到着2日目8月13日(日)は、ミュンヘンからバスでノイシュヴァンシュタイン城に向かいました。下の地図はグーグルマップで検索したものですが、往路はおおむね水色のルート(1時間38分の表示)を通り、復路は灰色のルートのうち短い方(1時間39分の表示)を通りました。(若干異なる部分はあります)
下の地図をみると分かるように、ノイシュヴァンシュタイン城はオーストリアとの国境近く、フュッセン郊外にあります。
グーグルマップより作成
8時過ぎにミュンヘン中央駅を出発しました。
朝のミュンヘン中央駅 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
ミュンヘンからノイシュヴァンシュタイン城に向かうバスの車窓から
撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
遠くにノイシュヴァンシュタイン城が見えてきました。遠くからみるとかなり急峻な山の中腹にあるように見えますが、実際は手前の小さい山の上にあります。
ミュンヘンからノイシュヴァンシュタイン城に向かうバスの車窓から
撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
さらに近づくとノイシュヴァンシュタイン城のある山の麓付近に別のお城が見えてきました。これがホーエンシュヴァンガウ城(旧シュヴァンシュタイン城)です。(ミュンヘンの歴史と街並み(1)の下の方参照)
ミュンヘンからノイシュヴァンシュタイン城に向かうバスの車窓から
撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
■ノイシュヴァンシュタイン城の歴史
・ホーエンシュヴァンガウ城
王制から共和制へ移行した時期である1832年に、バイエルン王国の第3代国王のマクシミリアン2世は、12世紀に建設され廃墟となっていた古城シュヴァンシュタイン城を購入し、1853年に改築してホーエンシュヴァンガウ城としました。
・ルートヴィヒ2世の中世騎士道への憧れ
第4代国王のルートヴィヒ2世(生誕1845年、在位1864〜1886年)は、ホーエンシュヴァンガウ城で幼年時代を過ごし、後に隣にノイシュヴァンシュタイン城を建築しました(参考)。ノイ(新)シュヴァン(白鳥)シュタイン(石)という意味ですから、(旧)シュヴァンシュタイン城(現在のホーエンシュヴァンガウ城)に対して「新」シュヴァンシュタインということになります。ノイシュヴァンシュタイン城という呼称は1890年からであり、建設当時はノイホーエンシュヴァンガウ城(新ホーエンシュヴァンガウ城)と呼ばれていました。
ルートヴィヒ2世(Wikipedia Commons)
ノイシュヴァンシュタイン城は、観光地としては、カリフォルニアと香港のディズニーランドにある眠れる森の美女の城のモデルの1つとして知られていますが、歴史的に見ても非常に興味深い成り立ちを持つ城です。(なお東京ディズニーランドのシンデレラ城のモデルと誤って紹介されることもありますが、シンデレラ城のモデルはフランスのお城や宮殿のようです。)
ノイシュヴァンシュタイン城を造らせたルートヴィヒ2世は王太子時代、父王マクシミリアン2世が執務で多忙であったため、ゲルマン神話や騎士伝説などの物語を読んで育ち、中世騎士道への強い憧れを持っていました。
・メルヘン王ルートヴィヒ2世の現実からの逃避と築城
1866年に普墺戦争(プロイセン王国対オーストリア帝国)が勃発し、バイエルン王国はオーストリア帝国側として参戦しましたが、戦争に敗れプロイセンに多額の賠償金を払うこととなりました。そもそも参戦に反対していたルートヴィヒ2世は、嫌気が差し、この後、現実の政治から離れ、王太子時代に好きだった神話騎士伝説の世界を実現するための城造りを始めます。
ルートヴィヒ2世は、中世風のノイシュヴァンシュタイン城(1869〜1886年、未完成)、大トリアノン宮殿を模したリンダーホーフ城(1874〜1878年、完成)、ヴェルサイユ宮殿を模したヘレンキームゼー城(1878〜1886年、未完成)を建設しました。このように懐古趣味による城を造ったことからメルヘン王と呼ばれています。
建設費には、プロイセン王国によるドイツ統一を支持した見返りとしてプロイセン王国の首相であり、後のドイツ帝国の首相も兼任したビスマルク(鉄血宰相、ドイツ統一の中心人物)から送られた資金を中心とし、さらに王室公債を乱発した借金によりました。
ノイシュヴァンシュタイン城はルートヴィヒ2世が亡くなった時に建設が中止されたため未完成ですが、施設内に居住できるようになった1886年以降、ルートヴィヒ2世はミュンヘンには戻らず、この城に住み始めました。
バイエルン政府はプロイセンへの多額の賠償金の支払い義務があるにも関わらず、相次いで城の建設を行う王の現状に危機感を募らせ、ルートヴィヒ2世を精神鑑定にかけて廃位し、ベルク城に送りました。その翌日、ルートヴィヒ2世は主治医と共に湖で水死体となって発見されました。
(以上の参考1、参考2)
現実の政治や戦争の困難から目を背け、中世の騎士道のメルヘンに憧れた王様ルートヴィヒ2世によって、多額の借金をして造られたお城が、ノイシュヴァンシュタイン城、ということになります。一見すると伝統的な建築様式に見えますが、コンクリートとモルタルによって造られており、耐候性や耐久性も低いものでした。
ディズニーランドのお城(眠れる森の美女の城)のモデルとなったメルヘンのある観光地として知られていますが、その成り立ちといい、建築物としての構造といい、現実との間に非常に大きな落差があることが分かります。一見すると中世のお城のようにメルヘンチックに見えますが、それは見せかけに過ぎない、という点がディズニーランドのお城と共通しているのが皮肉です。
現実逃避をして城造りに勤しんだルートヴィヒ2世の生き方は、同じ時代にオーストリア=ハンガリー帝国の実質的な最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(1830〜1916年、オーストリア皇帝在位1848〜1916年)が、オーストリアにとって大変困難な激動の時代に、早朝から深夜まで、勤勉に実務に励んでいたのとは対照的です。
■ノイシュヴァンシュタイン城見学
下の写真は麓から見上げたノイシュヴァンシュタイン城です。
ノイシュヴァンシュタイン城 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
ノイシュヴァンシュタイン城には麓から徒歩、馬車、シャトルバスのいずれかの方法で登ることが出来ます。バス乗り場から見上げた位置にホーエンシュヴァンガウ城(旧シュヴァンシュタイン城)がすぐ近くに見えます。
ホーエンシュヴァンガウ城 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
ノイシュヴァンシュタイン城を撮影するための絶好の場所として知られているのが、ペラート渓谷にかかるマリエン橋です。人気スポットだけあって長蛇の列です。危険なので、時間単位で入場人数の制限が行われています。
マリエン橋 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
好天に恵まれたこともあり、マリエン橋からの眺めは絶景です。眠れる森の美女の城のモデルであって、シンデレラ城のモデルではない、というのも分かります。
マリエン橋から見たノイシュヴァンシュタイン城 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
マリエン橋から見たノイシュヴァンシュタイン城 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
マリエン橋はペラート峡谷のかなり上の方に架かっている橋なので、下を見て怖がっている子供もいました。
マリエン橋から見下ろすペラート峡谷 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
ノイシュヴァンシュタイン城は、最近の観光地によくある入場時刻を予約したチケットです。こういうチケットが発行されている名所は、現地でチケットを購入しては間に合いません。数時間、運が悪いと1日待たされる可能性があります。早めにお城に向かい、入場時刻(12時20分)を待ちました。
ノイシュヴァンシュタイン城のチケット 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
シャトルバスと徒歩で上の方に登ってきました。眼下にホーエンシュヴァンガウ城が見えます。
ホーエンシュヴァンガウ城 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
さらに登るとホーエンシュヴァンガウ城や湖が、そして遠くには山々が連なった光景が見えました。
ホーエンシュヴァンガウ城 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
ノイシュヴァンシュタイン城に近づいてきました。さきほどのマリエン橋の写真の左側からの写真です。
ノイシュヴァンシュタイン城 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
さらに近づくと、城の壁面の感じがいわゆる石造りの古城とは違うのが分かります。(コンクリートとモルタルで造られています)
ノイシュヴァンシュタイン城 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
お城の東側(マリエン橋からの写真の右側、上の写真の反対側)は、現在、修復工事中です。ここで40分ほど待って、お城に入りました。
ノイシュヴァンシュタイン城の見学路入口付近 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
城内は撮影禁止のため、内部の写真はありません。オーディオガイドを借りて(各国語のガイドがあります)、中で説明を聞きながら進みます。事前にいただいた資料によると、下記の順番で見学したものと思われます。
- 玄関口
- 召使いの間
- 控えの間
- 玉座の間
- 食堂
- 寝室
- 更衣室
- 居間
- 洞窟(人口の洞窟)
- 冬の間
- 執務室
- 副官の部屋
- 歌人の間
豪華な内装、人口の洞窟のような趣向、当時の最新のキッチン等もありますが、近代になって造られた中世風のお城というだけに、中世の古城のような風情はありませんし、実際の防衛を想定していないので城らしい備えも見当たりません。
内部は撮影禁止ですが、内部の写真を紹介しているブログなどは検索すると見つかります。これをみると、財政的にも危機に瀕していたバイエルン王国で借金を重ねて造った城がどんなに豪華なものだったかが分かると思います。
この後、食事をして徒歩で麓まで降りました。下は麓から再度撮影した写真です。登る前とは光の当たり方が違い、また違った雰囲気を醸し出しています。
ノイシュヴァンシュタイン城 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900
この後、ノイシュヴァンシュタイン城の西側にあるフュッセンの中心部に立ち寄り、北上して世界遺産であるヴィース教会を訪れます。
つづく
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