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9月11日(土)は午前7時に起床。今日も天気は上々。今日の予定は、以下の通り。かなりハードなスケジュールだ。この予定は東京であれこれ考え練ったものである。 路線バスや定期船のスケジュールにあわせ徒歩で移動する。何しろ路線バスは1時間に一本程度、馬渡島へゆく定期船は3時間に一本しかない。しかも少ない情報で調べると、馬渡島に渡ってからも、バスはもとよりタクシーもない。また馬渡島からの帰りは呼子港でなく名護屋港に行くこととしたが、果たして名護屋港から名護屋城跡までどうやって行けばよいのか、東京ではわからなかった。 そもそも以下の予定をわずか1日でこなすこと自体無謀かもしれないが、初秋とはいえ日は長い。最後は何とかなるだろうと出発した。 ・午前中 <虹ノ松原ホテル>→<唐津>を徒歩で移動 約40分 ・午前中 <唐津>で朝食 ・午前中 <唐津旧市街>を徒歩で視察 約2時間30分 ・昼 <唐津>→<呼子>へ路線バスで移動 約35分 ・昼 <呼子>を徒歩で視察 約1時間 ・午後 <呼子>→<名護屋>→<馬渡島>へ定期船で移動 約45分 ・午後 <馬渡島>で昼食後、徒歩で島内散策 約2時間 ・午後 <馬渡島>→<名護屋>へ定期船で移動 約35分 ・午後 <名護屋>名護屋城県立博物館まで徒歩で移動 約1時間 ・夕方 <名護屋>城博物館及び名護屋城跡を散策 約2時間30分 ・夕方 <名護屋>→<呼子>→<唐津>を路線バスで移動 約1時間 ・夕方 <唐津>を散策後<虹ノ松原ホテル>に徒歩で移動 約1時間 以下は9月11日に私がまわる主なまちや島の概要である。とくに馬渡島は九州在住のひと、いや福岡県、さらに佐賀県人でもほとんど行っていないような島である。東京からの一人旅がどうなるかワクワクだ! ・唐津は唐津城を中心とした城下町。朝鮮唐津など唐津焼でも全国的に有名だ。 呼子(よぶこ)はイカ釣り漁業の拠点のまち、朝市で有名なまちだ。池田さんから定期的にいただいているイカ・シュウマイはこの呼子から送られてくるものだ。 馬渡島は佐賀県北部(肥前)の離小島の中では最大面積の漁師の島。ひとりの隠れキリシタンが渡り、現在では約600人の島民の約半分がカソリックの信者になっているとのことで、小さなカソリックの教会があるという。 また「元寇」との関連でも馬渡島に監視台が残っているなど長崎県の五島列島の島々同様、歴史文化でも興味津々の島である。 名護屋は、天下を統一した豊臣秀吉が中国明、朝鮮侵攻の拠点として居城を置き、全国各地の大名、家臣らがそれぞれ陣を設けた歴史的場所である。いわゆる文禄の役、慶長の役の日本側一大拠点として有名である。現在、城や陣はなく石垣跡があるだけだが、佐賀県が名護屋城県立博物館を名護屋城跡の一角に置いている。 午前8時過ぎ「虹の松原ホテル」を徒歩で出発。まずは唐津の中心市街まで歩く。 虹ノ松原ホテルの玄関 虹ノ松原ホテル周辺も松原。 虹ノ松原ホテルのアプローチ 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 歩いて数分で、シーサイドホテル前を通過。 宿泊先のすぐとなりにあるシーサイドホテル 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 さらに数分で下の写真にあるロイヤルホテルに到着。 虹ノ松原の西はずれにあるロイヤルホテル 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 この後は、347号線から279号線づたいに唐津城に向かってひたすら歩く。 まずは唐津城まで歩く。約25分。 出典:グーグルマップ 下は279号線から見た松浦川とそこに架かる松浦橋である。右側が唐津市街となる。 松浦川に架かる松浦橋。対岸は和多田 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 279号線をひたすら西に向かうと松浦川の河口に架かる<鶴舞橋>に出る。その対岸には下の写真のように、朝日に映える唐津城と石垣が見える。なかなかどうしてすばらしい位置に城がある。 鶴舞橋の下を流れるのは松浦川。もともと城側と虹ノ松原側は陸続きであったが、寺沢広高が唐津城を築城した際、切り離され、松浦川が唐津湾に注ぐようになった。今流に言えば、巨大な公共土木事業である。一方、虹ノ松原を造成したのも寺沢広高である。 279号線に架かる端から見た唐津城 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 下は鶴舞橋を渡ったところにあった江戸末期の「唐津城下町絵図」に描かれた唐津(舞鶴)城である。タイルに焼き付けられた元の絵図は傷みがひどく、多数のシミ、汚れがあったので、青山がCG技術を駆使し修復を試みた。上の写真に見える石垣が下の写真の右側にあたる。 江戸末期の「唐津城下町絵図」にみる唐津城 影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 下は虹ノ松原を含む東唐津である。水嶋村とある。私が宿泊した「虹ノ松原ホテル」は、下図の二里ノ松原と書いてある右端に相当する。 江戸末期の「唐津城下町絵図」にみる東唐津、虹ノ松原西部 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 下は、上の2枚を含む江戸末期小笠原版時代に書かれた「唐津城下町絵図」の全体絵図である。かなり埋め立てられ地形が改変されているとはいえ、現在とそれほど地形、道など地理は変わっていないことがわかった。また唐津の町の骨格、輪郭もほぼ現在と大きく変わっていないこともわかる。上(北)には台形の大島も見える。右下の湾に見える部分は松浦川の河口である。 |
鶴舞橋を渡り切り、少し西に行った市営駐車場から撮影した唐津城の天守閣である。 青空に映える唐津城 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11 唐津城概要 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.11
つづく |