に再試験で末席で入学しましたが、持ち前の努力とがんばりで首席で卒業しています。 工部大学校 工部大学校 辰野は、帝国大学工科大学学長、建築学会会長としても知られています。辰野は、設計の頑丈さから「辰野堅固」と呼ばれていました。 帝大では後進の指導にも大いに励み、伊東忠太、長野宇平治、武田五一、中條精一郎、塚本靖、野口孫市、大沢三之助、関野貞ら多くの人材を輩出しています。 帝国大学総長渡邉洪基(渡辺洪基) の意向を受け、工手学校、現在の工学院大学 の創立(明治20年)や運営にも尽力しています。 東大仏文科で小林秀雄、三好達治らを育てたフランス文学者・辰野隆は辰野の息子です。 辰野 金吾 1854年10月13日〈嘉永7年8月22日〉〜1919年3月25日 ところでこの著名な建築家であり、東京駅などを設計した辰野金吾は、佐賀県唐津の出身です。 辰野は嘉永7年(1854)8月22日に佐賀県唐津市で生まれ、明治3年、17歳の時に唐津藩の英語学校に入学しました。教師はあの高橋是清です。 同級生に曾彌達蔵がおりました。 明治5年、高橋是清が帰京すると辰野そして曾彌も相次いで上京します。当時、唐津から東京までは、船を乗り継ぎ、また開通したばかりの横浜〜新橋は鉄道を利用、それでも 唐津から12日間もかかる旅だったそうです。 そして辰野が20歳の時、工部省工学寮第1回入学試験があり、やっとのことで末席、しかも再試験で合格します。この工学学校の寮は赤坂葵町、現ホテルオークラに置ありました。その後、虎ノ門、今の霞ヶ関ビルに煉瓦づくりの校舎をつくり移転しています。 工学寮はその後、東京大学工学部、さらに東京大学生産技術研究所と変遷してゆきますが、当時、これからの人材を養成することを目的に、学費はすべて官費でまかなわれていました。 辰野は、当初、造船を志望しますが、教養課程終了後、造家科、今の建築学科に進みます。同じ学科には、宮伝次郎、曾彌達蔵、片山東熊、佐立七次郎らがおりました。 明治10年、工学寮は上述の工部大学校と名称を変更しました。工学寮の建築学科は、英国の考え方、技法を重視していましたが、このとき英国からジョサイア・コンドルが教授として着任します。わずか25歳です。 ジョサイア・コンドル 工部大学校となったころから、意匠(デザイン)なども加わり、建築と芸術を一体としたものに転換していったのです。 明治12年、末席で入学した辰野ですが、何と工部大学校を首席で卒業します。この頃、首席で卒業した者には官費での留学がご褒美としてありました。さらに帰国後には高い給料で、英国からの教授に替わり教官となって後輩の指導をすることが期待されていたのです。 英国留学から帰った辰野は建築設計実務と建築教育で活躍します。 明治17年、工部大学校教授に英国から着任していたジョサイア・コンドルの後任として辰野が就任します。そして33歳になって東京の銀座に辰野建築事務所を開設したのです。 明治35年末にで工科大学教授を辞任し、翌年、辰野葛西事務所を銀座に開設、明治38年には大阪に辰野片岡事務所を置きます。 これらの事務所で日銀とその支店をはじめ全国規模で建築設計の仕事を展開します。 辰野といえば東京駅、日本銀行、国会議事堂などの設計者として有名ですが、主なものだけをとっても以下に示すように、多くの物があります。 中には、何とJR秋葉原駅近くの万世橋にも万世橋駅舎(初代) (1912年/東京都千代田区神田/関東大震災で焼失)もあります。以前交通博物館があったところです。 ・銀行集会所 (1884年/現存しない) ・工科大学本館 (1888年/東京都/現存しない) ・英吉利法律学校(現・中央大学)校舎 (1888年/東京都/ 現存しない/1887年締結の「英吉利法律学校新築約定書」は 日本初近代的建築契約書とされる) ・日本銀行本店 (1896年/東京都中央区/重要文化財) ・日本銀行大阪支店 (1903年/大阪府大阪市) ・日本銀行京都支店 (1906年/京都府京都市/重要文化財/ 現・京都文化博物館別館) ・第一銀行京都支店 (1906年/京都府京都市/ 現・みずほ銀行京都中央支店/レプリカ再建) ・浜寺公園駅 (1907年/大阪府堺市/登録有形文化財) ・第一銀行神戸支店 (1908年/兵庫県神戸市/外壁保存/ 現・みなと元町駅) ・国技館 (1909年/東京都墨田区/のち日大講堂/現存しない) ・日本生命九州支店 (1909年/福岡県福岡市/重要文化財) ・奈良ホテル (1909年/奈良県奈良市) ・岩手銀行本店本館 (1911年/岩手県盛岡市/重要文化財/ 現・岩手銀行中ノ橋支店) ・松本健次郎邸 (1911年/福岡県北九州市/重要文化財/ 現・西日本工業倶楽部会館) ・万世橋駅舎(初代) (1912年/東京都千代田区神田/ 関東大震災で焼失) ・日本銀行小樽支店 (1912年/北海道小樽市/ 現・日本銀行旧小樽支店金融資料館) ・大阪教育生命保険 (1912年/大阪府大阪市/現・シェ・ワダ) ・二十三銀行本店 (1913年/大分県大分市/登録有形文化財/ 現・大分銀行赤レンガ館) ・中央停車場(現・東京駅) (1914年/東京都千代田区/重要文化財) これが東京駅!! ・武雄温泉新館・楼門 (1914年/佐賀県武雄市/重要文化財) ・日本生命京都支店 (1914年/京都府京都市/登録有形文化財/ 現・日本生命京都三条ビル) ・百三十銀行八幡支店 (1915年/福岡県北九州市/ 市指定有形文化財/現・北九州市立旧百三十銀行ギャラリー) ・大阪市中央公会堂 (1918年/大阪府大阪市/実施設計/重要文化財) ・明治専門学校本館 (1920年/福岡県北九州市/現存しない) 東京駅(中央停車場)の設計の依頼を受けたのは明治36年、明治41年に着工し、大正3年に竣工します。一方、国会議事堂ですが、辰野はコンペの一次審査に係わりましたが、大正8年3月に自宅で亡くなりました。享年66歳。 <参考、引用文献> ・Wikipedia ・辰野金吾小伝 ●唐津短訪 その辰野金吾が生まれたのは、唐津藩、今の佐賀県唐津です。 唐津には一昨年夏、全国私学図書館長会議が西南学院大学で開催されたとき、会議終了後、一人で向かいました。 唐津は古い城下町で唐津焼など陶磁器で有名です。宿泊したのは、下の写真にある虹ノ松原の真ん中にある虹ノ松原ホテルです。陸前高田のように江戸時代、海側に海岸線に沿って大きな松林をつくっておりそのど真ん中に、国民宿舎的なものとして存在していました。 「虹ノ松原」全景 出典:Wikipedia 現在の松浦川河口(平成21年10月) 手前右が「虹ノ松原」 ここから旧市街まで毎日歩きましたが、旧市街の一角に、辰野金吾についての展示板がありました。その近くに地元唐津で唯一の辰野関連の建物、唐津銀行本店あり、これを見ることができました。もちろん写真も撮りました。 このときは、後期の授業がはじまるまえだったので、3日間、唐津に滞在しました。2日目は唐津からバスで「呼子」まで行きました。呼子はイカシューマイで全国的に有名な漁港です。ここのおばあちゃんらの朝市は有名で、私も朝についたので楽しみました。 呼子漁港 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 呼子の朝市 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 呼子の朝市 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 呼子の朝市 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 呼子の朝市 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 さらに呼子の漁港から郵便船で馬渡島(まだらじま)まで行きました。隠れキリシタンの島です。カトリック馬渡島教会という小さな教会があるだけ、他は何もない漁村です。 タクシー、バスもなく呆然としていたら、漁師のおばあさんが声をかけてくれ、親切にも次の船がくるまで教会はじめ島の要所を軽トラックで案内してくれました。 馬渡島の漁港 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 何でも自分の孫が大阪に行っているおり、大都市のひとにいつ世話になるかわからないので親切にするんだとおっしゃっていました。もっぱら、東京からは、70年以上すんでいて青山がはじめてだと言っていました。 馬渡島の名前の由来ですが、その昔、朝鮮半島から馬が泳いでこの島にわかってきたからだそうです。この島のすぐ西は長崎県の小さな島がたくさんあり、やはり隠れキリシタンの島だそうです。 この島には現在でもカトリック信者が多くいます。なんでも江戸時代にキリシタン弾圧を逃れるために長崎県の外海や平戸、五島などから漂流してきた人々によって島に広まったと言われています。 馬渡島の天主教教会 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 馬渡島の天主教教会内部 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 教会ではなんと、牧師さんの自宅に案内され恐縮しました。 帰りは呼子ではなく、名護屋まで船で行き、佐賀県立名護屋博物館を見学しようとしたのですが、船を降りたら、タクシーもバスも何にもなく、途方に暮れていたところ、地元の方が寄ってきて、歩くと炎天下1時間はかかるので、自分の車で送ってあげると博物館まで送ってくれました。 なんと、2度も地元住民の親切、この上なくうれしかったです。 この名護屋は、豊臣秀吉が加藤清正(熊本)など、全国各地の大名をこの名護屋の地に集め、朝鮮征伐(侵略)に行った地です。名護屋港は、今は漁港ですが、出陣の港となっています。この地に全国大名が何年も集結し、陣地をつくったこと、秀吉が茶の湯をたしなんでいたことから、唐津、伊万里などの陶磁器が佐賀のこの地に栄えたのだと思います。 佐賀県立名護屋城博物館 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 佐賀県立名護屋城博物館 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 名護屋博物館にはそのころの文物があり、数時間楽しみました。 その翌日、唐津市街を歩いていたらひときわ目立つ建築物に遭遇しました。 歴史的文化的な建築物こそ、旧唐津銀行本店の建物です。 辰野の愛弟子が設計した唐津銀行本店 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 辰野の愛弟子が設計した唐津銀行本店 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 実はこの煉瓦造りの歴史的建築物は、日本近代建築の祖といわれる辰野金吾監修の明治の洋館「旧唐津銀行」(唐津市本町)であり、その保存整備工事が行われていました。 当初、「旧唐津銀行の保存整備の竣工は10月のオープン予定だったのですが、敷地内から見つかった唐津城三の丸の石垣の記録保存のために来年(2011年)3月末に延期されたとのことです。 ところで、この旧唐津銀行は1912年(明治45年)のレンガ造りの地下1階、地上2階建ての建築で、延床面積は約900平方メートルである。辰野氏が監修し辰野の弟子、田中実が設計したものです。 唐津一体は、明治時代石炭産業が隆盛し、そのひとつの象徴が旧唐津銀行とのことで、2002年、近代遺産として市重要文化財に指定されていました。 しかし、老朽化が激しく総事業費約8億7000万円をかけ保存整備が2008年度よりはじめられました。保存工事は当時、清水建設が保管していた創建時の設計図や写真などを基にして、可能な限り当時の姿に戻したといいます。 銅板ぶきだった屋根は、粘板岩系の天然スレートとしたほか、内、外部の装飾金物も復元しています。また1階の公衆室と営業室の仕切りカウンターには高さ1・3メートルの真ちゅう製の格子を設けている。壁に穴を空けて鉄筋を入れるなど耐震補強も行っています。 オープン後は、1階を多目的スペースとして観光情報コーナーや休憩所とし、2階を辰野氏ら郷土出身建築家らに関連する展示コーナー、さらに地下は大正時代をイメージしたレストランにするそうです。
下は唐津が生んだ秀逸な建築家たちのプルフィール。 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 その翌日、唐津から福岡経由で帰郷しましたが、途中、福岡の町中を歩いていたら、辰野が設計した何とか銀行のすばらしい建物を見ました。これも煉瓦づくり、まるでエジンバラにでもいるような風格ある建物でした。これこそ、辰野が設計した日本生命九州支店 (1909年/福岡県福岡市/重要文化財)です。 辰野が設計した日本生命九州支店 (1909年/福岡県福岡市/重要文化財) 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.12 2012年10月1日は、辰野今吾が設計した東京駅舎の復元、リニューアル事業のグランドオープンがあります。 東京駅は、頑強で関東大震災にはびくともしなかったそうですが、太平洋戦争時、米軍の空襲でドームなどが破壊されていました。5年ほど前からドームを含めた大規模な復元した工事がJR東日本により行われてきました。 下の写真は2012年9月29日に、撮影したものですが、見事ドームも復元されています。まるで英国のエジンバラの旧市街を見る思いがします。 復元なった東京駅 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 復元なった東京駅 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 10月3日には、東京ステーションホテルが改修オープンすることになっていますが、昔、あるテレビ局の番組出演との関連でここに一泊したことがあります。東京にいながらですが。 東京駅丸の内構内が見渡せる場所にレストランがあったりで、なかなか思い出深いものがあります。 <関連ブログ> ●特集:初秋の肥前歴史短訪(唐津編) 青山貞一:初秋の肥前歴史短訪 @唐津 「虹の松原」へ 青山貞一:初秋の肥前歴史短訪 A唐津城下町絵図 青山貞一:初秋の肥前歴史短訪 B唐津城下町の水辺散策 青山貞一:初秋の肥前歴史短訪 C唐津城下町の水辺今昔 青山貞一:初秋の肥前歴史短訪 D唐津城下町の町田川界隈 青山貞一:初秋の肥前歴史短訪 E唐津の古い町名と歴史的建築物 ●特集:初秋の肥前歴史短訪(呼子・馬渡島・名護屋編) 青山貞一:初秋の肥前歴史短訪 F唐津から呼子へ 青山貞一:初秋の肥前歴史短訪 G呼子から馬渡島へ 青山貞一:初秋の肥前歴史短訪 H隠れキリシタンの馬渡島 青山貞一:初秋の肥前歴史短訪 I馬渡島から名護屋城博物館へ 青山貞一:初秋の肥前歴史短訪 J名護屋城博物館 青山貞一:初秋の肥前歴史短訪 K名護屋城と朝鮮唐津〜窯業と茶の湯〜 青山貞一:初秋の肥前歴史短訪 Lアナロジーとしての名護屋とドレスデン |