<参考>安田善次郎 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2019年10月20月 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
総合目次 ①品川歴史館 ②品川宿 ③中世の品川 ④中世の寺院 天妙国寺1 ⑤中世の寺院 天妙国寺2 ⑥中世の寺院 天妙国寺3 ⑦品川の生活と文化 ⑧庭園・茶室・書院1 ⑨庭園・茶室・書院2 ⑩庭園・茶室・書院3 ⑪今の天妙国寺を視察 ⑫天妙国寺の庭園と茶室 ⑬天妙国寺の歴史・寺宝 ⑭鈴ヶ森刑場跡1 ⑮鈴ヶ森刑場跡2 ⑯鈴ヶ森刑場跡3 ⑰鈴森山大経寺 ⑱旧東海道品川宿まち歩き ⑲<参考>安田善次郎 ◆<参考>安田善次郎 以下は、Wikipedia、安田善次郎の鉄道事業を出典としている。 安田善次郎 出典:Wikimedia Commons 現在、東京都品川区大井6-11-1にある品川区立品川歴史館は、もともと明治末期から大正にかけて大活躍した実業家、鉄道事業王、安田善次郎(やすだ ぜんじろう)が甥の安田善助氏のために創設したものである。 安田善助氏は善治郎の指示で、小湊鐵道の社長に就任し、千葉県開発の一助になればと砂利採掘や電気供給事業も手がける。 その安田善治郎氏は、天保9年10月9日~大正10年9月28日(1838~1921)、 富山生まれ。実業家。安田財閥の創設者。父は富山藩下級藩士。 17歳で江戸に出、丁稚奉公の後、元治元年(1864)両替店安田屋を開業した。 太政官札・公債などの取引、官公預金などで蓄財し、東京屈指の金融業者となる。明治9年(1876)第三国立銀行の創立に参加、13年(1880)に安田銀行を開業、15年(1882)には創立された日本銀行の理事に就任した。また、生命保険・損害保険業にも進出した。 1870年代には北海道で最初の私鉄である釧路鉄道(本社 安田銀行本店)を敷設し、硫黄鉱山開発や硫黄の輸送および加工のための蒸気機関の燃料調達を目的として、釧路炭田(後の太平洋興発の前身)を開発した。 北米への硫黄輸出のために、それまで小さな漁港に過ぎなかった釧路港を特別輸出港に指定させた。現在のみずほ銀行釧路支店の礎となる根室銀行を設立し、魚場集落だった釧路は道東最大の都市へと急激に発展した。このように、金融財閥家の基礎は善次郎の手により釧路の硫黄鉱山経営と輸出で築かれたといわれている。 以下は安田善次郎が手がけた主な鉄道事業である。後にJRに引き継がれたものを含め主な鉄道事業だけで25鉄道事業があり、全国に及んでいるる。 安田善次郎氏の鉄道事業 出典:伊東東作 善次郎氏は晩年東京大学安田講堂、日比谷公会堂、早稲田大学、麹町中学校などに寄付を行う。 大正10年(1921)国粋主義者朝日平吾に暗殺された。(出典:国会図書館HP近代日本人の肖像) 安田善次郎詩を千葉県開発に動かしたのは彼の菩提心であり、真言の名刹清澄寺および日蓮ゆかりめ誕生寺を参詣する善男善女への奉仕だったという。 もともと安田家は北陸地方に根強い浄土真宗の門徒ながら、こうした宗派を越えた深い信仰は、晩年における善次郎の一面を物語っている。(部分引用) 安田善次郎こと茶人松翁 なお、安田善次郎氏は、著名な益田鈍翁らとともに、近代数寄者の一人として有名である。松翁と称し、生前多くの茶会を開き楽しんでいた。明治13年から大正10年まで、自らが主催した茶会と客として出席した茶会400回以上について記録し、死後はそれを「松翁茶会記」として公刊している。茶の湯は表千家を修めて、多くの茶会を催したとの記録がある。大正10年82歳で亡くなっている。 出典:和菓子の虎屋サイト 本稿はこれでおしまいです! |