日本のメディアの 本質を現場から考えるH 〜政治番組による世論誘導〜 青山貞一 掲載月日:2007年7月8日 無断転載禁 |
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テレビという映像メディアをつかった「劇場型政治」がさまざまな場面で幅をきかしている。この劇場型政治は、くに小泉政権による郵政民営化(法案)の是非を問うことになった一昨年の衆議院議員選挙前後で顕著となった。 今回の参議院議員選挙では、通常国会終了後の最初の日曜日となった7月8日(日)に、NHKはじめフジテレビの報道2001、テレビ朝日のサンデープロジェクトで7党首を集めた党首討論が行われた。 この種の番組を見ていて絶えず感ずるのは、司会者、キャスターなどによる強引な議論の引き回しである。討議テーマの設定にも司会者やキャスターの恣意性を感ずる。 NHKの党首討論はまだしも、民放ではまさに劇場型政治の極みとなっており、まさに司会者、キャスターのやりたい放題となっている。 日曜討論 出典:NHK たとえば発言を遮ったり、発言者を罵倒、特定発言者の発言時間をコントロールするといったことが常態化しているといってよい。 7月8日のフジテレビの報道2001とテレビ朝日のサンデープロジェクトでは7党首による党首討論が行われたが、よく見れば、結果的に赤城農水大臣の事務所費問題で窮地に陥っている安倍首相(政権)に弁明の機会、時間を与えるばかりで、野党党首の発言は各所で制限されていた。ちなみに安倍首相の発言はほとんど遮られることなく、断然一番多くの時間が費やされていた。 日曜朝のNHKの政治討論方式がベストかどうかは分からないが、フジテレビの報道2001とテレビ朝日のサンデープロジェクトの方法は、ひとつ間違えば、まちがいなく情報操作による世論誘導となるだろう。 サンデープロジェクト 出典:テレ朝 ..... ところで、テレビ朝日のサンデープロジェクトは、ご存じの方も多いと思うが、ライブ(生)で行われている。スタジオの一角に、テレビ朝日だけでなく、他のテレビ局、新聞社の記者が待機しており、番組中で政治家や要人が発言した内容を、すぐさま昼のテレビニュースや翌日の朝刊で記事としている。 そんなこともあり、司会の田原氏は無理矢理に政治家や要人から言質を引き出すことを毎回している。しかもイエスかノーかの二者択一的な返事を引き出そうと、強引な引き回しをしているのである。たとえば、今日(2007.7.8)のサンデープロジェクトでは、小沢民主党代表が、もし今回の参院選で野党全体で過半数議席がとれない場合は、代表を辞めるという前日までの報道に加え、田原氏の強引な質問にやむなく対応し、もし今回の参院選で野党全体で過半数議席がとれない場合は、議員も辞職する旨の言質をとっている。 これはサンデープロジェクトより早く生番組が行われるフジテレビ報道2001でも同じである。報道2001では、黒岩キャスターが執拗に小沢代表に参院選で野党が過半数に達成しなかった場合の責任論で詰め寄っていた。 事実、午後からの複数のテレビ局や通信社、新聞社は、もし今回の参院選で野党全体で過半数議席がとれない場合は、議員も辞職する旨の報道や記事を出稿している。以下はフジテレビ報道2001の報道内容を受けての時事通信と朝日新聞の記事。
もちろん、通常の方法による取材であれば、それなりのスクープになるのだろうが、毎回見ていると、どうみても田原氏による強引な引き回しと異常な突っ込みによって、ターゲットとなった政治家や要人がいわば「いわされている」のが実態である。 .... この種の劇場型政治をさらに下劣なものとしているのが、テレビ朝日のテレビ・タックルなど、複数の政治家や政治評論家の出演によって、およそディベートとはいえぬ、誹謗中傷、罵倒のやり合いとなっている情報番組である。 ちなみに、テレビ・タックルの正式番組名は、ビートたけしのTVタックル(ビートたけしのテレビタックル)である。 今回の参議院選挙には、そのテレビ・タックルのナビテータとやらをしていた丸川珠代氏が東京選挙区か安倍首相の依頼を受けでるという。 上記のテレビ・タックルは、その代表的番組であるが、その他いろいろある。 情報番組、情報報道番組のなかには、明らかに特定政党を支持しているコメンテータばかりを集めているもの、逆に複数の政治家をあつめているのだが、あきらかにある特定政党の政治家を排除しているものなど、およそ放送法第一条の目的に反するようなものが多い。
本連載で先に触れたが、小泉郵政民営化衆院選挙のときは、まさに多くのテレビ局で露骨に上記が日常化し、たまたま郵政民営化に反対の意見、考えを持つコメンテータや政治家がいると、番組中に他の多くのコメンテータから激しく罵倒されるという異常な情景が映し出されていた。 これら情報番組が政治を素材とすることは、とかく難しい政治番組を茶の間で誰でもが気楽に楽しめるという側面で企画されているものと思われるが、どうみても特定の政党や政策を視聴者に押しつける、すなわち本連載の主題である「情報操作による世論誘導」を地で行っているものが多く、本来の民主主義や言論の自由を大きく逸脱するものと思う。 サンデープロジェクトであれ、テレビタックルであれ、この種の政治関連番組の圧倒的多くは、ワンウェー、すなわち視聴者に一方的に番組内容をこれでもかと押しつけるものであり、視聴者からの意見を番組途中であれ、後日であれ拾い上げ、最低限のコミュニケーションをとる努力をしていない。 民主主義や政治の大原則は、ワンウェーではなく、ツーウェー、バイラテラルである。もともとの主役である国民、視聴者が何からの形でスタジオの議論、討議などに参加してナンボである。 インチキなコメンテータや政権党の党首から声がかかればホイホイと議員に立候補するようなキャスターによってあらかじめつくられたシナリオ(筋書き)により進められ、視聴者からの批判は一切受け付けないのでは、到底、民主主義国家でのメディアとはいえない。 まさに北朝鮮や中国を嗤えないのではないか? 情報化社会が進展し、BSデジタルなど高度技術に裏打ちされたメディアが社会に浸透して行く速度に比べ、党首討論や政治番組は依然として何十年も前のままである。 註:佐藤清文氏コメント P・ラザースフェルドらによるエリー調査というものがある。 それによると、メディアの情報は直接的に視聴者に伝わ るのではなく、番組の司会者やコメンテーターによる取捨 選択された判断を通じて、視聴者の意思決定に影響を与 えるということになるそうだ。 この結果を踏まえた上で、司会者は番組に望まなければ ならないはずである。 この調査結果について書かれた『ピープルズ・チョイス アメリカ人と大統領選挙』(芦書房)がある。 つづく |