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アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2003~2020
A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune


スタビアエ遺跡 6 Stabiae Remains6
 
 
青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda

2020年11月30日 独立系メディア E-wave Tokyo

カステッランマーレ・ディ・スタービア( Castellammare di Stabia) Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 4.0, リンクによる

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カステッランマーレ・ディ・スタービア(コムーネ)
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 本稿の解説文は、現地調査に基づく解説、写真撮影に加え、Wikipediaのイタリア語版を中心に英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

◆スタビアエ遺跡6

アリアナ邸(Villa Arianna)

 ディオニュソスがアリアドネをディア島(ナクソスの神話上の名前)から救うエピソードを描いたフレスコ画にちなんで名付けられたこの別荘は、そのフレスコ画で特に有名であり、その多くは明るい翼のある人物が描かれています。

 スタビアエで最も古い別荘で、紀元前2世紀にまでさかのぼります。別荘は150年の間に拡張されていきました。ナポリ湾を見下ろす尾根に沿った眺望を住宅街が利用できるように巧みに設計されています。約11000平方メートルの面積を占め、そのうち2500平方メートルしか発掘されていません。一部の部屋は斜面の土砂崩れにより喪失しています。


Map of Villa Arianna and the Second Complex on the left
   アリアナ邸の平面図及び左に第二複合部分(コンプレックス)があります。
Public Domain, Link

 もう1つの特徴は、別荘を尾根の位置から海岸までつなぐ専用トンネルシステムです。海岸は、ローマ時代には丘の下からわずか100〜200メートルしか離れていませんでした。その後、海岸線が変化し、古代よりもさらに内陸になりました。

 狭い路地で隔てられた「第2の複合施設(the Second Complex)」と区別するために、別荘が「第1の複合施設(the First Complex)」と呼ばれた1757年から1762年にかけて最初に発掘されました。発掘は1950年にドルシ(D'Orsi)によって再開されました。2008年に、長さ370mのローマ時代の別荘の中で最大の列柱付き中庭(ペリスタイル)発見され、併せて、新たに複数の部屋、柱、窓などもほぼ完全に明るみに出されました。


画像:Villa Arianna アリアナ邸
Souce:Wikimedia Commons
CC BY-SA 4.0, Link

レイアウト

 建物が何度か拡張された結果、複雑な部屋の配置(平面図)となっており、便宜的に中庭、浴場、食堂、列柱付き中庭の4つのセクションに区分されました。


画像:Peristyle (建物・中庭を取り囲む)柱列、周柱式、列柱のある中庭
Source:Wikimedia Commons
CC BY-SA 3.0, Link


 共和党後期にさかのぼる「トスカーナ(Tuscan)」の中庭(アトリウム)は、白黒のモザイクが貼られていて、壁にはフレスコ画が描かれています。多くの場合、フレスコ画は、第三様式に帰属する赤と黒の背景に女性の姿とシュロの葉を扇形に開いたような植物文様が描かれています。

 アトリウムの中央にはインプルビウムがあり、周りには多数の部屋があります。アトリウムの入り口の端に配置された2つの部屋は、第二様式に属する格天井を支えるイオニア式の柱などの建築を模倣した装飾が今も残っています。

 他の部屋では、スタビアエの中で最も重要なフレスコ画が発見されましたが、これらはすべて、ブルボン王朝時代に剥離され、ナポリの博物館に保存されています。

 その中には、1759年に発見された「花」(Flora)または「春」(Primabera)も含まれています。大きさは、わずか38x22cmで、紀元前1世紀のものです。フレスコ画は、ギリシャ神話の妖精フローラを題材にしています。フローラは、ローマ人にとっては、春の女神であることから、その花を摘む行為は純粋さを現し、背景は全体的に淡いグリーンで彩られています。

 フレスコ画「フローラ」は間違いなく、スタビアエの最も有名な作品であり、イタリアだけでなく海外でもそのシンボルとなっています。

 注)インプルビウム(impluvium) 世界大百科事典内記述より
  ポンペイの住宅では,アトリウムの屋根は四方からふきおろされ,中央に
  雨水を落とす天窓があり,その下に雨水を受ける水盤(インプルウィウム
  impluvium)がある。大邸宅ではアトリウムを中心とする一郭の後ろに列柱
  中庭(ペリステュルムperistylum)を取り巻く一郭が造られる。


   Wikipedia (en)より
  インプルビウムはギリシャまたはローマの家のアトリウムの沈没した部分
  です。屋根のコンプルビウムを通って来る雨水を運び去るように設計され
  て、それは通常大理石でできており、アトリウムの床の下約30 cmに置かれ、
  床下の水槽に空にされました。

 注)第二様式、第三様式⇒ポンペイの壁画様式 Wikipediaより
  ポンペイの壁画の様式は、ポンペイ四様式とも呼ばれる。ポンペイの壁画
  に代表される古代ローマの壁面装飾はおおまかに時代ごとの四つの様式
  に分けることができる。この分類は現存する古代ローマの壁画の最大のグ
  ループを成すポンペイの壁画の発掘を行ったドイツの考古学者A・マウに
  よって提唱された。この壁画の様式によって、研究者達は西暦79年のベス
  ビオ火山の噴火に先立つ数世紀の建物や建物の装飾の時代を区別する
  ことができた。様式の変遷に見られるギリシアの写実的で現実と錯覚を起
  こさせるような傾向とイタリア的な伝統やオリエントの影響である装飾的な傾
  向の相克に注目することは重要である。(中略)


  リオーニ、コンツァ・デッラ・カンパーニア(震源の近く)、テオーラといった町も
  破壊され、ナポリでも10階建てのアパートを含む数十の建物が倒壊しました。
  被害はナポリおよびサレルノを含む26,000km2以上の範囲に及んだのです。


  前1世紀には「第二様式」または「建築様式」と呼ばれる様式が支配的となり
  ます。壁面は建物の構成要素やトロンプ・ルイユ的な効果を狙った構図によ
  り装飾されるようになります。初期には第一様式から見られる要素で構成さ
  れていたがだんだんと置き換えられていきました。

  この様式では対象物に陰影を付けることによって立体的な構造物として錯覚
  させるということが行われました。例えば立体的に描かれた柱によて壁面の
  スペースを分割するということがよく行われました。

  また壁画にトロンプ・ルイユ的効果を与えるための平行投影法(正確な線遠近
  法ではない)の利用も第二様式を特徴付けています。イオニア式の柱や舞台の
  ような建築の構造物を描くことにより画面に表される空間は壁面の後方に押し
  やられました。これらの壁画はローマの家々の窓がなく狭い部屋を少しでも広く
  見せる効果があったと思われます。 (中略)

  第三様式は、前の時代の厳格さの反動として前20年または前10年頃から始ま
  りました。カラフルな人や物の姿をかたどった装飾が現れ全体的により装飾的
  な印象を与える。そしてしばしば非常に洗練された技術を見せます。
  この様式の特徴はイリュージョニスティックな手法からの脱却である。尤もこのよ
  うな手法は装飾的な人や物の像と共に後にこの様式の中で密かに息を吹き返
  すことになります。第三様式の絵は中央の要素により決定付けられるシンメトリ
  ーの法則に厳格に従っており水平方向に三つの領域、縦方向に三つまたは五
  つの領域に分割されていました。

  水平方向には幾何学文様や柱礎、燭台にかけられた細い枝葉でできた帯などで
  画面が分割され、鳥などの優美なモチーフや空想的な動物などが背景に描かれ
  ます。植物や特にエジプトの動物などがよく描かれました。これはアウグストゥスが
  クレオパトラを破って前30年にエジプトを併合した後のエジプト趣味を反映してい
  ます。(後略)

 非常に重要なもう1つの作品は、1759年に発見された、紀元前1世紀にさかのぼる「キューピッドを売る女性」(Cupid seller)です。これは、女性が天使を女の子に売ろうとしている様子を描いています。このフレスコ画は18世紀にヨーロッパですでに有名になり、新古典主義の趣味に影響を与え、磁器、版画、リトグラフ、絵画などにそのモチーフが複製されました。


Cupid seller キューピッドを売る女性
Source:Wikimedia Commons
CC BY-SA 3.0, Link

 メインダイニングルーム(主食堂:tricliniumu)は丘の端を見下ろし、ネロの統治時代からの時の流れを感じさせます。後壁の中央には、1950年に発見されたアリアドネの神話のフレスコ画があります。その神話は、ネクソス島でテセウスに置き去りにされたアリアドネが眠っているときに、ディオニソス(鷹の目で表現される)によって保護されたという物語です。

 浴場エリアはスタビアエの他の別荘よりも狭いですが、浴槽がついて、後陣(アプス:壁面に穿たれた半円形、または多角形に窪んだ部分)があり、高温浴室、微温湯浴室、冷水浴室があります。

 注)アプス Wikipediaより
  アプス (apse)、またはラテン語で absis、または後陣は、壁面に穿た
  れた半円形、または多角形に窪んだ部分である。
  ローマ建築に起源を持ち、宗教建築・世俗建築の双方において見ら
  れる。



スタビアエ遺跡7につづく