エントランスへはここをクリック   
隠れたサクラの名所
池上本門寺
15.御廟所


青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
April 10, 2016  Independent Media E-wave Tokyo 
            隠れた桜の名所 池上本門寺 総目次
①はじめに  ②参道、総門  ③比経難持坂  ④寺の猫  ⑤全体配置
⑥仁王門 ⑦日朝堂  ⑧長栄堂 ⑨鐘楼、聖人像  ⑩五重塔、墓地
⑪大堂 ⑫経堂、泰宝殿 ⑬本殿 ⑭多宝塔 ⑮御廟所
⑯概要、歴史 ⑰伽藍、境内 ⑱所蔵文化財 ⑲朗峰堂、松濤園

日蓮聖人、日朗聖人、日輪聖人の御廟所

 以下は本殿の北で境内の一番奥にあります日蓮聖人、日朗聖人、日輪聖人の御廟所です。位置は大堂の奥、境内の最北部となります。


撮影 青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-4-6


日蓮聖人(中央)、日朗聖人(左)、日輪聖人(右)の御廟所
撮影 池田こみち Nikon Coolpix S9900 2016-4-6


日蓮聖人(中央)、日朗聖人(左)、日輪聖人(右)の御廟所 出典:池上本門寺公式Web

  日本では、歴史的に特定な人物を祀る建物を、霊廟(れいびょう)、廟(びょう)、または霊屋(たまや)、御霊屋(みたまや・おたまや)といい、大きく、神式霊廟、仏式霊廟、儒式霊廟などに分けられています。日蓮聖人らの御廟所は、仏式霊廟です。

 本廟所は、本門寺境内の最も奥(北側)にあります。築地塀で囲んだ浄域にあり、宗祖日蓮聖人の御灰骨を奉安する墓塔を廟堂内-中央におまつりしています。

 かつては昭和6年の高祖六百五十遠忌に建てられた八角裳階付二重-屋根の御真骨堂がありましたが、これも昭和20年4月15日の空襲で焼失しています。

 昭和54年-、宗祖第七百遠忌報恩事業の再建および整備により、宗祖御廟所が完全に復興できました。

 なお、向かって左の廟堂には第2世日朗聖人の墓塔が、右には第3世日輪聖人の墓塔が安-置されています。


日蓮聖人(中央))の御廟所
撮影 青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-4-6

 以下は御廟所の配置図です。中央に日蓮大聖人、左側に日朗聖人、右に日輪聖人の御廟がそれぞれ配置されています。


撮影 青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-4-6

<日朗聖人、日輪聖人について> 出典:Wikipeida

日朗(にちろう、1245年5月5日(寛元3年4月8日) - 1320年3月1日(元応2年1月21日))は、鎌倉時代の日蓮宗・法華宗の僧。日蓮六老僧の一人です。号は筑後房。大国阿闍梨とも称する。日朗門流・池上門流・比企谷門流の祖。下総国の出身。父は平賀有国です。

 1261年(文応2年)日蓮を師として法を学びました。1271年(文永8年)日蓮の流罪の際、土牢に押込となります。1274年(文永11年)佐渡に流罪となっていた日蓮を8回訪ね、赦免状を携えて佐渡に渡ります。

 1282年(弘安5年)池上宗仲の協力のもと、池上本門寺の基礎を築きました。1309年(延慶2年)千葉胤貞の妻より、土地の寄進を受け、本土寺を建立します。1320年(元応2年)安国論寺にて荼毘に付され、法性寺に葬られました。

日輪(にちりん、1272年(文永9年) - 1359年5月1日(正平14年/延文4年4月4日))は、鎌倉時代から南北朝時代に活躍した日蓮宗の僧。大経阿闍梨。日朗門下の九老僧の一人。

 鎌倉比企谷妙本寺、池上本門寺や、妙勝寺(現宇都宮市)の住持となり、妙光寺(海老名市)、光明寺(木更津市)、栄洗寺(館山市)、妙輪寺(現神奈川県)、妙蔵寺(川口市)など四十八ヶ寺を開創または日蓮宗に改宗しました。


撮影 青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-4-6


撮影 池田こみち Nikon Coolpix S9900 2016-4-6


つづく