◆青山貞一:日本のメディアの本質を現場から考える
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周知のように、自民党は一昨年夏の衆院選挙で300議席超の議席を獲得した。確かに自民党は300超の議席を獲得した。
が、死に体の安倍政権は、もともと私たち国民、有権者が選んだ政権ではない。
それは民主主義を破壊するような異常な衆院選挙、それも郵政民営化法案というシングルシッシュー選挙で獲得した300議席を民意と無関係に引き継いだのが安倍政権だ。
本来、安倍政権とは、無縁のはずである。すなわち、民主主義の原理原則からみれば、安倍政権には300議席を背景に好き勝手し放題をする権利も正当性もないはずだからだ。最低限、衆院選挙(総選挙)の先例を受けるべである。
にもかかわらず、ひとたび、あの異常きわまりない衆院選挙で獲得した300議席を背景に、安倍政権は、国民、有権者の意向と無関係に、改憲、集団的自衛権、教育基本法改正などなど、まさに「トンデモの道」を突っ走っているのである。
今回の通常国会では、何と20に近い強行採決を連発した。これはまさに民主主義を破壊する行為である。もっとも酷い例として、1日の審議で委員会採決し、翌日本会議で成立させるという暴挙もある。
しかも、それらの圧倒的多くは政権維持、保身、そして実質独裁政権と化している自民党政権の体質に由来するさまざまな致命的な不祥事、構造欠陥、制度疲労などを覆い隠すためであるといえる。
ところで以下にかかげた「民主主義を壊す大メディア」は、前回の郵政民営化衆議院選挙の直前に、筆者が書いた論考である。
以下の論考で筆者がもっとも危惧した点のは、大メディアが小泉「
改革」の二文字に誘導され、日本の選挙史上前に見る、情報操作による世論誘導に一方的に加担したことである。
その昔、テレビ朝日の椿報道局長が、細川氏らによる日本新党の生誕に加担したという自民党からのクレームにより、日本のメディア全体を揺るがす大事件に発展した。いわゆる椿事件である。
これはいうまでもない、政権から下野した自民党がメディアに噛みついたことでおきたものだ。
椿事件
椿事件(つばきじけん)とは、1993年に発生した、テレビ朝日による放送法違反が疑われた事件である。当時取締役報道局長であった椿貞良による、日本民間放送連盟の「放送番組調査会」の会合の中での発言に端を発したことからこの名で呼ばれる。
日本の放送史上で初めて、放送法違反による免許取消し処分が本格的に検討された事件であったとも言われる。しかし、免許取消し処分になっていると、放送の電波も出すことができず、多くの視聴者は楽しみにしている放送番組が見られなくなる深刻な事態にもなりかねないこともあり、免許取消し処分や放送時間の制限となった事例は現在に至るまで一度もない。
経過
- 1993年7月18日 - 第40回衆議院議員総選挙。自民党が解散前の議席数を維持したものの過半数を割り、非自民で構成される細川連立政権が誕生。自民党は結党以来初めて野党に転落。
- 1993年9月21日 - 民間放送連盟の「放送番組調査会」の会合の中で、テレビ朝日報道局長の椿貞良が、選挙時の局の報道姿勢に関して「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」「共産党に意見表明の機会を与えることは、かえってフェアネスではない」との方針で局内をまとめたという趣旨の発言を行う。
- 1993年10月13日 - 産経新聞が朝刊一面で、上記発言を報道。各界に大きな波紋を広げる。郵政省放送行政局長の江川晃正は緊急記者会見で、放送法に違反する事実があれば、電波法第76条に基づく無線局運用停止もありうることを示唆。自民党・共産党は徹底追及の姿勢を明確にする。
- 1993年10月25日 - 衆議院が椿貞良を証人喚問。椿は民放連会合での軽率な発言を陳謝したが、社内への報道内容の具体的な指示については否定。
- 1994年8月29日 - 内部調査の結果を郵政省に報告。報告書の中でもテレビ朝日は、特定の政党を支援する報道を行うための具体的な指示は出ていない旨を改めて強調。
- 1994年9月2日 - 報告を受け郵政省は、テレビ朝日に対する免許取消し等の措置は見送り、「役職員の人事管理等を含む経営管理の面で問題があった」として厳重注意する旨の行政指導を行うにとどめた。
- 1994年9月4日 - テレビ朝日が、一連の事件を整理した特別番組を放送。
- 1998年 郵政省は、テレビ朝日への再免許の際、一連の事件を受け、政治的公平性に細心の注意を払うよう、条件を付した(通常、放送免許の更新は5年毎となるが、条件付の免許更新は1年毎となるケースが多い。この件以外ではKBS京都(京都放送)でも過去に条件付の免許更新を受けたことがある。)。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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しかし、私見では、一昨年の衆議院議員選挙は、それを遙かに超える世論誘導を大メディア、とくに新聞メディアが白昼堂々行われたと推察される。
にもかかわらず、300議席を獲得した自民党は当然のことながら、それらメディアに噛みつくどころか、不問に付した。
もし、逆のこと、すなわち自民党が選挙で大敗していただろうだろう?
おそらく再度メディアに噛みついたことは火を見るより明らかである。
メディア戦略に長けた小泉政権と異なり、閣僚が3名立て続けに辞職し、次々に事件がおこる。さらに稚拙で粗野な安倍政権が繰り出す一連のメディア戦略と戦術に、大メディアが誘導されることは少ないと思う。
しかし、ろくに本質を見ず、政権与党による劇場型政治に乗っかり、インチキな「改革」を徹底して後押ししたあの郵政民営化選挙のようなことをいつ何時、テレビ、新聞など、日本の大メディアがしない保証はない。
ここ半年の安倍政権の行状を見ていると、
(1)朝日新聞系の広告代理店に「やらせミーティング」で巨額の業務発注する、
(2)大新聞各社に公職選挙法にひっかかるのではとさえ思える安倍首相の顔写真を入れた広告を出す、
(3)環境省が地球温暖化施策のなのもとに、3年で80億円を超す巨額の広告費を代理店だすなど、
あの手この手で、官邸や政府は税金を使って政権の維持や正当化を行い、メディアや代理店はそれによりまさに大きな利益を得ている。そもそも業務委託の見積もりでは、通常の国や自治体から民間への業務発注ではおよそありえない、単価が堂々と横行している。
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海外で大々的に報じられる重要な情報が日本のメディアだけ報道されない事実が、次々に明るみにでているが、それらを調べると、いずれも、それに関連する企業や産業が新聞やテレビの広告スポンサーとなっていることが分かる。
本特集で何度も述べてきたように、日本の民主主義の基礎をなす世論の民度の多くは、圧倒的な発行部数、視聴率を誇る新聞やテレビによって形成されてきた。
それら大メディアは巨大になりすぎたため、自らを維持するために、メディアの神髄であるべき、第三者性、客観報道を投げ捨て、営業第一主義に突っ走っている。これほど日本人にとって、不幸なことはないだろう。
ごく最近、韓国のソウルで世界市民記者フォーラムが開催された。そこでの最大のテーマは、アメリカのブロガーが述べた次のことであろう。
それは 「プロ・アマを問わず、すべてのジャーナリストは思慮深さ・正確性・公平性・独立性を保たねばならない」と。
昨今、日本の大メディアをみるにつけ、思慮深さ・正確性・公平性・独立性のいずれも期待することは困難である。
つづく
末期的症状を呈する自民(その10)
民主主義を壊す大メディア 青山貞一
掲載日2005.8.23
東京新聞2005年8月26日号の「メディアを読む」で立教大学の服部孝章教授(メディア論)は、昨今の小泉郵政民営化問題に、メディア論の観点から次のような辛辣な批判を浴びせかけている。
「今こそ冷静な視座が必要なのに、『刺客』『マドンナ』など劇場型選挙が小泉政権中枢によって演出・展開され、テレビはワイドショー枠も定時ニュース枠も追随している。テレビジャーナリズムの危機だ。
現政権は9月11日実施の総選挙で、行政改革の本丸とする『郵政民営化』の是非を最大争点に掲げる。しかし、後にこの9月11日を検証する際、日本の社会と政治が民主主義を放逐してしまったなどといえるようなことになるかもしれないほど、日本社会は分岐点にある。」
さらに
「今こそテレビ報道は、『小泉政治』の4年間を徹底して検証すべきだ。『刺客』らを追っかける取材陣のコストは、そのまま日本のジャーナリズムを弱体させるだけだ。
『刺客』の動向を自民党広報機関のように伝える姿勢は、報道の自由をとはかけ離れ、この国の将来を決定する選挙を一時のお祭りにしているだけにすぎない。
今こそ必要なのは、現状の政治の真の争点の掘り起こしと、戦後60年にしてこの国の『民主主義』の脆弱さを乗り越える報道姿勢ではないのか。」
まさにその通りである。
一方、友人のフリージャーナリスト、横田一氏も昨今の異常なテレビ報道に対し環境行政改革フォーラムのメーリングリストの私とのやりとりのなかで次のように具体的例をあげ述べている。
「マスコミが『郵政民営化賛成派=改革派、反対派=守旧派』という一面的な物差しを押し付け、小泉首相の広報機関と化しているのは全く同感です。
先週のテレビ・タックルでは、賛成派のコメンテーターが勢ぞろいし、反対派の側に立って反論するのが福岡教授だけという不公平な人選でした。ワッツ・ニッポンでも、猪瀬直樹氏やテリー伊藤氏や日経ウーマン編集長が三人とも郵政民営化賛成派で、反対派の議員を詰問するというやりとりもありました。
放送法の多角的視点の提示からすると、スタジオには、少なくとも一人は反対派に近い立場のコメンテーターがいないとバランスに欠けると思います。
猪瀬直樹が出るなら、反対派寄りのコメンテーターが出ないとおかしいと思います。こうした偏向報道ぶりについては、あまりに酷い。
生き残り懸け「イメージ新党」=裏に「小沢一郎氏」との見方も
ただ、結党の記者会見で田中氏は抽象的な理念を繰り返すばかりで、政策は語らなかった。「合言葉は信じられる日本へ」などとした結党宣言が「当面の理念と公約」(荒井広幸参院議員)という状況だ。窮余の策とはいえ、どこまで有権者の理解を得られるかは不透明だ。
(時事通信) - 8月21日22時9分更新
この(上の)時事通信の記事も小泉首相寄りにみえます。
田中知事は「抽象的な理念を繰り返す」だけではなく、長野県の財政が健全化していることを紹介した上で、小泉政権下で日本の借金が膨らんでいることを指摘(小泉首相が「聖域なき構造改革」を訴えても効果なし)、また道路公団民営化についてもイタリアの高速道路料金が日本の4分の1であると紹介(ちなみに小泉首相の道路公団民営化では1割しか料金は下がらない)、「民営化した後、どうなるか」を問題提起したいと語っていました。
これは、形だけの「民営化」をしても具体的な効果(国民へのプラス)が伴うのかという”小泉口先政治”への批判に聞こえます。
こうした具体的な対立軸を時事通信の記者は感じないというのは、よっぽどセンスがないか、上司から小泉批判はするな」といわれているのかのどちらかとしか思えません。
抽象的な理念を繰り返すばかり』というのは、『民営化』『民営化』と叫ぶだけで、官から民へ資金の流れがどう変わるのか、出口の特殊法人の無駄遣いがどう減っているのかを説明しない小泉首相に向けられる批判ではないかと思います。」
おそらく圧倒的多くの読者も横田氏の上記のコメントに賛同する事と思う。それほどここ数週間の大メディア、とくにテレビ報道は常軌を逸していたと思える。
ところで、私が末期的症状を呈する自民シリーズの最初の号で指摘した「月刊現代9月号が提起したもの!」で指摘した、朝日新聞の安倍、中川の両代議士による番組制作への政治介入問題だが、武部自民党幹事長らは、朝日新聞に本当に取材拒否を通知した。
※ 青山貞一 末期的症状を呈する自民 その1 月刊現代9月号が提起したもの!
本来、政権与党である自民党の朝日新聞取材拒否に対しメディア全体で自民党に抗議すべきなのに、当事者の朝日新聞が及び腰なのに加え、他の大ジャーナリズムは抗議するどころか沈黙を守っている。新聞によっては自業自得とばかり高見の見物を決め込んでいる大メディアもいる。
2005年8月10日の東京新聞の「メディア新事情」で篠田博之氏は、これについて次のように述べている。
「政権政党である自民党がこんな形で取材拒否を行うのは、どう見ても論点のすり替えであり、嫌がらせでしかない。だが驚いたのは、この取材拒否に対してメディア界全体で抗議や反論を行う空気があまり見られないことであだ。」
日本の大メディアは、イラク戦争勃発直前でも朝日新聞がろくに検証もせず、ブッシュ大統領の大量破壊兵器論にひっぱられ、イラク戦争を容認するような社説「イラク政府は恐れよ」(2002年12月21日)を堂々と掲載していた。これについては、写真ジャーナリストの広河隆一氏が秀逸なコメントを出している。
ブッシュ大統領の「イエス」か「ノー」かの二項対立論と小泉首相の郵政民営化に「賛成」か「反対」かの二項対立論もきわめて酷似している。共通しているのは、国民を思考停止とさせ、メディアを自分たちの側に引き入れることである。この間の日本の大メディアは、まさにそれに国民を誘導するよう先導してきたといえまいか。
イラク戦争では、後にブッシュ政権のあちこちの側近から大量破壊兵器の不存在が示されたが、日本のマスコミはベタで報道するだけで、社説などで明確に自分たちがしてきたことを反省している新聞社それにテレビ局はごくごくわずかである。
日本の世論は、マスコミによってつくられることは周知の事実だ。
独裁的為政者のメディア戦略に簡単に乗せられ、追随する昨今の大マスコミをみていると、この国の民主主義はまさに大メディアによって破壊されていると思うのは私一人ではないだろう。
本当に日本の行く末を危惧するものである!
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