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アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2003~2020
A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune


スタビアエ遺跡 4 Stabiae Remains4
 
 
青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda

2020年11月30日 独立系メディア E-wave Tokyo  無断転載禁

カステッランマーレ・ディ・スタービア( Castellammare di Stabia) Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 4.0, リンクによる

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カステッランマーレ・ディ・スタービア(コムーネ)
スタビアエ遺跡1   スタビアエ遺跡2   スタビアエ遺跡3   スタビアエ遺跡4
スタビアエ遺跡5   スタビアエ遺跡6   スタビアエ遺跡7  スタビアエ遺跡8
スタビアエ遺跡9  スタビアエ遺跡10  スタビアエ遺跡11  スタビアエ遺跡12
スタビアエ遺跡13  スタビアエ遺跡14  スタビアエ遺跡15

 本稿の解説文は、現地調査に基づく解説、写真撮影に加え、Wikipediaのイタリア語版を中心に英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

◆スタビアエ遺跡4

別荘

 スタビアエで見つかった多くの別荘の中には、まず最初に次のような農業用建物のないゆっくりと楽しむための大きなレジャー用別荘(villa otium)があります。

・サンマルコ邸(Villa San Marco)
・アリアナ邸(Villa Arianna)
・第二集合邸(the Second Complex)
・パストーレ邸(Villa del Pastore)
・ファウノ邸またはアンテロースとヘラクレスの館(Villa del Fauno or of 
 Anteros and Heracles)


Atrium, Villa San Marco    サンマルコ邸の中庭
Source:Wikimedia Commons
CC BY-SA 4.0, Link



Vista from Triclinium, Villa San Marco
サンマルコ邸のダイニングルーム(Tricriniumu)からの眺め
Source:Wikimedia Commons
CC BY-SA 4.0, Link

 注)トリクリニウム(tricliniumu) Wikipedia より
  古代ローマの建物内の正式なダイニングルーム。低い
  テーブルの三方を3つの長いすで囲んでいることを特徴
  とし、長いすの上面からテーブルまでは約10度の傾斜で
  ある。長いすに半ば横たわって食事した。


 第二に、次のような農業用の部分(villa rustica)を備えた邸宅があります。それらは:

・ペトラーロ邸(Villa del Petraro)
・カルミアーノ邸:A棟とB棟(Villa Carmiano:Villas A and B)
・サンタントニオ・アバテ邸(Villa Sant'Antonio Abate)
・メディチ邸(Villa Medici)
・哲学者の館(Villa del Filosofo (of the Philosopher)
・マルケッティ邸(Villa Marchetti)
・マッセリーア・ボノードロのカルミアーノ邸
 (Villa detto Carmiano in Masseria Buonodono)
・ペトレルーネ邸(Villa Petrellune)
・オニヤーロ邸(Villas in Ogliaro)
・ミリの館(Casa dei Miri)
・サッソレ邸(Villa Sassole)


別荘サンマルコ邸

 サンマルコ邸は、カンパニア州でこれまでに発見された最大の別荘の1つで、11,000平方メートル以上の広さがありますが、発掘されたのは半分だけです。噴火の度に、現状の建材や遺物の設置場所の移動などの改修が行われてきました。それにもかかわらず、サンマルコ邸はフレスコ画で贅沢に装飾され、漆喰による作品や、床のモザイク、壁のモザイクなどすべてが非常に芸術的に優れたものであり、それらの多くは(現場から)剥がされて、現在は美術館に保管されています。


Plan of Villa San Marco
サンマルコ邸の平面図
Source:Wikimedia Commons
Public Domain, Link

 この別荘の名前は、18世紀に存在した近くの礼拝堂に由来し、1749年から1754年まで行われたブルボン王朝時代の発掘調査で最初に探検されました。別荘は、家具や保存状態の良いフレスコ画が取り除かれた後、再び埋め戻されました。しかし、発掘調査は1950年に考古学の指導者であるリベロ・ドルシ(Libero d'Orsi)とO.エリア(O.Elia)によって再開されました。

 別荘は少なくともその一部が紀元前6世紀に、丘の上を平にして造られたと思われるの高台の上に建てられました。建設は遅くともアウグストゥスの治世に始まり、ローマ皇帝クラウディウスの下、庭とプールなどによって大幅に拡大されました。所有者の名前は正確にはわかっていませんが、タイル上で見つかった印章に基づくと、解放奴隷だった一人のナルキッソス(Narcissus)か、または遠くないところに墓を持っていたヴィルティ一族(Virti family)に属している可能性があります。

 注)ナルキッソス(Narcissus)ブリタニカ国際大百科事典小項目辞典
  ギリシャ神話中の美青年。ケフィソス川の河神とニンフのリリオペの子で,出
  生時にテイレシアスによって,自分の姿を見なければ長生きできると予言され
  た。多くの女やニンフたちに求愛されたが,すべてにべもなくはねつけた。失恋
  したニンフの一人エコーが,憔悴してただ声だけの存在になってしまったので,
  ついに神々の怒りを買い,復讐の女神ネメシスの罰を受けて,泉に映った自分
  の姿に恋し,その場を離れられなくなって死に,水辺に生えるスイセンに変った。
  死後も冥府で,ステュクスの水に映る自分の姿に見惚れ続けているという。


 玄関前の中庭(アトリウム)にはプールがあり、湾の景色を望むダイニングルーム(tricliniumu)それに、複数の列柱をもつ中庭があります。他にも沢山の小さな部屋、台所、二つの中庭もあります。この別荘は、ポンペイやヘルクラネウムに見られる様式と題材に匹敵する内容をもつフレスコ画、彫刻、モザイク、建築を提供しており、非常に貴重なものです。


Entrance to Villa San Marco and atrium
サンマルコ邸の玄関と玄関前中庭
CC BY-SA 3.0, Link

 素晴らしい列柱付き中庭(ペリスタイル)は、36×7 mの中央プールとともに、長い縁側(porch)に囲まれています。この縁側の端には、まだ探索されていない神殿があり、ネプチューンやヴィーナス、複数のアスリートを描いたフレスコ画で飾られていますが、これらは、ブルボン家によって取り除かれ、 現在、ナポリ美術館とフランスのシャンティイにあるコンデ美術館に収蔵されています。


Nymphaeum in the peristyle
中庭の神殿
CC BY-SA 4.0, Link


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