身延山久遠寺 西谷御廟4 Keishiin of Mt.Shichimensan 青山貞一・池田こみち (環境総合研究所顧問) 独立系メディア E-wave Tokyo 2021年12月1日 |
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2021-9-13 身延山総合目次 2022年5月分は最下段(本遠寺1~日朝堂までです)! 久遠寺 伽藍1 伽藍2 伽藍3 伽藍4 伽藍5 宝物館1 宝物館2 奥之院 塔頭 宿坊 西谷御廟1 西谷御廟2 西谷御廟3 西谷御廟4 お万の方像1 お万の方像2 お万の方像3 七面山・敬慎院 本遠寺1 本遠寺2 養珠院廟所 日遠廟所 日朝堂・廟所 日朝堂・本門寺 石造の玉垣に囲まれた正方形の地面こそ、聖人9か年ご生活の御草庵跡であります。 聖人はここで、法華経の読誦と弟子・信徒教育のための法門の談義、さらには多くの曼荼羅本尊や、厖大な著述・消息の執筆などに明け暮れました。 聖人滅後、時代とともに発展を遂げた身延山久遠寺は、室町時代、身延山第11世日朝上人の時、将来のさらなる発展をおもんぱかって、もはや狭隘となったここより現在地へ移転をしましたが、聖人ご生活の御草庵跡、霊山浄土感得の霊域、身延山久遠寺発祥の聖地なればこそ、格護と守衛が続けられているのであります。 かたわらには、身延山第78世日良上人によって識された「御草庵旧跡修理の記」の碑石も立っています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2021-9-13 日蓮聖人御墓と御草庵跡 身延山は、日蓮聖人(1222-1282。以下、聖人)がその晩年の9か年を過ごされ、もっぱら法華経の読誦と弟子・信徒の教育に終始された所であります。 その間、聖人はここにお釈迦さまが法華経をお説きになっている霊山浄土を信仰的に感じ取られ、こここそ仏の栖家であり、自分にとっても永久の住所であると考えられて身延山久遠寺を草創し、最後には墓をここに立てよ、魂をここに留めると仰せられました。 そのご遺命とおぼしめしがあればこそ、身延山に御墓が立てられ、神霊が祀られているのであります。 聖人の御墓を守り、その神霊を奉祀する身延山久遠寺が、祖廟格護の祖山・総本山として、また聖人の神霊の棲みたもう棲神の霊場として、日蓮宗徒の帰敬をうけるのみならず、聖人を仰ぐあらゆる人々の広い信仰を集めているゆえんであります。 当所は、その聖人の御墓と、聖人9か年ご生活の御草庵跡、霊山浄土感得の霊域、身延山久遠寺草創の聖地をお守りする所であります。 以下は⑪の法界堂。 法界堂 <参拝順11> 聖人の御草庵のおもむきを今に伝えるために、その形を模写・縮小しながら建造したもので、聖人ご在山のご生活を偲ぶよすがとしています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2021-9-13 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2021-9-13 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2021-9-13 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2021-9-13 雫の桜 <参拝順12> 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2021-9-13 季節ではないので桜は咲いていなかったが、春には以下のような素晴らしい枝垂桜がみられます。 出典:SAKURA BIYORI 身延山に隣接する下山郷に住んでいた因幡房は、噂に聞いた聖人の教えをひそかに聞きたいものと、夜毎に御草庵をうかがい、かたわらの桜の木の陰に身を潜めては、戸外に漏れる聖人の説法聴聞につとめ、その尊さに信伏して聖人の弟子となることを許されました。 聞法のために、時に夜の更けるを忘れた因幡房の衣は、その桜に宿った雫で、しとどに濡れたところから、その桜は雫の桜と呼ばれるようになり、代を重ねた桜が今に伝わっています。 聖人の弟子となった因幡房は、念仏を堅く信ずる父・下山五郎光基の嫌忌をうけたものの、聖人のねんごろな導きをうけて事なきを得、父もやがて聖人の教えに帰伏したのであります。 聖人のあつい教化も偲ばれます。 お万の方像1へつづく |