江戸・南品川短訪⑤ 中世の寺院-天妙国寺2 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2019年10月20月 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
総合目次 ①品川歴史館 ②品川宿 ③中世の品川 ④中世の寺院 天妙国寺1 ⑤中世の寺院 天妙国寺2 ⑥中世の寺院 天妙国寺3 ⑦品川の生活と文化 ⑧庭園・茶室・書院1 ⑨庭園・茶室・書院2 ⑩庭園・茶室・書院3 ⑪今の天妙国寺を視察 ⑫天妙国寺の庭園と茶室 ⑬天妙国寺の歴史・寺宝 ⑭鈴ヶ森刑場跡1 ⑮鈴ヶ森刑場跡2 ⑯鈴ヶ森刑場跡3 ⑰鈴森山大経寺 ⑱旧東海道品川宿まち歩き ⑲<参考>安田善次郎 ◆中世の寺院 天妙国寺2 出典:品川歴史館 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 北条記 国立公文書館所蔵 戦国時代末以降成立 大永4年(1524)の北条氏綱と扇谷上杉氏の江戸城をめぐる戦いが記されています。上杉軍は、品川で北条軍を迎え撃とうとしますが、高輪原(港区)で合戦となったとあります。(高輪原の戦い) 出典:品川歴史館 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 出典:天妙国寺 品川歴史館 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 出典:品川歴史館 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 北条氏照判物写 北品川宿名主宇田川家文書、宇田川家所蔵・当館寄託 天正2年(1574)9月3日 品川区指定文化財 北条氏照が品川の町人と百姓に宛てて出した文書の写しです。その宛所から住人が町人と百姓で把握されていたことがわかります。欠落人(かけおちにん=逃亡者)の差し戻し措置について、「人返(ひとがえし)」は国法で定められているので、すぐに応じない者などは国法に背いた罪に問われることが記されています。 出典:天妙国寺 品川歴史館 撮影:池田こみち iPhone つづく |